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第一夜 五節の舞姫
859年、清和天皇の御代の春先。天皇即位後の大嘗祭の宴は、随分と前から人々の注目を集めていた。
なぜなら、今をときめく藤原北家の娘、藤原高子が今夜は五節の舞姫をつとめることになっていたからである。高子は年齢としては適齢期を過ぎた18歳ではあったが、8歳年下の清和天皇の第一后候補であった。
当代一の美貌で純潔の巫女姫と名高い彼女が4~5人の舞姫を従えて踊るこの宴は、当時の一大イベントとして今、まさに盛大に行われようとしていた。
§§§
「ほう」
星空の下に明々と燃える松明に照らし出された舞台を美麗な麗人はある感慨を込めて見上げた。
月光が玲瓏と闇に浮かぶ彼の美貌を照らし出す。
麗人の名前は在原業平。
その系譜を辿れば祖父は平城天皇、父は阿保親王という、とても由緒ある血筋ではあるが、父の阿保親王は後継者争いから脱落したことを機に、在原業平も臣籍に降下して武官となっていた。
所謂エリートコースから外れている彼だが、今の都で彼を知らない者はいない、という程の超有名人であった。
どれぐらい有名かというと、彼をモデルに都でもてはやされている「伊勢物語」では、町で在原業平に一目惚れをすると、恋い焦がれるあまり亡くなる者が後を絶たないだとか、彼と関係を持った女性は3733人も居る、だとかの怪しげな噂が常に老若男女の話題にのぼり、彼のことを都で知らない者は生まれたての赤子ぐらいだと囁かれるほどである。
それほど、彼は美しかった。いや、人外の存在であるかのように、美し過ぎた。
かの唐国から帰国した高僧ならば、彼の人ならぬ正体、彼の抱える秘密を見抜けたやもしれない。
だが……。
今の都で彼の正体に気づける者は居なかった。
彼の正体とは?
例えば、彼の抱えるその闇に対する性欲のような渇望感だったり、常に満たされない飢餓感や太陽光への生理的心理的恐怖だったり、間欠的に沸き上がる衝動、そして、彼の生きる糧でもある女達への……果てない嗜好。
そういったものに少しでも気づいた者ならば、看破出来たのかもしれない。
そう。
彼は遥か遠く大陸から渡ってきた呪われた闇の一族の血脈をその半身に受け継いでいた。
三十五年前、遥かトランシルヴァニアから極東に流れ着いた禁断の棺を開けたのは、桓武天皇の第八皇女、伊都内親王。 彼の母親である。
ゆえに業平は闇の中に溶けるように、誰にも気づかれず移動することが出来た。
あっという間に、暗闇に潜んで舞台に近づいていく。
「凄い人出だな……」
業平は呟いた。
眼下の舞台の周囲は見たこともないほどの人垣が出来ていた。
この世のものとも思えぬほど美しい美姫であるという噂の藤原高子に、是非一目だけでもという好奇心の強い者で会場の外まで人が溢れる前代未聞の事態が起きていたのだ。
誰もが本当に噂に違わぬ美女であるのか、自分の目で確かめてみたいと興奮して口々に叫んでおり、会場は異様な雰囲気に包まれていた。
「まぁ、私も野次馬達の一人みたいなモノですが……」
自嘲気味に業平はそう嗤うと、トンとまるで重力を無視したような軽い優雅な身のこなしで、櫓の上まで飛び上がった。
そして、月光を背に舞台を見下ろせる櫓の天辺に片肘をつき、寛いだ様子で腰かける。
その様子は、なんと傍若無人なことか。
彼の影が櫓の下に居る者にサッと落ちた途端、鋭い誰何がとんだ。
「誰だ?」
業平は声の主を見た。
御所の警備の者達だ。
「ここの席に許可は必要か?」
「あぁ、あなた様は……」
どす黒く頬を染めた警備の猛者達の口から思わず、称賛の言葉が漏れる。
「何とお綺麗な……」
業平の、櫓の屋根に建てられた柱に背を持たせかけて座る秀麗甘美な姿は見る者を陶然とさせた。
「あぁ」
「私のことは見なかったことにしておくれ」
業平の黒金のように輝く瞳が瞬時に別の妖しい輝きに変わった。
まるで、血のような色に虹彩が輝く。
「は……」
業平を惚けたように見つめていた男達は痙攣するように身体を震わせると、瞳に妖しい赤光を灯した。
そして全員、夢遊病者のようにヨタヨタと櫓から離れ、 御所の方角へ歩いていく。
「さてと。文字通り高見の見物をさせてもらうとするか……」
業平は涼しい顔に戻り、瞬きした。
その瞳は元の黒曜石のような輝きに戻っていた。
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