05. 朝になっても

1/1
前へ
/15ページ
次へ

05. 朝になっても

 白く丸いウミガメのぬいぐるみは、座布団代わりにもなる大型のクッションだ。  ミャアはその上に身を沈め、膝掛けを布団にして寝た。  場所は壁際、ベッドからは最も遠い位置ではあったものの、首を曲げれば寝姿が確認できる。  襲ったりしないし、それどころか私の身を案じる味方だと、ミャアは懸命に説明していた。  それで安心できれば、快眠できるんだけどね。  得体の知れない何かが近くにいると思えば、寝も浅くなるというもの。  たまにギュフッだか、ギギッだか唸るもんだから、その度に(まぶた)を開けてしまった。  声を除けばピクリとも動かないのを見ると、ミャアは熟睡しているらしく腹立たしい。  結局、まともに寝られたのは数時間くらいではなかろうか。  カーテン越しに朝日が届き、部屋が薄ら明るくなっても、しばらくは身体を休めるべく眠っておこうと頑張った。  だが、牛乳配達も済んだこの時間、二度寝するにはもう遅い。  午前六時五十五分。  本当なら、もう三十分は寝られたのに。  ……言い過ぎか。遅刻したくないなら、プラス十五分が限度。その十五分が、冬の朝にはとてつもなく貴重なんだけども。  甚だ残念ながら、朝が来てもミャアはいた。  やや背中を丸め、私に向かって横向きに惰眠を貪っている。半身をカメクッションに沈めた様子は、実に快適そうだ。  ベッドから抜け出した私は、足音を忍ばせて窓に近づいた。  カーテンを少し開くと、差し込んだ光が部屋の中を照らしてくれる。  ミャアが起きないのを確認し、今度はそうっとクッションへと歩み寄った。  傍らにしゃがむと、幸せそうな寝息が聞こえる。  腹立たしい。  暗がりでは奇っ怪な化け猫に思えたのに、明るい場所では単なる小動物にしか見えなかった。  動物には詳しくないものの、小さな頭に長い胴体は、確かにカワウソに近い。  可愛いもの好きの紗代に、カワウソが遊ぶ動画を見せられれたことがあったが、形だけならそっくりだ。  ただ、本物はもっと茶色かったはず。オレンジ色の体毛は、キツネやレッサーパンダを連想させた。  どうしたものだろう。  ペット用のケージを買ってくればいいのかな。  クローゼットに閉じ込めるって手もある。  いや、と、浅はかな考えを自ら否定した。  受け入れてはダメだ。  押しかけペット、それも妖怪系なんて、ロクなことになりそうもない。  叩き出す、起こして説得する、ガムテープで拘束する、と対策を思案し、最も安易な案を採用することにした。  見なかったことにして、逃げる。  登校前に、難しいことを考えるのはよそう。  帰宅して尚、ミャアが居座っているなら、その時に悩めばいい。  殺虫剤の予備も欲しいしね。  そうと決まれば、見つかる前に登校だ。  より慎重に、衣擦(きぬず)れすら起こさぬように注意を払い、ハンガーラックに引っ掛けた制服へ手を伸ばす。  ブレザーとスカート、加えてシャツやタイツなんかをベッドの上に並べれば、準備完了。  五秒だ。  無音で五秒を狙う。  いつの間に着替えたの!? と体育の度に驚かれるくらいなのだから、やれば出来る。多分。  残像を産む勢いでパジャマを脱ぎ、クルクルと一瞬で黒タイツを装着すれば、あとは大して難しくない。  シャツにスカート、白ベストと進み、上着を羽織れば、はいっ、終了。  見よ、この早業!  スマホを充電コードから抜き、準備済みのバッグを持って扉へ向かう。  この間、ミャアは寝言も立てずに、静止したままだ。  ドアハンドルに手をかけた時、もう一度、闖入者へと振り返った。  本当に物の怪なら写真に撮れるのだろうか、なんて考える。上手く写せたら、紗代に相談する際にも証拠に使えそうだ。  スマホをミャアに掲げて、撮影ボタンをタッチ。これがマズかった。  予想以上にシャッター音は大きく響き、オレンジ色の頭が持ち上がる。 「うーん、おはよ。早起きだね」 「やっぱり喋るんだ……」 「何を今さら。えっ、まだ信じてないの?」  信じたくない、が正しい。朝からカワウソと対話していると、自分の気が狂ったようにも思えてくる。  ともかくも、続きは夜にしよう。それまで大人しくカメと寝ておけ、そう命じる言葉に被せて、ミャアは朗らかに質問した。 「ねえねえ、朝ごはんは何?」 「……食べるの?」 「食べないの?」 「私は食べる。カワウソ用は無い」 「えぇーっ!」  カワウソの食事って何だ。虫? 生魚?  そんな用意があるわけなかろうと、人としての常識を説く。カワウソだけど。  ところが、ミャアは人間と同じ物を食べるそうだ。  箸も持てないくせに、お茶漬けがいいとか、味噌汁の具はワカメよりキノコがいいだとか。  どういう嗜好なんだ、こいつは。 「朝は忙しいからトーストとジュース、ご飯なんて炊きません」 「あっ、パンも好きだよ。ピーナッツバター?」 「……ブルーベリージャム」 「いいね! 朝ごはんは大事だもん。ホントはさ、食べなくても平気なんだけど」  じゃあ食べんな、と言い放ったところ、ミャアは腹を天井に向けて大の字に転がってみせた。  ギューギューと唸りつつ、四つ脚をバタつかせるポーズは、最大級の抗議を表しているらしい。  仰向けになっているうちに脱出しようと扉を開けた途端、今度は猛ダッシュで駆け寄ってきた。 「ぶるう、べりいぃーっ」とか叫びながら。  私の足元を摺り抜けたミャアは、先に階段まで行き、遅いとばかりに振り返る。  こちらを待つ気は無いようで、すぐにピョンピョンと一階へ下りていった。どうだろう、この我が物顔で走る姿は。  ダイニングまで一直線に駆け、私が追いついた時には、既に椅子に立って配膳を待ち構えていた。  テーブルの周りに置かれた椅子は三脚。私と母が使う場所を避けて、ミャアはちゃんと予備の椅子を選んだ。  偶然なのか、カワウソの嗅覚が成せるワザなのか。  母は一足先に出勤しているので、この騒動に巻き込む心配は無い。  逆に関わってもらった方がいい気もするので、それも帰宅後に検討しよう。  オーブントースターに食パンをセットしつつ、インスタントのコーヒーを準備する。  ジュースでないのを見たミャアは、またヒゲを揺すらせて抗議を始めた。 「それ知ってるよ。苦くて飲めない」 「頭をスッキリさせたいから。誰のせいだと思ってんの」 「すごく苦い。飲めないもん」 「分かったわよ。アンタの分は、オレンジジュースにすればいいんでしょ」 「ぎゅっぎゅーっ!」  これは快哉のつもりかな。どれも「ぎゅー」じゃ、微妙で判別しづらい。  焼けたパンにジャムを塗り、皿に乗せてミャアの前へ。  ジュースが出揃うのを待っているのを見ると、一応の行儀は(わきま)えているみたいだ。  やや斜めに向き合って座り、無言でパンの耳から齧る。齧りながら、ミャアがどうやって食べるのかを窺った。 「いただきます」  手まで合わせたよ。器用だな、カワウソ。  二口、三口、苦労する様子も見せず食べ進め、美味しーっと感想を言ったところで、ひと休憩。  さすがにグラスは持ちにくいらしく、手元に引き寄せて、鼻先を中へ突っ込んだ。  これじゃ最後まで飲めそうもないので、溜め息混じりにストローを探しに立ち上がる。 「あっ、座って座って」 「何よ、それじゃちゃんと飲めないでしょ」 「あとでいいから。まずは大事な話をしないと」  ぎゅへんっと喉を整えたミャアは、ここにきてやっと、自分が現れた理由を語り出した。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加