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勢いよく水に飛び込む。両手で青を掻きわける。彼女はそう言ってくれたものの、双方脱出のあては結局なく、僕は時間を持て余していた。街まで泳ぐ。裸で外に出るのは抵抗がある――――そう零したら、彼女の母親が貴重な防水布で潜水服を作ってくれたのだ。いいんですか? と流石に恐縮する僕に、彼女はいいよ。だって君が困ってるんだもの。仲間を助けるのは当然でしょ、と言ったのだった。
改めて見ると、この街はやはり素敵だと思った。この世界に来た時、僕の中で好きだと思えた数少ないものが、この街だった。魚人たちの街でありながらも、元の世界を髣髴とさせるもの。
じっくりとその雰囲気を味わいつつ、中へと降り立つ。どこかレトロなその雰囲気が、僕の心を掴んで離さない。少し黄ばんだ絵、古い映写機、隅に置かれたドラムセット。人間の文化の名残。しかし所々の壁やドアに、地上のどこでも見たことのない優美な装飾が散見される。魚人たちが描いたのだろうが、僕は素直にそれが綺麗だと思った。
ぶらぶら歩いていると、ダーツ場のような場所に出た。そこには数人の魚人たちがいて、ダーツに興じている。……その光景は元の世界のそれと同じように僕には思えた。しかし僕は気づかれるのが怖くて、そそくさとその場を立ち去ろうとした。
「あ、よう、新入り君! 初めましてだな。噂には聞いていたけど本当に人間なんだなー」
「おい、お前の番だぞって、あぁ、こいつが例の新入りか?」
が、いきなり陽気そうな魚人と背の高い魚人に話しかけられてしまった。陽気そうな彼は好奇心旺盛にこちらを見つめてくるし、背の高い彼は少し警戒しているのか、離れた所からじっとこちらを見ている。
「君も棒飛ばし、やる?」
棒飛ばし? 思わず聞き返すと、彼は嬉しそうにこれこれ! とダーツボードを指差した。
「あぁ、ダーツのことか」
「んお、地上の人間はそう言うのか? へぇー。じゃあダーツ、ダーツやろうぜ!」
「意外と面白いわよ。見た目より難しいし」
彼らの仲間の女の子が微笑む。
「……ルールが分からないなら教えるぞ。尤も、地上のとは少し違うかもしれないが」
背の高い彼も、危険がないと判断したのだろうか、こちらに近づいてきた。
「……いいよ。僕こういうの下手だけど、やる」
「そうこなくっちゃ!」
毎日練習しているのだろうか、彼ら3人はかなり上手でいい勝負を繰り広げていた。一方僕は的にすら当たらない。しかし彼らが丁寧に僕にコツを教えてくれたお陰で、ちゃんと的の中心近くに当たるようになった。
「やったな」
彼らも嬉しそうだ。初めは警戒していた背の高い彼も気を許し、僕ににこやかに話してくれた。でも僕は何よりも、彼らが当たり前のように僕の存在を受け入れてくれたのが嬉しかった。彼らの温かさのお陰で僕は久々に心から笑うことが出来た。また会おう、そう言い合って僕らは互いに家路についた。
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