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1・不安と焦燥
男は息苦しさで目を覚ました。
見えるのはベッドの真上にある天井の木目。
そして、聞こえるのは自身の荒い呼吸音だけ。
硬直したまま眠ってしまったせいか、全身が重い。関節を動かすたびにぎしぎしと軋むようだ。
虚無でまどろむ意識が、一息つくごとに現実に引き戻されていく。
と、男が弾かれたように枕元にあるスマホを乱暴に掴む。大急ぎでロックを解除しようとするが、伸びっぱなしの爪のせいで中々上手くいかない。
ようやくロックを解除し、着信履歴を確認する。
……しかし、着信はない。メッセージやメールの類も同様だった。
男はスマホをベッドに放り投げ、ため息をついた。不安と焦燥感が部屋中に広がり、ぐるぐると渦を巻いて加速していく。
彼女が、行方不明になった――。
男には、できたばかりの恋人がいた。彼女の名は山口瀬奈。
彼女の性格は穏やかで、誰に対しても優しく接するタイプだ。現在は食品メーカーに勤める社会人二年目で、グルメとスポーツをこよなく愛する女性である。ちなみに、男との出会いのきっかけも、数週間前の食事の場だ。
そんな瀬奈から突然「多可盛山に登ってくる」とチャットのメッセージが届いたのが、今から三日前の朝。アウトドア好きの彼女であれば、予定としては充分にありえる話だ。しかし、なぜ事前に言ってくれなかったのか。違和感を感じた男は、務めて冷静に登る理由や同行者などを聞き出そうとした。
……が、質問は微妙にはぐらかされたままで、それ以降、彼女へ送ったメッセージは未読のまま今に至るのである。
行方不明の通報を受けた警察は、消防や自治体と協力して捜索隊を結成した。
とはいえ、多可盛山は標高1000メートルもなく、登山地ではなく観光地として知られるスポットである。迷子こそたまにいるものの、遭難者など記録にないほど平坦な山なのだ。
また、季節は行楽向きの秋。
すぐに発見されるだろうと、誰もが思っていた。
しかし――
手掛かりは一向につかめず時間だけが過ぎていった。
それどころか、サバイバルのプロであるはずの捜索隊員が二次遭難しかかるという信じがたい事態まで発生する始末。くしくも、隣の市でひと月前に発生した殺人事件の犯人が捕まっていないこともあり、関係者の間には重苦しい空気が漂い始めていた。
男は、捜索隊の責任者との会話を思い出す。その際に何度も念を押されたのは、現地で探すのは捜索隊に任せてほしい、安易に自身で探したりしないように、と言う注意点だった。
……しかし、三日たっても結果が出せないような奴らにこれ以上任せてはおけない。
男はサングラスをかけ、カーキ色のウィンドブレーカーに袖を通して家を飛び出した。
暗い空には重い雲が垂れ込め、冷え切った空気は冬の到来を感じさせた。
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