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02. 嘘つきアヤ
小学生時代、四年生くらいからの記憶は今も鮮明だ。あの頃の私は、周りの皆をからかうのが大好きだった。
登校中にロープの切れ端を拾ったら、すかさず左右に細かく振って、蛇だと友人を驚かす。
給食を喉に詰まらせたフリをしたり、赤い絵の具まみれにした手を見せて、指を切ったと騙したり。
一番の被害者は、同じ町内に住む紗代ちゃんだろう。
「アヤアヤ、やめてよ! もうっ」
何度こう言わせたことか。
ちなみに、アヤアヤという珍妙な渾名は定着しなかった。
綾月亜耶、アヤが二回も続くからアヤアヤ。
“アヤアヤ”は中学に上がる時には廃れ、親しい友だちは私をアヤと呼ぶようになる。
変わったのは呼び方だけじゃなく、イタズラの傾向もだった。
男子顔負けの行動は鳴りを潜め、替わって口で相手を煙に巻くことが増える。
お気に入りは、「見える」パターン。喋っている途中で、何かに気づいたように宙を凝視したところで、慌てて目を逸らす。
身内に不幸があった? なんて尋ねれば、顔をヒクつかせる級友もいた。
決めゼリフは、「知らなくていいこともある」だ。
いい加減、私の言動に慣れてきた紗代に取って代わって、中学時代の被害者筆頭は勝海が担った。
日坂勝海、同じ高校へ進学した上に、中高ずっと一緒のクラスになった腐れ縁。
新鮮味に著しく欠ける男子だけど、イタズラへの反応は抜群にいい。
どうもオカルト系を少し信じているようで、真面目な顔で背後霊を見てくれと頼まれたこともあった。
単純というか、騙されやすいというか。
念を込めた消しゴムだから、お守りになるって吹き込み、ピンクのプラ消しを渡してみた。
勝海はその消しゴムを一度も使わず、その癖、毎日学校へ持って来ていたようだ。
将来、詐欺に遭うんじゃないかと、心配するレベルだよ。
ウソつきアヤ――そんなありがたくない二つ名まで作られたけど、人を傷つけるようなウソは言ってない。
みんな楽しんで、笑ってくれていたもの。
高校受験を控えた中三の冬休み、二階の自室で勉強していた私は、祖母に下から呼ばれた。
当時、私が一緒に暮らす家族は二人。母と、母の母、つまりお婆ちゃんと私の三人で、郊外の一戸建に住んでいた。
母は夜遅くまで働いたので、幼い私の面倒を見たのは、もっぱらお婆ちゃんだ。
中学には私も家事の多くを担うようになり、楽が出来ると喜んでもらえた。
普段、勉強中に呼び出されることはほとんどないので、用件を訝しんで階段を下りる。
ダイニングにいたお婆ちゃんは、おやつの時間だと私を対面に座らせた。
皿に載った鯛焼きが二つ、テーブルの真ん中で微かに湯気を立てている。色の違う二匹は、味も異なるみたいだ。
「珍しく、スーパーに屋台が出張してきてたんだよ。白いのがクリーム、黒いのがチョコ入りなんだって」
「どっちが私?」
「どっちでも。両方とも亜耶に合わせたから。私は餡子の方が好きだけどねえ」
甘い物は疲れた頭にも効く、という助言は、私も聞いたことがあった。
鯛焼きが何より効果が高いとまでお婆ちゃんは言ったけど、これは今以って他で聞いたことはない。
本当かどうか分からない教えを混ぜてくるのが、祖母の常だった。私のイタズラ好きは、隔世遺伝じゃないかと感じたりもする。
頭から鯛焼きを齧り始めた私は、お婆ちゃんがモソモソと口を動かすのを見て、食べるペースを落とした。
お互いの鯛焼きが半分くらいになった時、「学校から電話があった」と告げられる。
「いつ?」
「昼ご飯のすぐあとに。山崎さんに、おまじないを教えたんだって?」
「あー……」
その場で七回くるくる回り、鏡に向かって「ガブルガブルポン!」と叫ぶ。これを毎日、朝昼晩と三回繰り返せば、学業成就は間違い無し。受験もバッチリ。
もちろん、咄嗟に口から出た私のオリジナルおまじないだ。
同じクラスの山崎さんが、随分と浮かない顔をしていたものだから、元気づけのつもりで休み前に教えてあげたのだった。
まさかそんな呪文を、本当に毎日唱えていたとは。
奇行を心配した母親が彼女を問い詰めたところ、私の仕業と発覚する。怒った親は学校へ一報を入れ、担任から家へと連絡が来た。
私が謝罪しないことには、収まりがつかないらしい。
「電話しとく。晩御飯のあとにでも――」
「鯛焼きを食べ終わったら、ね」
「……はーい」
ともかくも、残る尻尾に取り掛かった私へ、お婆ちゃんは神妙な口調で諭した。
「相手を困らせる嘘は、よくないよ」
「分かってるって。楽しく遊んでるだけ。山崎さんは、ちょっと真面目過ぎるんだよ」
「綾が遊んでるつもりでも、言われた方は傷つくこともあるの」
あのね、と、秘密を打ち明けるようにお婆ちゃんの声が低くなる。
「嘘を百八回。百と八回、相手を傷つけると、大変なことになるよ」
「……どうなるの?」
「カワウソになっちゃう」
「は? 何が?」
皺まみれで節ばった人差し指が、私の鼻の辺りへビシッと突き出された。
そんな馬鹿な、と吹き出しかけた私を黙らせる勢いで、お婆ちゃんは「本当よ」と至って真剣に付け加える。
自分の方がよっぽど年期の入った嘘つきじゃないかと、この時は呆れた。
でも、こういう嘘は大好物だ。
動物園にいるカワウソは、一体誰が変化したものやら。
次々と生まれるカワウソで溢れる街を想像して、結局、クスクスと笑い出してしまう。
鯛焼きを平らげた私は、お婆ちゃんの前で山崎さんに電話をさせられた。
正直に勝る嘘は無し、とかなんとか、分かりづらいお婆ちゃん謹製の格言で締めて、この日はおしまい。
言動の若いお婆ちゃんだったけど、実際にはかなり老けていた。
母は末娘なため、祖母はこの時にはもう七十に届こうかという歳だ。それでも、まだ床に臥せってしまう年齢ではない。
大学生になったら、今度は私が和菓子でも買ってあげようと考えていた。
そんな計画は、すぐに実現できなくなる。
高校三年の秋、お婆ちゃんは脳梗塞で倒れ、十日後に病院で亡くなった。
突然過ぎると、今も思う。事態を呑み込むのにえらく手間取って、葬儀でも他人事に感じて泣きはしなかった。
お婆ちゃんの部屋に仏壇が置かれ、そこに買ってきた鯛焼きを供えて線香を上げる。初七日が済んだあとのことだ。
私も一緒に食べようと、自分用も忘れずに用意した。
微笑む遺影を見つめたのが、きっかけだった気がする。
「なんでよ……この間まで元気だったじゃん……」
この時初めて、感情が大波の如く押し寄せた私は、チョコ味に口をつけることが出来なかった。
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