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第6話 母、八犬士の性格を言い当て尊崇を集めるの巻
「まんが南総里見八犬伝」で内容を理解してもらわないことには話が進まないと思ったお母さんは、他にも色々あるけど今日のところはこれくらいにして、テントと部屋の準備をしましょうと言ってこの話を切り上げた。
今日は日曜日。明日からは里美も学校だし、お父さんも仕事、八犬士たちもバイトがある。
八犬士たちはジャンケンで泊まる場所の順番を決めることにしたらしい。最初に勝った二人が家の中の和室、次に勝った二人がライトバンの中、負けた四人がテントの中で寝て、その後は一日ずつ順繰りに場所を交替していくという仕組みだ。
すると、「ゴメン。私はずっとテントでいいわ。家とライトバンは譲るから、私を除いたみんなが交替で住んで」と坂崎 聡が言いづらそうに提案した。
他の男たちは口々に「何で?」「ずっとテント暮らしって正直きついぜ?」と聞いたが、さっきから坂崎はモジモジするばかりで、一向にその理由を答えない。それを見てお母さんが助け舟を出した。
「坂崎さん、ひょっとしてだけどあなた、自分の性別のことで悩んでたりする?」
すると坂崎は「どうして分かるの?」と驚いた顔をしてお母さんをじっと見つめた。
「あなたの苗字は坂崎。ということは、あなたは犬士でいうと犬坂毛野でしょ?だからひょっとしたらと思って」
そう言われた坂崎も、周囲の全員もキョトンとしているので、お母さんは構わず続けた。
「あなたのオリジナルである、里見八犬伝に出てくる犬坂毛野はね、最初は女装して女として登場してくるのよ。その女装姿があまりにも美人だったもんだから、誰も男だと気付かなかったの。
八犬伝の犬坂 毛野がそういう人だったのと、あなたの仕草がさっきから何となく女性っぽいのからピンと来たのよ私。坂崎さん、あなたの心にも、どこか女性っぽい部分があるんじゃないのかなって」
お母さんの指摘をきっかけに坂崎は、そうなの、実は私、体は男だけど自分ではずっと自分のことを女だと思っていて……などとポツポツとカミングアウトを始めた。
そういう事情であれば、と男たちは坂崎をテントでの一人暮らし枠に固定して、残りの七人でじゃんけんを始めた。
宿泊場所の順番が決まると、男たちは一斉にライトバンから荷物を運び出して、協力しながら楽しそうに畑のそばの空き地にテントを建て始めた。里美の家のあるあたりは富津市の郊外で、車は通るけど人通りは少ないし家はまばらだ。自宅脇の畑の片隅にいきなり四つのテントが並ぶのは少々異様な光景だったが、植え込みに隠れて表通りから見ればほとんど気付かれずに済むのは正直ありがたかった。
「君たち未成年なのに、よくこんなライトバン持ってたね。親の名義?」
様子を見に外に出てきたお父さんが聞くと、江崎 常雄が答えた。
「あ、その車、俺のっす。この中で俺だけ少し年上で、俺は二十二なんですよ」
お母さんがそれを目ざとく聞きつけて、江崎に聞いた。
「江崎さん、たぶんあなた八犬士じゃないわよね。誰か幼い子の代理?」
「え?どうしてわかるんですか?さっきからすごいなお母さん!」
ボンクラな男たちが、まるで憧れの名探偵を見つめる少年探偵団のような、尊敬と驚きの目でお母さんを眺めている。自分の八犬伝オタクの知識を存分に生かすことができて、お母さんはだんだんと得意げになってきた。
「あなたは江崎さんだから、対応する苗字は犬江。つまりオリジナルの犬士は犬江親兵衛でしょ?他の犬士たちはみんなほぼ同い年なんだけど、親兵衛だけは物語が始まったときにまだ赤ん坊で、それが成長して立派な勇者になるのよ。
それなのに、犬江新兵衛の生まれ変わりであるはずの江崎さんが、他の皆より年上ってのはおかしいから、きっとあなたは親戚の誰かに赤ん坊の犬士がいて、その子の代理なんだろうなーと思っただけよ」
江崎が驚いた顔で「その通り。俺、じつは甥っ子の強志の代理。強志は一歳」と答えた。
おおー!と男たちの間で歓声が上がった。
「その親戚の子には、ヤツフサの声でご迷惑かけてたりしない?」
「それは大丈夫。俺が持ってる『つ』の玉って、いつの間にか俺んちの床に転がってたものなんだけどさ、姉が強志を連れて俺の家に遊びに来た時、それを強志が誤って飲み込んじゃったんだよね。
慌てて背中をバンバン叩いてそれを吐き出させたんだけど、吐き出した玉を俺が拾った瞬間から、なんだか分からないけど俺の持ち物ってことになったっぽくてさ。
もし頭の中にあのうるさい犬の鳴き声が聞こえてたら、そりゃ強志もぐずるはずだけど、そういう様子が全然無いので、たぶん大丈夫かと」
それを聞いてお父さんもお母さんも里美も心底ホッとした。あの一晩中止まないヤツフサの甲高い鳴き声がもし絶え間なく一歳児の頭に響き続けたら、それこそ生命の危機だ。
その後もお母さんは、村崎 義一郎に「ひょっとして猫が苦手?」と聞いて彼が重度の猫アレルギーであることを言い当てたり、塚崎 智也と川崎 瑠偉は玉を手に入れる前からの知り合いで、兄貴と舎弟のような上下関係があることを言い当てたりした。
「里美!お前のお母さんマジすげえな!」
「スッゲー!信じられない!」
そんな八犬士たちの、まるで小学生男子のような素直なリアクションに、お母さんはさらに調子に乗って、男たちが持っている特徴を予言した。
「それと崎山さん、あなた左肩に赤いアザがあるでしょ?塚崎さんは左腕、田崎さんはお尻、村崎さんは左胸、川崎さんは背中……」
自分達の体にある赤いアザの位置まで次々と正確に言い当てられた男たちは、びっくり仰天して、とうとうお母さんを拝みはじめた。まるでジャングルの奥深くに住む未開の部族が、今まで見たこともない文明の利器を探検隊に見せられた時のようだ。
「アザの形もみんな一緒。きっと赤い牡丹の形をしているはず。
皆崎さんのアザは右頬にあってすぐ見えるから、みんなも見てみてよ。きっとみんなのアザも、彼のものと同じ牡丹の形のはずよ。だって八犬伝にそう書いてあるんだもの」
確かに、最初に家に入って来た時から、皆崎 定春の右頬になんか赤くて丸いアザがあるなーというのは里美もずっと気になっていた。
でも、そういう顔の傷みたいなのって本人も気にしているんじゃないかと思って、できるだけ視線を逸らして、ジロジロと見ないようにしていたので、形は正直よく分からなかった。牡丹の形のアザなのかそれ、と里美が皆崎の顔を見ようとすると、皆崎が納得した表情で言った。
「何?この変なボタンついてるの、俺だけじゃないの?これも八犬伝のせい?
そうかー。そういう理由だったんだ。変だなーと思ってたんだよ。そうかー、みんな同じの付いてんだー」
そう言って皆崎は右頬をティッシュでこすり始めた。
「いやさー。これ、見た目がすっげえ変だから、ずっと悩んでたんだわ。ただの赤いアザならまだいいじゃん。そうじゃなくて大きく『PUSH』って書いてあるからさ。なんか俺、これじゃいつも変なタトゥーシールを顔に貼ってる人みたいじゃね?
それで、こんなアザ超カッコ悪いから、姉ちゃんの使わない口紅もらって、こうやっていつも『PUSH』の字を赤で塗りつぶしてたんだよ俺」
すると、アザの上に塗られていた赤い口紅が取れて、丸いアザの中央に『PUSH』という文字が白抜きのように浮かび上がってきた。犬士たちはアッと声を上げて、一斉にそのアザを指差した。
「あるよあるよ!俺にもそのボタンのアザ!」
「すっげー!こんなの絶対誰にも言えねえって、ずっと秘密にしてた!みんなあるんだ!」
「うそ!マジで!?すげえ嬉しい!」
「ホラ見ろよこのボタン!一緒だよ!」
そう言って塚崎が左腕をまくると、確かに皆崎と全く同じ形の、中央に「PUSH」と書かれた丸い変な赤アザがある。
「え……?牡丹じゃなくて、ボタン……?押す方の……?」
絶句しているお母さんの方を、八犬士が一斉に振り向いた。
「ボタンでしょ?ホラ確かに全員体のどこかに付いてるぜ、ボタンの形のアザ」
「いや、私が言ってるのはお花の牡丹……。はぁ……。そんなところまで、すっかり残念な風に……」
自分が愛してやまない小説に出てくるヒーロー達がせっかく目の前に現れたというのに、見る見る残念な感じになっていく様子を前に、お母さんはがっくりと肩を落とした。
里美は自分が八犬士の玉に落書きをしてしまって、本当に申し訳ないと思った。
そんなお母さんの様子などお構いなく、皆崎が能天気な声で言う。
「じゃぁ、お前らこのボタン押すとどうなる?俺はこんな感じで自動的にベロが出るんだが」
皆崎が右頬の「PUSH」と書かれた丸いアザを指で押すと、皆崎の舌が出てアッカンベーの顔になった。何だか馬鹿にされているようで腹が立つ顔だ。
「え?お前はそうなの?俺は前髪が立ち上がる」
そう言った塚崎が袖をまくって左腕のアザを押すと、塚崎の下ろした前髪がピョコッと立ち上がった。
「面白れ~。俺は右腕が上がる!」と言ったのは崎山 貴一。
「みんな、そんな楽な効果なの?いいな……。俺、ボタン押すと小便に行きたくなるんだ。トイレ無いとこでうっかり押しちゃったりしたらマジ大変……」
ボソボソと陰気な声で村崎 義一郎がボヤくと、皆が一斉にドッと笑った。
するとそれに張り合うように、川崎 瑠偉がムキになってまくし立てた。
「それ言ったら俺だって超大変だぜ!俺は背中にボタンあるんだけどさ、押すと右脚が勝手に上がるんだ。だから仰向けに寝れねえし、うっかり寝返り打って仰向けになると自動的に脚が上がって布団を蹴っちゃうから、夜中寒くて何度も起きるんだよ。だから部屋でも寝袋使ってる」
うわー、それもキッツいな!と皆でゲラゲラと笑った後、さっきから一人だけなぜか暗い顔をしてうつむいていた田崎 満に、塚崎 朋也が「で、お前のボタンは何が起こるの?」と軽い口調で尋ねた。だらしなく太った体をゆすりながら、田崎は答えた。
「やっと長年の謎が解けたよ。ずっとおかしいなーと思ってたんだ。全部このボタンのせいだったのか」
田崎のその真剣な顔を見て、何だよ勿体つけるなよ早く言えよ、と川崎が催促する。田崎は重々しい声でゆっくりと声を出した。
「さっき里美のお母さんが言った通り、俺のボタンは尻にある。それで、ボタンを押すと自動的にオナラが出る。スカすことはできない。毎回音つきだ」
その告白に、サアッと場の空気が凍った。
そして一瞬の後、田崎以外の七人の犬士たちは一斉にどっと腹を抱えてゲラゲラ爆笑し始めた。
「だからか!!いっつも田崎臭えなーと思ってたら、それボタンのせいか!」
「ライトバンに乗るたびにプープー言うから、車内が臭くて臭くて!ボタンのせいだったのかよ!」
「なんだ皆、気になってたんだやっぱり!いやー俺も言おう言おうと思ってたけどさ、本人も悩んでるんだろうなーと思って、なかなか言い出せなくてさあ」
「いや~。そりゃ大変だ。瑠偉も義一郎も大変だけど、満がもう断トツで一番の苦労人だ」
「座るたびか~。気の毒すぎる。それは大変だなー」
最初はムッとしていた田崎だったが、ここまで皆にゲラゲラと陽気に笑われると逆に吹っ切れたようだった。口をキッと固く結んで太い腕を組むと、「そういうわけだ。座るたびに臭いが、そこは我慢してくれ」と厳しい口調で宣言し、そのままスッと地面にあぐらをかいた。
「プゥ~」
と間抜けな音が高らかに響き渡った。
その音を聞いて、七人の犬士たちも田崎自身もヒイヒイと腹を抱えていつまでも笑い転げていた。
その様子を少し離れた場所から遠巻きに眺めていたお母さんが、「八犬士、私の憧れだったのに……」と静かにがっくりと肩を落とした。
お父さんは無言で、ポンポンとお母さんの肩を叩いた。
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