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第二夜 微笑
「そろそろ始まる頃合いかと思うんだが……」
櫓の天辺に居る業平の所まで地上から、ムッとするような熱気が舞い上がってきていた。
この季節にしては今夜は温かい夜だった。
火桶や焚き火も充分すぎるほど用意されていたが、人々の熱気ともあいまって蒸せるような熱気がたちこめ、熱すぎるぐらいの会場の空気に人々は汗ばんで、着物を脱いでしまう者もいた。
地上の宴の席では、上席の官位の者から美酒がどんどん運ばれ振る舞われていく。
やがて琵琶、筝などが奏でられはじめ、笙や笛の音も加わり、盛大な合奏がはじまった。
楽人が奏でる曲は春の気配に満ち、これから始まる季節への喜びを感じさせる壮大な唐の曲で、その素晴らしい合奏は舞台につめかけた人々を大いに満足させた。
「舞姫が五節所に入ったぞ!」
人々のざわめきが退屈のあまり、ウトウトと居眠りしかけていた業平の耳に入った。いよいよ、本日のメインイベントの五節舞がはじまるようだ。
清和天皇は直衣指貫に沓をはき、清涼殿から近習の公卿を従えて舞台に設けられた大師(舞姫に舞を教える人)の局にて、お目当ての舞姫が出てくるのを今か今かと待ち構えていた。
舞台上では舞姫達が火取を持つ童女、茵(布団)を持つ童女、几帳3本を持つ女房を先立てて舞殿にはいり、茵に座して並んで座る。
大哥(古風の歌を歌う人)、小哥(当世の歌を歌う人)が発声し、いよいよ舞が始まった。
カツン!カンカンカン!カンッ!
笏拍子の音とともに大嘗祭舞台の中央に、鮮やかな朱色と金を基調にした衣を纏った舞姫の鮮やかな大輪の花が咲く。
(うわぁぁぁ……!!)
(なんと、見事な……!まるで天女のようだ)
(これは、噂以上の姫巫女……!)
何人かいる他の舞姫が背景に見えるほどの圧倒的な存在感。
「成る程。これが、藤原高子か……」
業平は、食い入るように舞台の中央で羽毛のような軽さで見事に舞を奉納する高子を見つめた。
かつて、彼は伊勢斎宮が舞ったものをみたことがあるが高子の舞とは比べ物にならなかった。
彼女の魅力的に生き生きとした輝く瞳、抜けるような白い滑らかな芸術品のような肌、小振りながら整った目鼻立ち、絹糸のような見事な流れるような髪、見事な足さばきからそれとわかるしなやかな肢体……。
業平はその姿に胸が踊り、心が鷲掴みにされた。
舞の終盤、業平の方向に高子はその舞に真っ直ぐにひたむきな視線を向けた。
そして、フワッと笑ったのだ。
「まさか、私に気づいた……!?」
楽の音色が終わって、舞姫たちが去っても業平は彼にしては珍しく、群衆と同じように茫然としていた。
「あ……ぁ……あ……」
彼は頭を抱えて踞った。
何か、今まで感じたことのない、押さえられない衝動が全身をかけめぐるような感覚にとらわれて立っていられない。
その脳裏には、いつまでも高子の最後の微笑が焼きついて離れなかった。
「高子……姫!」
彼は、体内を抑えられない危険な何かが出口を求めて荒れ狂うのを感じ、血が滲むまで唇を噛みしめた。
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