二人 2009

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<1>   陽菜(ひな)は吉田駅の改札に向かう階段を降りている。   吉田駅へは、自宅から自動車を使えば30分で着くが、運転免許をとってから三年以上一度も車の運転をしていない陽菜にとっては、電車を乗り換え一時間以上かけてこの場所へ移動する方が気持ちが楽であった。   普段は乗ることのないこの路線に乗るために買った切符を、、この時間のラッシュ時には少しなじまないくらい丁寧に自動改札に通して駅ビルの外へ出た。   約束の時間より20分以上早く着いた陽菜は、祐太との待ち合わせ場所である吉田駅のロータリーへ歩みを進めた。  待ち合わせ場所へ早くついても、今日は裕太より先に到着のメールは打たないように決めてきた陽菜であったが、バッグから取り出した彼女の携帯電話が細い右手に握られていた。 陽菜がここに来るまで乗ってきた電車の時間は、‘裕太より先にメールをしよう’と心変わりをさせるには十分過ぎるくらいの時間であった。   右腕にコーチのハンドバッグを提げ、今まで何度も見ている、過去に裕太とやり取りをした携帯のメールの履歴を読み返した。 読み返しながら陽菜は、最後に裕太からの受信履歴を選択し、返信のボタンを押した。 (お仕事おつかれさまていうかまだがんばってるのかなちょっと早くいま着いたよ 早く会いたいよ でも あせらないで気をつけてきてね) というような、文面を書き少しためらったが、裕太への送信ボタンを押した。 「送信しました」の携帯電話の画面の表示を見てから、ハンドバックのなかに電話をしまった。 陽菜の意識の何割かは、裕太の返事のマナーモードの震えを期待して、ハンドバックを提げた細くもしっかりしている左腕へ行っていた。しかし、彼女は辺りを通り過ぎる人たちに注目することで、その意識を少し遠くへ置いてこようとした。   駅のロータリーでは、西からのオレンジ色の光に照らされた数台のタクシーが帰宅客の乗車を待っていた。   陽菜は、左腕のカバンを掛けているあたりが、微かに震えたのを感じた。 カバンの中に目をやると、電話がメールの着信を知らせる緑のライトを点滅させていた。 陽菜はゆっくりと、すばやく、緑に点滅する電話を取り出し、画面を確認した。 メールは裕太からであった。 (おー!!!そっこういくぜーーー)   その返信を見て陽菜は首をかしげた                                            <2>   裕太はオープンカフェのウェイターをしている。他の店員のほとんどは女性である。2ヶ月に一度くらいに訪れる本部の部長といわれる人を省けば裕太の他に男性の従業員はいない。 吉田市という工場団地の町には似つかわしくないほどに清潔で都会的な装い店の雰囲気と、それに似合うだけのクールで暖かな洗練された表情のスタッフが上品さを盛り上げている。   陽菜からのメールが裕太の知るところとなった時、彼は仕事が終わり、ちょっと奥の控え室に入り、着用していたエプロンをそそくさとたたみながら帰りの準備をしているところだった。 そこに、同じく仕事を終えた先輩の女性店員が顔を出した。先輩はほんのり桃色の頬のメイクが色の白さを強調し、第二ボタンまで計算された無造作にはずされた、白のカッターシャツと首もとの境目を曖昧にしている。そして、その肌の白さが、精巧かつ緻密に引かれた眉のこげ茶色を印象付け、山の手への適応力をことさらにアピールしているかのようである。  「お疲れ様。ずいぶん急いでるね。デート?」 先輩の女性店員が口元に笑みをたたえながら言った。 「ええ、まあ。」 裕太はそんな都会的で洗練された女性スタッフの中にいても、全く違和感のなく店の中に自然に溶け込んむほど柔らかな笑顔で答えた。 「えー、どこ行くの。」 先輩女性は聞いた。 「まだ、これからどうしようか迷っているところです。」 と答えた裕太を代弁するかのように、洋楽バラードの有線が店内から静かに漏れ聞こえている。 「なんだ、まだ決まってないんだ。おしゃれなお店つれってってあげてよ。」   エプロンを片付け、制服の白のカッターシャツの上から、やや中性的なコートを羽織り仕事場を出て陽菜との待ち合わせ場所へ向かった。 仕事場から出てすぐ歩きながら例の (おー!!!そっこういくぜーーー)を返信した。 <3> (どうしたのかな?今日の裕太、元気いいよね) 陽菜はいつもと違う裕太のメール文の変化に気をかけた。 (なにか、裕太いいことあったかな・・・) 陽菜は思い巡らせた。 (でも、こんな感じの裕太はじめて、何か嫌なことでもあったのかな・・) 陽菜は心配した。 駅に入っていく会社帰りや学校帰りの学生などあたりの人の数は増えてきたが、夕日は暗くなっていく。 駅に入っていく大人たちは、一様に一人づつで一様に無言。 駅に入っていく少年少女は、一様に複数づつで一様に声を発している。 そんな辺りのそれぞれの営みなどは、陽菜にとっては裕太一人の営みへの興味の下味にさえならない。  裕太はそのころ、陽菜と待ち合わせをしていた、吉田駅にときどき小走りをしながら向かっていた。 大きな交差点をくぐる地下道をくぐると吉田駅のロータリーの真ん中に大きなダーツの矢が刺さったように立つ時計台が見える。 その時計台の下元に、西日とも月明かりともつかない照度に陰った陽菜の姿を 遠巻きに確認できた。 裕太の胸は少し高鳴った。裕太はその鼓動の判断を保留した。 確認できた陽菜の姿は後ろ向きだった。 駅を利用する多くの人に紛れながら、裕太は時計台の下に着いた。 裕太は後ろ向きの陽菜に一言声をかけた。 「おつかれ。」 陽菜は「わあ。」と言った。 そして、裕太の方を向いた。そして言った。 「おつかれー!!早かったね!」 「陽菜に会いたくて、急いで来たよ。」 風で少し乱れた、柔らかい髪を右手で直しながら裕太は言った。 「ほんとにー?」 「いや、嘘だけどねっ。」 悪戯な目つきで裕太はおどけながら言った。 「なにそれ。」 陽菜のその強い口調とは裏腹の満面の笑顔が裕太をまた笑顔にさせた。 空はすっかりと暗くなり、その暗さがライトアップというほどでもない位に照らされた時計台を明るく映してしていた。 ~終わり~
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