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「出かけたくなっちゃった〜」  すっかりご機嫌になった母の希望で、急遽出かけることになった。昼食を食べてすぐのことである。せっかく作ってくれた料理があるというのに「大丈夫よ、料理は逃げないから、残りは帰ってきてから食べればいいし」と言われ、オレは不承不承ながら付き合うことにした。白いブッシュ・ド・ノエルは夜までのお預けとなった。支度を済ませた母と家を出る。 「恥ずかしいよ……」  玄関の扉を閉めてすぐに母が腕を組んできたので、オレは嫌がってそう漏らした。 「なによ、こんな美人に失礼ね」とぼやく母に、自分で言うなよ、とオレは苦笑した。  真っ昼間なのに街は人で溢れ返っていた。自宅のマンションに向かう途中に通った時より増加している。そこを親子で歩くのは数年ぶりだった。十五のオレは普通に進学していれば中学生だ。こうして母親と二人で街を歩くのは気恥ずかしい。既に社会人として働く身ではあるが、中身はまだ思春期の少年だった。 「なんで急に出かけたくなったの?」 「そうね、ハンサムな息子をみんなに自慢したくなったから」 「……」  陽気な母の回答に、オレは言葉を無くしてスルーした。  ぶらぶらしているだけでも時間は過ぎて行った。ほとんどが母の洋服選びだったが……まぁ、これも一つの親孝行か(?)、そう考え黙って母の買い物に付き合った。途中、寄ったカフェの中で母に「女の子はこういうお店が好きなのよ。デートの時はこういう所に連れて来なさい」と何故か指導された。周りの客席を見れば同席した男女の姿が多かったので軽く納得。店内にはコーヒーの香ばしい香や焼菓子の甘い匂いが漂っていた。  夕方になると街はきらびやかさを増していた。照明の光が闇に生える。やはりこうして日が落ちてからのほうがクリスマスの雰囲気が出る。昼間の喧騒よりも夜間の静けさの中で輝く街並みのほうが幻想的で美しい。道行く男女の密着度も大幅アップ。オレには当分縁のないことだ。その後、母が映画が観たいと行ったので映画館に行き、二時間余りの時間をそこで過ごしてから帰宅した。  家に戻るとすっかり冷めてしまっていた料理を温め直し、遅い晩餐を始めた。  小皿に取り分けた、自信作のホワイト・ブッシュ・ド・ノエルにフォークを入れて母が言う。 「響、ママとのデート、楽しかった?」 「ああ、まぁ」  母に調子を合わせてオレは軽笑。切り分けてあるチキンをフォークで刺して口に運んだ。二人とも歩き回って疲れてしまったのか、それから会話もなく食事している音しかしなくなる。 「ねぇ、響」 「ん?」  ただ黙々と食べ続けていたオレは、沈黙を破った母の顔を見た。母は口元に笑みを作っていたが、目は笑っていなかった。何故か少し寂しげに見える。  母は言った。 「一緒に暮らさない? ここで」 「……」  一番答えにくい話を持ち出され、オレは言葉を詰まらせた。間を空けたことで答えは決まっているようなものだ。オレは申し訳なくて、すぐには言い出せなかった。その間――母は待っている。何も言おうとはしないが、自分に注がれている母の切ない視線を肌に感じた。 「ごめん……緊急な呼び出しがあるかもしれないから、無理だと思う」  残酷な言い訳だ。零号士になっていない今なら可能なのに。  しかし、寮を出て防衛施設から離れることに不安があった。離れてはいけない気がした。いない間に何が起きるか分からない。運命を変えてしまうような出来事のきっかけとなることが、あそこにまだ隠れているかもしれない。例えばモーゼズ。奴との出会いがオレの心を揺さぶり、何かが……いや、何かに自分が近付いていっている予感がする。奴は重要な何かを握っている。そんな気がしてならない。奴は――オレが知りたい何かを“知っている”と。 「そう」  母は小さくそう言った。仕方ないわね、と呟く。目を細めて、精一杯の笑顔を作り。  胸が痛い…… 「ごめん」  オレはそう謝ることしかできなかった。  母が首を振る。 「いいの。でも、考えてみて」  控え目にそう言った。
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