5 一華の推理

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5 一華の推理

 一華は部屋に付けているブザーで気分悪く二階の「九十九何でも屋」の事務所に降りてきた。戸を開けて、なぜ呼ばれたのか、どうして執拗にブザーが鳴っているのか悟った。 ―忘れていた―  という顔はせず、夜中に帰っていったエミリが、すっかり着替え、昨日よりはすっきりした顔をしてお茶を応接セットに運んでいるのを見て会釈する。  一応、起きていたけれど―。なぜだか九時に目覚ましがセットされ―何で休みの日に目覚ましが鳴る?―と思いながら、目が覚めた以上起き上がり、そう言えば、と、大学から持ち帰った書類に目を通していたところだった。  ちなみに、一華は静内大学で日本史考古学民俗学の准教授をしている。仕事は、春休みに大学所蔵の民俗学出土品の展示会をするので、それの説明文の添削と、出土品の目録のチェックをしていた。  一華はソファーに座り、エミリが台の上に盆を置きに行き、目の前の一人掛けのソファーに座るまで待った。  この事務所の主である白戸はすでに自席の、窓際の良い席で陽を背中に受けて座っている。 「えっと、」と一華が言いだすと、エミリが制し、 「実さんがまだです」と言った。  実などどうでもいいのだが。と言ったが、エミリを送っていく車の中で二人で一応の推理ごっこをしたのだという。その時の答え合わせも兼ねてぜひ聞きたいと二人でそういう話しになったので、待って欲しいという。 「ほぉ。じゃぁまずその推理を聞かせてよ。実が推理なんて珍しいから。かといって、ここに降りてきてからじゃぁ、絶対に話さないから。どうぞ」  と一華が言うと、絶対に間違いない。という話になったけれど、起きてみればやはりおかしいという点があったりする。と苦笑いを浮かべ、 「ですから、昨日、一華さんが、夜中で眠たい中考えたものはその時、無理やり話を合わせられると言ったけど、そうかもしれないですね」と前置きをして、 「二人が考えたのは一華さんが言った面白いことについてです。いくつか言いましたよね? そのうちいくつかのことを考えたんです。というか、考えられることだけと言ったほうがいいのですけど。  なんで、遺言書を分割に公表したのか。というのは、多分、性格の問題だと思うんです。一華さんも、性格を気にしていたようだから。遺言書を小出しにすることで、相続権のある子供たちをイラつかせて楽しむ。死んでもなおそういう性格なんじゃないかということです。  マザーグースに関しては、よく解りませんでした。私がイギリス文学が好きで、その本と三枚のお札の話をしたせいで、ちょっと言っただけだろうって、実さんは言ってましたけど、解りません。  それ以上に解らないのが、お子様たちの名前を気にしていた点です。確かに清明さんは不思議な名前ですけど、他の方は特に変わったことはないと思うんですよね。実さんいわく、一華さんの歴史マニア的に清明という名前がヒットしたのだろうということでした」  エミリの言葉に黙って聞いていた一華がため息を大きく吐きだす。それを見て、実の推理が間違っているのだとエミリは確信する。 「私がずっと引っかかっていたのは、一華さんが言った、夏生さんは本当に復讐できたのか? という言葉です。私には立派な復讐だと思うんです。だって、他の方は権利を失ったわけですから―。六花さんは別ですけど、それに関しては、六花さんをだましていた贖罪なのではないかと思ったんです。  私思うんですけど、夏生さん、六花さんが義母兄妹でなければどれほどよかったかと、さんざん悩んだんじゃないかと思うんです。昨日話しましたけど、話の端々で、六花さんをだましたり、傷つけたりするようなところで、夏生さんは顔を曇らせたりしていましたから、本当は、六花さんを利用したことを後悔しているのじゃないかと」 「私も同意見です」  一華がそう言った時、ぼさぼさ頭の実が入ってきた。入って適当な挨拶をして給湯室に直行した。彼は上下着古した灰色のスエット姿で、昨日のきらきらしたNO.1ホストの欠片もなかった。給湯室から、匂いからして濃そうなコーヒーを手にし、ノートパソコンの席に座り、引き出しから黒縁の眼鏡を取り出してかけた。  ―うわぁ、オタクだ―という風貌にエミリは顔を背け一華のほうを向いた。  それを見て一華は鼻で笑い、 「夏生君は、異母兄妹であることを相当恨んだはずですよ。できるなら、このまま隠し通して結婚してしまおうかとさえ思ったでしょうね。でも、握っていた手をすぐに離したり、キスをためらったところでも解るように、彼の頭を、異母兄妹という言葉と、彼女は公人氏の庇護のもと悠々自適に育ったということが頭にあって、どうしようもなかったんじゃないかしら?  あれから少し調べたけれど、油井 公人氏は享年88なんだね。そうすると、夏生君と秋史君を生んだのは、六十三歳の時。四十の時に二十歳そこそこの正妻春子さんが嫁いだわけでしょ? つまり、春子さんが双子を生んだのは、四十歳になってから? 高齢出産だったわけですよ。  それで、ここでも疑問がわくわけですよ。二十年間、子宝に恵まれなかった正妻と、それより先に子供を産んだ愛人がいる。しかも男子。それなのに、公人氏は春子さんを追い出さなかった。二十年間頑張ってやっと子供を産んで、双子だったから、片方を取り上げて追い出した。おかしくない? 二十年、いや十年、五年、話では相当な悪意を持っているように感じたのだけど、大奥様。意地悪な。そうでしょ? そんな人が、二十年も子供を作れない人を追い出さずにいるかしら? もしかしたら、公人氏は春子さんをある意味保護していたのじゃないかと思うのよね。何からとか、どうしてとか解らないけれど。でも、少なくても、大奥様の権限で追い出すことはできなかった。それが一変するような、何か変わった、何かが起こったんでしょうよ。  だから、もしかすると、やむを得ず公人氏は春子さんを追い出したのかもしれない。子供を引き取れば、春子さんは身軽だから。それが双子だったばかりに夏生君のほうを連れて出ることになったか。  あるいは、思いもよらず妊娠してしまい、子供は大奥様が取り上げようとしたけれど、双子なので一人だけを取り上げ、夏生君は春子さんと一緒に、大奥様によって追い出されたか。  多分公人氏は追い出したときには居なかったと思う。  なぁんとなくだけども、鑑定した本の中に、あの、引き出しから出てきた汚れたマザーグースと同じ本がなかった?」 「え? あぁ、ありました。汚れたので買いなおしたのだろうと思ったんですが、」 「多分、双子用に買ったのじゃないかな? まぁ、公人氏の思考は想像でしかないけれども。  さて、謎にとりかかろうか」  一華がそう言った時、白戸が「ストップ」をかけ、 「あー順ちゃん? オレ。ラーメン四つに、チャーハン四つ。一つは大盛ね。ギョーザを四人前で。よろしく」  と注文をした。  一華はにやりと笑い、「いやぁ、お腹すいてたんだよ」と言った。 「実は私もです。どうしてもあのラーメンを食べたくて、朝は早めに食べて、ちゃんと胃を動かしてきました」  とエミリはそう言って微笑んだ。  すっかり食事を終え、皿を片付け、白戸と実は定位置に座り、一人掛けの椅子に一華が、ソファーにエミリが座り、手帳を広げて「準備万端です」と言った。 「いやいや、素人推理だし。当たっているかどうか不明だよ」  と言いながらも、少し気分良く、一華は「あー」と音を伸ばしてから、 「まず、そもそもの大きなは、なんで遺言を分けて公表するか。  分けて公表することのメリットは? 遺言書を書いていたところで、残されたものがそれを無視する場合もある。らしい。難しいこと書いていたけれど、残された者が無視して等分割することだってあるようで、でも、遺言書に書かれる場合というのは、名指しされた相手はいい思いができる場合があるから、従うというのが通例のよう。  だけど、今回のはどう? 長年勤めてきてくれた使用人二人に関しては、ちゃんとした金額、それを相続するにあたって発生する贈与税などの手数料も含めてちゃんと記載されている。なのに、他は?  一月二十五日の日付が変わるとき応接室に居たものに権利を与える。なんて、風変わり過ぎない? 意地の悪さを感じない? つまり、相続権利を主張するであろう者たちが互いに足を引っ張るであろうことが目に見えているわけじゃない。  一月二十五日までに、最悪、事故に巻き込んで入院させたりする人が居てもおかしくないわけでしょ? そんな意地の悪い遺言書を作るのだから、私はその遺産にあまり期待しない。まったくないとは言えないだろうけど、 「ほらお前たちが足を引っ張り、相手を蹴落とした遺産だよ」  と言って開示してみれば、分けるほどもない、争うほどもない。もしかすると多額の借金だけかもしれない。  そう考えると、開示を分割する気分が解らないでもない。  では、もし、これが当たっていて、公人氏も母親同様意地が悪いのならば、なぜ、二十年以上も子供が産めない春子氏を手元に置いていたか? 戦争中自分を置いて、跡取りである兄だけを連れて疎開した母親と暮らしているのか? 愛人の子供を引き取り、一緒に暮らしているのか? これに関しては、子供同士の喧々諤々(けんけんがくがく)を見て楽しんでいたかもしれないけれど、それにしても、意地悪で一緒に暮らしているとすれば、よほどの意地の悪さだと思う。  意地が悪い人が、公人氏(次男)は死んでもいいと置いて行った母親と暮らす動機は? 絶対的に、彼女が立ち上がれないような復讐をすることでしょう? 彼女が立ち上がれない復讐とは?   たしか、油井家は、代々武家の家系でしたっけ? 洋館なんか建てたらそれはぞっとしたでしょうけど、意地の悪さや、神経の図太さは公人氏以上であれば、洋館を建てて住まわせたぐらいで大奥様の神経やなんかがやられるとは思わない。  だったら、跡取りを生まなければどうだろうか? お兄さんが居たようですけど、戦後大きな病気をして、疎開先の親戚の家に置き去りにしてきているようですよ―なかなかな母親ですね―つまり、その時点で、油井家当主を長男から次男の公人氏に移行したのでしょう。  じゃぁ、公人氏は跡取りを生まないようにする。だけど、独り身を通せばいろんな女の人を連れてくるだろうから、跡取りを生まない、その代わり一生の面倒を見ると春子さんに持ち掛ける。春子さんがそれに承諾するには、メリットが少ないので、他に何かあるのかもしれないけれど、春子さんは承諾し、たしかに二十年は子供が出来なかった。  だけど、愛人を作り、子供が出来ている。それを跡取りにされてしまっては意味がないから公人氏は慌てて作ったとも考えられるけど、大奥様が茂道さんたちの母親に会い、正妻にしようとしたと考えたとする。だけど、茂道さんや美寿子さんの性格を考慮すると、二人の母親を正妻にすると、自分、つまり大奥様は追い出されると考えたのかもしれない。  そこで、春子さんに子供を作ることを強要し始める。もしかすると、もしかするとだけど、夫婦の寝室に行き、事が済むまで出て行かなかったかもしれない。種なしでないことは、茂道さんたちで立証しているのだから、下手すると、自分も参加、なんてことをしたかもしれない」  そう言って「気持ち悪い」と胸を抑え仰け反る。 「いやぁ、考えてて一番気持ち悪い場面だったわ」と言ってお茶を飲む。  白戸も実も同意してお茶を飲んで流すが、唯一当事者を知っているエミリはそのお茶さえも飲み干すことが出来ないほど嫌そうな顔をしていた。 「約束として子供を作らないと言っていたのに、思いがけず子供が出来た。春子さんが生むと言ったか、彼女は拒否したか不明だけど、産んだ以上は、彼女は子供を産み育てる気があったと思う。  双子が生まれた。武士の家では家督争いで双子は忌み嫌われている。大奥様は一人は置いて、一人を連れて出て行けと言った。そう考えるのは自然だと思う。  大奥様は、公人氏は自分の意見に反し―子供を産まない春子さんを二十年も面倒を見たり、よからぬ愛人を作ったりしているから、自分好みの子供を育てようと秋史さんを溺愛したはず。だから、秋史さんの、絵だけを書いて暮らせるだけあればいい。なんて聞きようによっては芸術家は馬鹿だととらえそうだけど、言ってみれば、楽できる金は要る。と宣言しているだけだからね。  大奥様は今度の子育ても失敗したと思ったか、それとも、秋史さんを成功だと思っているかは不明だけど、それ以上に、茂道さんたちや、清明さんたち、愛人の子供を住まわせ始めた公人氏に怒り心頭だったはず。  部屋が狭くなるとか、なんで愛人の子供なんかと文句を言えば、子供を戦火に置き去りにするよりましだろうなどと言われたら、それ以上言えば自分が追い出されると悟って大人しく従っていたかもしれない。  だけど、それが復讐していることになる? 愛人の子供たちと同居させ、肩身が狭いながらも、雨風しのげる場所を提供している。居心地は悪いけれど、性格はいたって変わらず、暴君でいるような大奥様に対して、「僕を置いて行って逃げた人」を罰することになるのだろうか?」  一華は腕組みをし、一点を見つめ、最初こそ三人に向けて話していたが、今はもう独り言のようになっている。 「もし、夏生君のあの執拗に復讐しようとする性格が、父親、さらにその母親である大奥様の遺伝であれば、公人氏もあの異様な嫌がらせを止めるはずはない。じゃぁ、置いて行った母親に対しての最大の嫌がらせは何だ? 跡取りが居なくて、油井家が滅びること。母親は経営には携わっていないと言っていたから、彼女の大事は家だけだ。つまり家を取り上げることが復讐だとすると? 追い出しては世間的に悪者になるが、出て行かざるを得ない状況であれば、それを阻止しなかった母親の所為だと笑うだろう。出て行かなければいけない状況とは? 阻止できる手段があって、そうできる方法と言えば……遺言を小出しにし、自分のこの性格を考えれば、財産がないことは察しがつき、自分の今後を考える時間を与えること。財産がないと明確に記していないが、予測はできる。使用人たちに対して一月三十一日付で解雇を命じている。つまり、二月一日には使用人は家に居ないのだから、まず食事を誰が作るのかと考えればわかるわけだ。  そうだよ! 使用人たちの解雇で、その次の日から屋敷内を運営するものが居ないと悟れば、もしかするとと気づくはずだ。  でも、誰も気づかず、のんきにまだ家にいる。それは家にいる者の勝手で、公人氏は一応警告しているのだ。そう、カウントダウンしているじゃないか。  そうなるとますます、公人氏の遺産は無いと考えるほうが自然だ」そう言って頷く。納得いったのだろう。 「確かに、そう言われたら、遺言書を公開する日を指定したり、わざわざ小出しにする理由は解りました。性格の問題というのも。そしてそんな面倒をするのも、大奥様への復讐だし、意地の悪い性格が為の行動だったんでしょう。  それで結論なのでしょうけど……、昨日言っていた、お子さんたちの名前や、マザーグースは、関係あるんですか?」 「重要だったかもね……。いやぁ、もし、もしもだと、これが、本当だったら相当嫌な性格だよ……」  一華はしばらく黙り、五分という時間を取って、 「遺言の公開日、子供の名前、マザーグースはこの、長年の復讐劇のために用意された小道具だとすると、どう思う?」 「小道具? ですか?」  エミリが首をひねる。 「遺言①を公開する日は、死亡してから数日後で、それはさすがの公人氏も指定できない。自分がいつ死ぬかをコントロールできないのと一緒で。だけど、その後のことならばコントロールできる。  話しの中で、一月二十七日に死んだら、遺言は一年待ちなのか? と言ったけれど、そう、どうしても一月二十五日でなければいけない理由があったんでしょう。ただの二十五日ではなく、一月二十五日。では、一月二十五日が何の日なのか? 公人氏の誕生日とかではない。何かの記念日になぞらえた? そういうことでもなさそうだ。だって、日付が変わるその時に応接室にいる者に、遺産を受ける権利が発生するというだけの遺言で、それ以上の遺言状の開示は無いわけだから、もしかするとそんなに意味がないのかもしれない。  でも、一月二十五日と指定している以上、やはり、何らかの意味があるのだろう。そこでふと思った。二十五日の日付が変わるとき、夏生君が自分は追い出された双子の弟だと、公人氏の子供だと宣言した。  夏生に、秋史、六花……。清明、茂道、美寿子、至? でしたっけ? そうでしたね……、なぁんとなく、なんか、引っかからない?」  一華の問いに三人は首を傾げる。 「ふとね、ふと、思い当たると、何となくそこにいろんなものをねじこみたくなるよ。当てはまればいいかなぁぐらいの気持ちで、例えば、七人の子供。七に関する言葉。曜日。ではない。そんな感じでぼんやりと考えていたのよ。  この事務所のカレンダーは、ご丁寧にも、月ごとのカレンダーをすべてばらし、一列に貼っている。そこで何気なく毎日見ていたから覚えていたのか、それとも、その頃が一番忙しいから、仕事を入れるなとか、そういうことで目にしていたのか、何となくだけど、立夏を思い出した。六花さんの、六に花ではなく、暦の上では夏だという、立つに夏。そう思いついた瞬間、二十四節季を思いついた。  夏生を半夏生だとし、秋史を秋分だとしたら? 清明という季節の用語もあるようだよ。春を示す言葉でね。あと、茂道の茂の草冠をのけると、(つちのえ)美寿子を(みずのえ)からとったとする。十干と二十四節季からとったとしたら、一月二十五日にも意味があるかもしれない。  一月二十五日は、土用で土を汚してはいけない日らしい。だけど、これはその年によって変わる。  私は思うのだけど、公人氏が亡くなった日、九月一日というのは二百十日。埋葬された九月十一日は二百二十日だという。この日は、正月から数えた日で、この日に嵐が来るという。  そううまくいくのか不明だけど、もし、公人氏がそれを計算に入れて、九月一日に亡くなるようにしたとしたら、ある意味、天才だと思う。だけど、公人氏はその日に亡くなり、それから計算して年明けの一月二十五日の土用に条件を満たしたものが、三十日に遺言を受け取る。ただし、三十日に意味はないと思う。ただただ、自分の亡くなる日、子供たちの名前の意味から、日付を設定しただけだと思う」 「で? それが、意味があるのか?」 「多分、子供たちの中でそれに気づいていた人は居たと思う。だから、一月二十五日の意味や、もしかすると、三十日の公開で何らかの暗号でもあるかと早合点するかもしれない。だけど、それはただの偶然で、お前たちの名前など適当につけたんだ。という意地の悪い告白なだけかもしれない」 「おい、いや、そんな意地の悪い、」実はそう言って、だが、今までの話しを考えれば、ありえないだろうという顔をした。 「じゃぁ、名前に意味がないとして、マザーグースのほうに意味があると?」 「多分」一華は少し考え、「怪しいのだけどね、インデアンの歌ってなかったっけ? 一人ずつ居なくなる、そう、アガサ・クリスティーの小説の、そしてだれも居なくなったのあのベースになったあの歌」 「ああ、十人のインディアンですね。 十人のインディアンの少年が食事に出かけた 一人が喉を詰まらせて九人になった 九人のインディアンの少年が、遅くまで起きていた 一人が寝過ごして八人になった 八人のインディアンの少年が、デヴォンを旅していた 一人がそこに残って七人になった 七人のインディアンの少年が、薪を割っていた 一人が自分をまっ二つに割って六人になった 六人のインディアンの少年が、ハチの巣にいたずらしていた 蜂が一人を刺して五人になった 五人のインディアンの少年が、訴訟を起こした 一人が裁判所に行って四人になった 四人のインディアンの少年が、海に出かけ 一人が燻製のニシンに飲まれ三人になった 三人のインディアンの少年が、動物園を歩いていた 大熊が一人を抱きしめ二人になった 二人のインディアンの少年が日向に座った 一人が陽に焼かれ一人になった 一人のインディアンの少年は、一人ぼっちで暮らしていた 彼が結婚して、そして、誰もいなくなった」  エミリはそう暗唱しながらだんだんと眉間にしわを寄せて行った。 「でも、でも、でも……夏生君が行ったことと、同じ……。でも、でも、公人氏も、同じ、事を?」 「公人氏と夏生君が結託したり、考えが同調したかどうかは不明だけど、公人氏は少なくてもこの歌の通りになればいいと思っていたはず。  たまたま、お兄さんが餅を咽喉に詰まらせた。弟が火事で逃げ遅れた。ほらすでに二人が居無くなった状態が完成している。おまけに家を飛び出て行った至さんが居て、7人になった。  茂道さんの会社が不正をしていることを知らなかったとは思えないから、もしかすると、居なくなるかもしれないと思っていたかもしれない。美寿子さんの不倫でも、バレるだろうと。  ただ、蜂に刺されたり、ニシンに当たったりなんてことは、偶然でしかないかもしれない。そこまでの工作はできなかっただろうし。  でも、もしよ。もし、公人氏と筒井さんの間で、いや、大奥様と筒井さんの間でのみ存在していた暗黙のルール。食事に関して、跡取りである秋史さんには他より大きく、立派なものを用意する。ということがあったら。同じ入れ物からとったのかしら? と思わない? ただ、それが昨日、今日の話しではなく、生まれた時からのルールで、筒井さんすら忘れているようなことだったら。同じからとりました。は実は、同じ保管場所―冷蔵庫とか―から出したけど、入れ物は別です。という可能性だってある。それは誰も解らないからね。  夏生君が台所に入って、そのルールにのっとって、大きいニシンを腐らせることが出来たかどうか? は解らない。公人氏が用意したかどうかも解らない。もちろん筒井さんは用意しないでしょう。ただの偶然かもしれないし、そうじゃないかもしれない。考えすぎにしては、マザーグース通りニシンによっていなくなってしまったから、気になるよね。  マザーグースは本当にたまたまそれになぞらえてしまっただけかもしれないし、実は、公人氏が用意したことかもしれない。  でも、本当のことは公人氏が遺言のすべてを開示した時解ると思う。そして、その時、私が想像できたものだとすると、わりと、平凡な意地悪だったと思うだけ―。もし、これ以上だったら、ちょっと、引くかな」  一華はそう言ってお茶を口に含んだ。
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