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言えなかった言葉
「どうして……」
ジェスはつぶやいた。
「どうして、みんなリーサをそっとしておいてやらないんだ」
せっかく取り戻したリーサは、リーサではなくなっていた。医療魔術師の手当てを受けてはいるが、記憶改竄の魔術の影響は強く、記憶を取り戻すには時間がかかりそうだという。
ヴァンディリア公も本物の公女も、戦で討たれて今は亡い。故に、帝国の一部に公女の記憶を持つ彼女を取り返し、お飾りの旗頭に据えようという動きがある──という情報を得た連合軍は、リーサの近辺に護衛を置くよう命じ、それに志願したのがジェスだった。
帝国の魔術師にとっても、彼女は貴重な実験の成功例であり、喉から手が出る程に欲しい研究材料の筈だった。帝国は、当分彼女を放っておくつもりはないと思われる。
(だが、こちらも似たようなものだ)
アルマは思った。
彼女を〈姫〉という符丁を使ってまで手厚く保護しているのも、ひとえに彼女が皇帝の実験の被害者だからだ。連合軍の上の者達は、未だ中立を保ついくつかの国に対して、皇帝の非道さをアピールする生き証人として彼女を使おうとしている。
魔術師連盟にしても、記憶改竄の魔術の解呪方法を研究する為に医療魔術師を派遣している。解呪出来れば、逆にその魔術をかける方法も確立する。やっていることはさして変わらないのだ。
「いずれ彼女の記憶が戻ったら、君は彼女に言ってやるのか? ……言えなかった、求婚の言葉を」
話題を変えるべく、アルマはジェスにそう言葉をかけた。ジェスは一瞬意外そうな表情を見せたが、すぐに複雑な顔で自分の両手に眼を落とした。
「……わかりません」
ジェスは答えた。
「戦場に出て、俺は知ってしまいました。──敵を斬り倒す時の手応えや、……その時の何とも言えない愉悦を」
変わってしまったのは、リーサ以上に俺の方かも知れない。多分今の俺は、リーサが知っていた頃の俺ではない。
戦とは言え、何人もの敵兵を殺した。その手で俺は、リーサを抱きしめることが出来るのか?
「それでも……リーサを守ることだけはやり遂げたい。あの時何も出来なかった代わりに。だから俺は、この任務に志願したんです」
「……そうか」
アルマは目を伏せた。
「ん……」
その時、リーサの口から声が漏れた。
「〈姫〉が目を覚まします」
医療魔術師が言った。
*
夢を、見た気がする。
無理矢理に馬車に乗せられる夢。誰かがそれを止めようとするが、聞き入れられない。
目覚めるに連れ、夢は不確かなものとなり、意識の彼方に消えて行く。何か、あった筈なのに。誰かに言われなかった言葉、誰かに言えなかった言葉が。
私はそれをつかもうとした。意識が、浮かび上がって行く。
私は目を開いた。
医療魔術師が、私の顔を覗き込んでいた。他にも誰かいるようだ。医療魔術師が訊いた。
「ごきげんよう、〈姫〉様。あなたのお名前は?」
「私は──」
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