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 モーゼズとは降りる階数が違ったので、エレベータを降りてから行動を共にしなくて済んだ。離れてほっとした。あいつが背負っているものは重すぎる。あいつがオレに教えてくることは、オレには耳を塞ぎたくなることばかりだ。知らなければオレは、地球旅行へ行くことを夢見て、パイロットとして希望に満ちた日々を過ごしていただろう。  いつか父のような立派な零号士(ゼロ)になって。  大切な人を地球に連れていく。  父が果たせなかった夢を叶えるため――そう誓いを立てて火星コロニー防衛パイロット養成施設に入ったのだ。  仮設地区住民には同情する。しかしそれは政府が抱えている問題で、オレ個人がどうこうできるようなことではない――そう割り切っていただろう。それが少しずつ狂い始めている。父のことをよく知る人間から父の話を聞かされ、聞けば聞くほど放置できなくなってしまった。仮設地区住民たちの問題を。これは最初から決まっていたことなのか? 父の意思を受け継ぐためにオレが養成施設に入り、そこで彼らに出会うことは。まるで運命に導かれているように、何かに引き寄せられているように感じる。オレはどこへ向かっているのか。自分でも分からなくなってきた。  頭がパンクしそうだ。 「くそ、モーゼズ(あいつ)に会ったせいだ……」  オレは頭を抱えて小さくそう罵った。  勤務時間が終了するとオレはまっすぐ寮に帰宅した。今日は酷く気疲れしたので自室のベッドで眠りたかったのだ。そして帰宅後ベッドで休んでいると不意に玄関の扉が開く音がした。眠りに着こうとした矢先のことだった。オレは瞼を閉じて寝たふりをするが 「は〜い、ハニー。おみや買ってきたぜ〜!」  歌うように陽気な声と靴を脱いで室内に上がり込んでくる足音。さらには紙袋か何かのパリパリ言う音が聴こえてくる。帰ってきたのか……。ベッドの上でオレは落胆した。  “奴”が襲来した。 「疲れた時には甘いものが一番だろ?」  そう言って奴――モーゼズはオレが寝ている二段ベッドの前に来て、紙袋の中からドーナツを取り出した。眠たそうに首を傾けるオレの目の前でそれをうまいうまい、と自分で頬張る。 「うざい……」  薄目を開けて見ていたオレは、上掛けを顎まで引き上げ、背を向けて再び寝に入る。瞼を閉じて……1、2……  数秒後。  なんだ、この殺気のようなものは?  背後にそれを感じ、粟立つ背中。  後頭部に何かが突き当たる。 「Ⅰ shoot you if you sleep」(寝たら撃つぞ)  背後からそう声がした。何かを押し付けられて擦れた髪がジリジリ言った。 「ああ〜もう、わかったよッ!」  投げやりになってオレは言った。するとふっと後頭部がその圧力から解放され、そこに押し当てられていた物が離れて行くのが分かった。やむを得ずオレは起き、二段ベッドの下段から出ると 「BANG!」(バーン!)  とモーゼズが手を銃の形にして、それをこちらに向けて撃つ真似をした。茶目っ気たっぷりな顔で。 「……」  怒る気力なし。  オレは閉じた貝になる。  付き合いきれない。  結局―― 「これが新作らしいぜ。お前も食ってみろ」 「食いかけはいい」  モーゼズに差し出された歯型付きドーナツを見て、雑巾を見るような目をしてオレは断った。あれから結局モーゼズに付き合わされる羽目になったオレは、カーペットにクッションを敷いて奴と仲良く(?)ドーナツを食べていた。ドーナツはうまかったが、モーゼズ(こいつ)がいると全く安らげない。そんな息苦しさを感じながら。 「なぁ、響」  テレビを見ながらモーゼズが言った。オレは面倒臭そうに「なんだ」と返すとオレの方を向いて奴が言った。 「耳かきしてくれ」 「は? オレはお前の彼女か!?」  明らかにオレが拒絶する態度を示したのに、引き出しの中から耳かきを取り出すとそれを持ってあぐらをかいた足を崩さずに、カーペットの上を滑って前進してくるモーゼズ。傍らに来ると奴は勝手にオレの太股に頭を乗せた。オレに向かって耳かきを差し出し 一言。 「Do it」(やれ)  なんだこいつ!?  ムッとしたオレは憎々しげに奴を睨み、わざと手を滑らせてやろうか? と企んだ。ん? すると横になったモーゼズの生え際を見てあるものを発見。オレは躊躇わず無の表情でそれを、ぶちっ! と引っこ抜いてやった。多少悪意有。 「Ou! what are you doing!?」(いてッ! なにすんだ、お前!?)と驚いた拍子に英語で叫び軽く飛び上がるモーゼズ。労るように首筋に手を当てたモーゼズに、オレは坦々と呟くような口調で言った。 「お前、金髪だったんだな?」  親指と人差し指で挟んだ一本の髪の毛を顔の前で眺める。明らかに黒じゃない。キラキラしてナイロンみたいだ。ふ〜ん、とオレはその毛髪をそれが生えていた襟足部分に当てた。生え際に同色の部分があった。それを見てなんとなく金髪のモーゼズを想像し、それが何故か王子様みたいに柔らかい微笑をする姿を形成して思わずオレはニヤリとした。  モーゼズは横臥したまま首だけ傾けて 「違う。だ」  きっぱりとそれを否定した。その頑なさが妙に笑えたオレは首を傾げる。 「絶対金髪のほうが似合ってると思うけど」
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