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昼休み。 給食を食べた後にやって来る、いつもの儀式。 私は教室の床に仰向けになり、しばらく静かにしていればいいだけ。 まるで何事も無かったように、ただ静かにしていれば、全ては終わる。 "顔踏み"の儀式は、このクラスの毎日の慣習に過ぎない。 私は、黙って床に仰向けになり、ただしばらく、自らの顔をクラスメイト全員に踏みにじられている間、静かにしていれば、それで全ては済む。 いつものことだ。 このクラスの慣習だ。 担任の先生も公認している。 正午の時間の、ちょっとした慣習。 今日も出席番号順に、クラスメイトの上履きの底が私の顔面に押し付けてられていく。 その日の気分次第で、押し付けてくる足の強度に違いはあるが、人間は機械ではないから、その日の精神状態によってそのぐらいの誤差は生じる。 場合によっては、強く鼻を踏まれすぎて鼻血を流すこともあるが、そういう時は、私の鼻血が付着した上履きの底をとことん綺麗に舌で舐めて、私の鼻血を完全に拭い取れば許してもらえる。 ただ、それだけのことだ。 きっかけは私の顔が、クラスの女王的存在である北巻冴子より美しいと、誰かが噂したことから始まった。 次の日、冴子は昼休みにクラスメイト全員で私の顔を踏む儀式を慣習化することを決定した。 勿論、担任の先生公認で。 全てはクラスの統率と秩序維持のためと結論付けられた。 その日から、昼休みに毎日この慣習は継続的に行われてきた。 ただ私が静かに仰向けになり、教室の床で横になって顔を踏まれている間、声を上げなければ全て済んでしまう儀式であった。 冴子にもそう言われた。 ただ静かに、仰向けになっているだけで良いのだと。 でも今日は、何か様子が違っていた。 いつものように、出席番号順のマ行までの生徒に顔を踏まれ続けた後、頭文字にムが付く生徒が私の顔を踏む番になってから、急にざわつき始めた。 ムが付く生徒は中々私の顔を踏みに来なかった。 怒鳴るような声が響いた。 「転校生だからクラスのルールを守らないというのは感心しないな」 「クラスの決まり事なんだ。転校生だろうと儀式にはちゃんと参加してもらうぞ。じゃなきゃクラスメイトとしてお前を認めるわけにはいかないぞ」 大声で怒鳴っている声が響きわたる。 誰かが私の顔を踏むことを躊躇しているらしい。 すぐに済んでしまう儀式なのに、どうやら事情がわからない向井田とかいう転校生が戸惑っているらしい。 早く儀式を済ませてほしい私には、正直迷惑な揉め事だ。 だが転校生らしき生徒がはっきり言った言葉が耳に聞こえた。 「顔を踏むなどという行いをすることは、今もこれからもありません。悪しからず」 と。 たちまち転校生に対して怒鳴り声が激しくなった。 「おのれ!クラスの慣習を何と心得る!」 「貴様一人がワガママを言って済むと思うのか!」 だが転校生は「顔を踏みことはありません」の一点張りだった。 何か暴れるような激しい音がした。 どうやら、言うことを聞かない転校生に誰かが殴りかかったようだ。 すぐに悲鳴が響いた。 無意味な抵抗をした転校生の断末魔の叫びに一瞬聞こえた… が、 私が仰向けに寝ている横に激しく倒れこんで来たのは、大柄で粗暴なクラスメイトの一人だった。 その後も私が寝ている教室の床に、クラスメイトの粗暴な男子が続々と悲鳴を上げながら、倒れ込んできた。 一体、何が起きているのか?! 私は少しだけ上体を起こし、転校生が立っている方向を見た。 転校生は、いきり立って往復ビンタをしてきた北巻冴子に、お返しとばかりに同じく往復ビンタを食らわせ、冴子を教室の壁に吹き飛ばした。 壁に頭を打ちつけた冴子は、口から血を流しながら気絶していた。 「因果応報というシステムです」 転校生は、倒れている冴子に優しくそう言うと、こちら側に歩いてきた。 急に何か骨が折れるような、関節が外れるような音がしたかと思うと、私の横で倒れている男子達が悲鳴を上げ始めた。 ボキっという音と男子の悲鳴が交互に聞こえた。 何が起きているのか、私は怖くなってひたすら目を瞑っていたので、まるでわからなかった。 しばらくすると、転校生の声が聞こえた。 「顔踏みの儀式は本日で終了です。不満がおありなら、その顔を踏む足の関節は外れたままなので、そのおつもりで」 転校生がそう言うと、すぐに私の横に倒れている男子は、「わかったよ!」「わかりました!元に戻して!」と叫び始めた。 しばらくして、どうやら生徒たちは転校生に足を元に戻してもらったようだが、その後は打って変わったように静かだった。 不意に目を開いた。 すると転校生の美形の顔が、私を正面から見下ろしていたので驚いた。 「儀式は本日で終了です。お疲れ様でした」 転校生はそう言うと、手を引っ張って立たせてくれ、私の制服の背中の埃やゴミを払ってくれた。 「もうすぐ授業です。その前にアフタヌーンティーを」 そう言うと、転校生は私にアップル・ティーを淹れてくれ、そのティーカップを私の席の机に置いてくれた。 顔踏みの儀式が始まって以来、ずっと飲ませてもらえなかったアフタヌーンティーは、実に美味しかった。 私は久々に、心底晴れやかな気持ちになりながら、午後の授業を受けた。
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