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背後から、車へと薬剤を取りに走った看護婦が駆け込んで来る。
治療の行なわれている寝室のドアが、時間を止めたかのように目の前でゆっくりと開く。
一瞬、ふと交差した犀の視線。
『‥‥‥‥。』
再び閉じられたドアの前で、一歩も動けずにいた忠雄。
やがて、寝室からクローゼット部屋を通り過ぎ、主不在の勉強部屋へと足を踏み入れる。
小学生の勉強部屋とは到底思えぬ程に、大人の書斎並みに黒一色の家具で埋め尽くされたデスク。
見渡した先には、パソコン機材が数台据え置かれている。
無言のままに、いつも犀のいた椅子に座り込むと、傍らに積まれていた数十冊にも及ぶ専門書籍の一冊を忠雄は手にした。
パラパラと一気に行き過ぎるページの風を顔に受けながら、なぜか目元に熱いものが込み上げる。
『あいつ‥‥生意気に、あんな状態の中でも‥‥笑ってやがった‥‥。』
そう‥‥微かな隙間から覗いたものは、苦しみの中に横たわりながらも忠雄に微笑みを向ける、犀のささやかな抵抗だったのだ。
思わず書籍を机の上へと激しく叩きつける。
『戻って来い‥‥お前の生きる場所は、ここにある‥‥。まだお前が見た事のない新しい世界を、この俺が見せてやるから‥‥。だから、戻って来い‥‥この世界に‥‥。この俺の前に、戻って来い!‥‥犀!』
胸に抱いた強い思いと共に、握り締めた拳。
一瞬にして見開いた忠雄の眼差しには、覚悟めいた鋭い輝きが宿っていた。
追跡者達から逃れ命永らえたものの、姿形は依然のように艶やかな美しさも消え、すっかり輝きを失った女神イゾルテ。
あれから十数年が経ち、彼女は大病院の院長になった森雅俊の妻という存在場所に落ち着いていた。
それでも、顔半分に負った大きな傷跡は未だ癒える事はなく、表向きには若くして大病を患った際に用いた薬の副作用で、ほとんど表立った人との付き合いが出来ないという理由を建て前にして有都の母親としての毎日を送っていた。
一方、院長の雅俊は、人知れず先立った妻咲子の遺言とはいえ、イゾルテとは数年、同居はしていても距離を保ったままに、有都の前では仲の良い夫婦として、また父親としての愛情を一心に注いた男であったようだ。
それでも、年月はやがて環境を本気に変える。
有都が物心つき始めた頃には、咲子と名を変えたイゾルテも雅俊も、本心からお互いをいたわり愛し合うようになると一気に距離を縮めた。
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