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 オレは実家の玄関の前までやって来た。右手には先刻デパートで買ったプレゼントが入った紙の手提げを持ち。それは小さくて表面をビニルコーティングがしてあるエナメルのような光沢がある小さいやつだった。いかにも、“買いましたッ”という感じだ。そんなこともあり、すぐにインターホンを押そうという気にはなれなかった。こんな袋を持っていたら、ブランド物を買ってきたということがバレバレだ。言わなくても親切に袋にブランドのロゴが入っている。こういうのって普通、大人の男性が恋人とかに贈る物だよな。家の前でこんな物をぶら下げてたら怪しすぎる。誰かに見られないうちにさっさと家に入ったほうがいいな。  オレはインターホンを押すことを決意した。溜め息を一つ吐いて 気を落ち着かせる。その時。 「こんにちわ」  若い女性の声がした。オレはぎょっとしてその方向――左に顔を向けた。するとモデルのようにすらりとした体型の女性がドアの前の通路を歩いて来た。衿にベージュのファーが付いた白いロングコートのボタンを止めずに羽織り、その隙間から黒いブーツを履いた足が歩く度に覗いている。カツンカツンカツンと小気味良い靴音を響かせて、彼女はうちの左隣のドアの前で足を止めた。つい見入ってしまっていたオレは遅れてからの 「こんにちわ」  お隣りさんだったのか。こんな綺麗な人が……。それを知り、ほんのり頬が赤くなるのを感じた。  女性は雑誌が入りそうな大きめのトートバッグの中からキーケースを取り出した。持ってる物がどれも高そうでブランド品のようだった。それが似合っている。という感じだ。  振り返って彼女が言った。 「息子さんですか?」 「はい……」 「そうなんだぁ、何歳なんですか?」 「十五です」  急に笑顔で友好的な雰囲気になった女性に、オレは少し戸惑った。質問はまだ飛んで来た。 「じゃあ、高校生か中学生?」 「いえ、パイロットです」 「パイロット〜!?」  と女性の声のトーンが2オクターブぐらい上がった。その反応は大袈裟ではない。オレの歳でパイロットをやっているというのは珍しいことなのだ。さらにオレが防衛施設で働いていることを伝えると彼女は 「へぇ〜〜、凄ぉ〜〜い!」と瞠目していた目をもっと大きく見開き、オレの姿を上から下から眺めやる。うわ、そんなに見るなよ! オレは右手に持っていた紙の手提げ袋を彼女の視界に入らぬように、右後ろに移動させた。すると彼女の目がぱっと輝いた。内心焦るオレ。 「それ、彼女に?」 「いえ、そういうんじゃ……」  顔が上気するのを止められずオレは俯く。すると 「かわいい〜〜ッ!」  と女性は黄色い声を上げた。そう言われてオレはますます動揺して顔が赤くなる。それから女性は「頑張ってね! 応援してるから!」と言って自室のドアの向こうに消えた。残された後オレは  ……最悪だ。マザコンだと思われたかもしれない――と小さく歎くのだった。  ようやくインターホンを押す。 「お帰りなさい〜」  高らかな母の声。すぐに玄関のドアは開いた。防犯カメラにこちらの姿は映っているので、来たのがオレだと分かっていたのだ。 「さぁ、上がって。お腹空いてるでしょ?」 「うん」  母に急かされ、オレは靴を脱いで家に上がった。「ただいま」と言うのはむず痒い。  玄関の壁には松毬や葉っぱなどを巻き付けたリースが何個か吊してあった。おそらく母の手作りだろう。教わりながら一緒にリースを作ったり、壁に飾るのを手伝ったことがある。オレは床に出してあった客用のスリッパに履き替えると母に先導されてリビングに向かった。 「今年はホワイトにしてみたの」  リビングの扉を開けて母が言った。その中を見てオレは少し驚いた。テーブルの隣に白い妖精が立っている。いや、毎年ツリーを飾っている場所にあるツリーが、ホワイトになっていたのだ。白い葉が点滅する電球の光を受けて、それより柔らかな色を表面に浮かび上がらせている。淡い虹色の木になっていた。まるで幻想(ファンタジー)の世界だな。賑やかなツリーを想像していたオレには軽い衝撃だった。 「新しいツリー買ったんだ?」  そう尋ねると母は嬉しそうに顔を綻ばせた。 「お店に飾ってあるのがあまりにも綺麗だったから、どうしても欲しくなって買っちゃったの」  オレは新しいツリーを傍で眺めながら「ふ〜ん」と呟く。母は普段、衝動買いなどしない人なのに。珍しい。 「綺麗じゃない?」  ツリーを眺める母はその姿にすっかり酔いしれていた。 「ねぇ、響」 「ん?」 「ホワイトクリスマスって知ってる?」 「ホワイトクリスマス?」 「そう、地球ではクリスマスに雪が降るとそう言うんですって」  母は「雄二さんから教えてもらったの」と付け足す。“雄二”とは、父のことだ。母は昔から父のことを名前で呼んでいた。 「きっと素敵よね。雪の降る日のクリスマスなんて」  母は目をうっとりさせ、掌を胸の中央で重ねた。ロマンチックな気分に浸る若い娘のように。  雪の降るクリスマスか……オレはぼんやりとそれを解釈した。雪の存在をオレも知っている。だが天然の雪やそれが降る様子を映像以外では見たことがなく、漠然とした光景しか頭に浮かばなかった。 「昔、言ってたのよね。雄二さんと。 『いつか、真っ白な雪が降るホワイトクリスマスを過ごせるといいね』って」 「……」  母は愛おしそうにツリーに触れた。しかし意識がそこにないように、どこか虚ろな視線で。その瞳が見詰めているのは過去の風景か。父と恋人同士だった時代の。それとも  見たことのない風景か。  雪の降るクリスマス――“地球”の 「……」  しばらく無言でツリーから手を離さない母を見て、オレは心に誓った。  いつか、自分が地球に連れて行ってやろう。本物の雪が降る季節に。  父の代わりに。 「あら、いけない」  ふいにはっとしたように、母が顔を上げて立ち上がった。 「お腹空いてたわよね、響?」 「うん……」 「じゃあ、座って食べましょうか」  そう言った母は、表情に明るさを取り戻していたのでオレは少し安心した。  食卓は四角い木製テーブルで、木の椅子が四脚並んでいた。オレは出口とは反対の右側の席に着く。向かい側が母の席で、その隣が父の席だった。あの手提げは、脱いだ上着の横に置く。渡すタイミングが分からなかった。  テーブルの上には取っ手付きの蓋を被せた大皿がいくつも並んでいた。 「さぁ、召し上がれ」  母がその蓋を持ち上げるとふわっと肉やスパイスの香ばしい匂いが立ち上った。母が蓋を外していくのを手伝ってオレも立ち上がる。適当な場所にまとめて蓋を置く。 「貸して」  母がシャンパンの瓶を持ってぼーっとしていたので、その瓶を受け取った。中身が溢れ出るわけでもなく、特にリアクションもなくスムーズに栓が抜け、母のグラスと自分のグラスにシャンパンを注ぐ。ちなみに未成年のオレでも飲めるノンアルコールのやつだ。すると黙っていた母が 「やだ、響ったら……」と笑い混じりで言った。 「?」  母が何故笑ったのか分からず、オレは困惑した。なんだか嬉しそうな顔で母が言う。 「みたい」 「?……」  オレはますます困惑した。 「そうやってさりげなく言って栓を抜いてくれる所なんかそっくり。響、最近パパに似てきたわね?」 「そう?」  ただ蓋を開けただけなのに。  しかしそう言われてみれば、そんなこともあった気がする。母が困った顔をしているとすぐに父が手を差し延べていたような――そうするとすぐに母の顔は笑顔になり……  他にも二人がキッチンに立って食材を切ったり、フライパンで調理している所や母が作った熱々の料理の入った皿を食卓に運ぶ父の姿が目に浮かぶ。まだ小さかったオレはそれを真似し。  父は多忙な人ではあったが、家にいる時はそうやって家族や家庭のことを気にかけてくれていた。 「じゃあ、乾杯」 「乾杯」  母が切り出し、カチンとグラスをぶつけて乾杯した。二人ともグラスを口に運び、傾ける。グラスを下ろすと同時に顔を正面に戻すと、嬉しそうな顔で母が見詰めていた。オレとお揃いのグレーの瞳が幸せの弧を描き、テーブルに肘を突いて顔を包み込む両手に、愛が溢れている。 「……」  オレはまた困惑した。だが今度はそうしている理由が分かる気がした。それに、さっきのように悲しい顔をされるよりはいい。 「あのさ……」  オレはぼそっと切り出した。視線を徐々に下げていく。隣の椅子の上にあるに。すると 「ああ、ね?」  母が瞳を輝かせ、パチンと手を叩いた。「ちょっと来て」そう手招きされて、オレは立ち上がり、冷蔵庫に向かう母に付いていく。 「ドアを押さえてて」  そう言われて母が開けた冷蔵室のドアをオレは手で押さえた。開けた時点で見えていたクリスマスケーキらしきものを乗せた皿を母が取り出した。振り向き様ににやっと笑う。 「すごいでしょ〜?」  母が食卓にケーキを運び、オレは冷蔵室のドアを閉める。食卓に戻り、母の傍らで関心げにケーキを眺めた。断面が生クリームとスポンジの渦巻きになっている白いブッシュ・ド・ノエルだった。上にチョコレートでできた丸顔のサンタとトナカイの大きな顔が乗っかっている。 「“ホワイトクリスマス”をイメージして作ったの。分かってくれた?」 「うん、なんとなく。白いから」  オレが率直にそう答えると何故か母は不機嫌な顔をした。 「もう〜、冷めてるわねぇ。もっとロマンチックなこと言えないの〜?」と拗ねる。  オレは  ロマンチックなことってなんだ?  と理解不能だった。頭に疑問符を浮かべながら、テーブルを回り込んで自分の席に戻る。 「そういう所はパパに似てないのよね……」と母は困ったような複雑な顔をしてオレを見た。父さんは言ってたのか? ロマンチックなことを。オレはなんだか複雑な気持ちになった。いったいどんなことを…… 「でも、響」 「何?」 「あなた最近、外見もパパに似てきたんじゃない?」 「そうかなぁ」  オレは軽く首を傾けた。自分ではそうは思えなかった。ちなみにオレは父のことを“パパ”とは呼ばない。母は気紛れで。 「呉羽(くれは)管理部長にも言われた。“眼差し”が、だけど」 「に!?」  母が歓声に近い声を上げた。目を輝かせた母を見ながらオレは頷く。少し気になる反応をした母を懐疑して。 「母さんのこと知ってたよ。“レナは元気か?”って聞かれた。どういう知り合いなの?」 「どういうって……」  母は狼狽えた。疑惑をかけた息子の眼差しに。 「高校の時にね、友達と航空ショーを見に行こうって飛行場で待ち合わせしたの。そしたら友達から急に行けなくなったって携帯端末(タンマツ)にメールが来て……仕方ないから一人で見ることにしたの。それでうろうろしてたら呉羽くんが声を掛けてきて、“一緒に見ませんか”って……」 「ふ〜ん、それでどうしたの?」  母はう〜ん、と唸って曖昧に言葉を濁してから言った。 「それでね、終わってから“飛行機が好きなら、また他の航空ショーも見に行きませんか?”って誘われて……何度か一緒に見に行ったの」  母の口調はだんだんもじもじしたものに変化していった。何をそんなに恥ずかしがっているのか。何か特別な意味があるみたいじゃないか。オレはそのことに少し苛つき、口を尖らせた。それじゃあ…… 「付き合ってたの?」  と母の目を見据えてストレートにそう質問した。すると 「え? 違うわよ! ただの友達よ」  と母は瞠目しながら半笑いした。何か隠している。息子の冷たい視線がそこに注がれた。 「やぁね〜、響ったら……そんなことに興味を持つようになったの? もしかして、好きな()でもできた?」 「!?」  オレは思わぬ逆質問の返り討ちに遭い瞠目。一瞬言葉を詰まらせた。目を瞬かせ 「別に」 「ふふ」  笑う母。 「……」  気不味くなるオレ。額から見えない汗がツーっとしたたり落ちた。……あ、そうだ! ふと思い出してオレは隣の椅子に手を伸ばした。そこに置いた手提げを持ち上げる。それを向かいの席にいる母に差し出した。 「これ、クリスマスプレゼント」 「え?」  母は驚いてぽかんとした顔でそれを受け取った。 「まぁ、何かしら」とわくわくした様子で手提げの中に手を入れた。中から赤い包装紙と金のリボンでラッピングされた小さな平たい包みを取り出す。それを正面から眺めながら 「気に入るか分かんないけど」  少し心配気味にオレが言うと母はにっこりした。嬉しそうに包みを広げていく。 「わぁ〜」  そして感嘆の声を上げて、開いた包みの中から中身を取り出した。現れたのはブランドのカードケース。それを表にしたり裏にしたりして、感嘆したような声を漏らしながら眺める。ふとその顔を上げて、こちらを見る。と、ものすごく目を輝かせた笑顔だった。 「ありがとう〜、響! こんな高級ブランドの物、ママがもらっていいの!?」 「いいって、プレゼントだから」  大袈裟だな、とオレは照れ笑い。ちなみにオレは母のことを“ママ”とは呼ばない。
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