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馬車の屋形のドアが開いて、機敏に降りてくる青年は、私がメイドを勤めていた公爵家の次男、フィンリー様。
私は、トランクを道の端の草むらに置くと、フィンリー様に恭しくお辞儀をする。
「ルナ、なぜこんなところに……」
駆け寄ると、私の言葉を待つ前に私の荷物を拾い上げる。草むらなどにも躊躇わずに、申し訳ない。
「どうぞ、そのような事はなさらないでください」
と、形ばかりは選んだ言葉を伝えるが、フィンリー様は譲らない。事情を聞くのは馬車に乗ってからだと言わんばかりに、さっさと私の荷物を馬車に運び入れる。
手を引かれるままに、私はフィンリー様と向かい合って馬車に乗るって町に戻る事になってしまった。
ビロードの腰掛けに座り斜向かいのフィンリー様は、マジマジと私を眺める。
離縁になったとはいえ、嫁入り用に支度した外出着はメイドの頃よりは上級な物を着ている。恥ずかしくない姿で良かったが、すぐに質屋に入れるつもりの服だ。いずれ見窄らしい姿を見られるかもしれない。何処かで着替えておけば良かったと後悔する。出戻りだと説明しなくても分かるだろうか……。
「ルナ、なぜあの道を一人で? あのままでは、日が暮れても町には戻れなかったと思うけど」
唯一、伝えたままを信じてくれるのを期待して、限られた時間を得られたのだから、事の次第を話すことにした。気持ちが高ぶらない様に、堪えながら。
「そうか……」と、フィンリー様は、ジッと私の目を見る。何か間を埋めようと感想を述べれば空虚になる事を配慮する人なんだと私は思う。
「男爵家も、たかがメイドと最善を選ばれたのでしょう……」
私にとっては最悪な最善ではあるが……あの女性と輝いて見えた命には代え難い。ただし、無効とはいえ、私は形式上離縁された女になってしまった。二度とマトモな縁談は来なくなる。身寄りのないメイド風情相応とは言え、この人に知られるのは、なんと残酷なのだろう。
縁談はフィンリー様が修学の留守の間に決まり結婚まで住んで、二度とお会いする事がない予定だったのに。
「ルナは、またメイドに戻らないか? 嫌じゃなかったら、ジェイスに話すけど」
「いえ、結構でございます。町で仕事を探します」
「それぐらいなら……」と、何か仰りそうになるので、静かに指を揃えてフィンリー様に向ける。
「針子の仕事には手に覚えがありますので」
フィンリー様だったら、その仕事も簡単に伝手を用意して下さるかも知れないが、何分フィンリー様はお若過ぎて、世間体を気にしていただきたい。
私は、もうお話が済んだと、町に着くまで俯いてやり過ごす。フィンリー様との会話はこれが最後と。
揺れる馬車に身を揺らしながら、沈黙の時間が永遠である事を祈る。町が、夕暮れとともに近づいていく。
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