第23話 5000兆円で幸せになってみた

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第23話 5000兆円で幸せになってみた

 普段は全く自分の考えを言わず、ただ置き物のようにぼんやり座っているだけの和夫。そんな彼から出てきた意外なほどに強い言葉に、一同がしんと静まり返った。 「なんか、この十年で何となく分かってきたんだよ俺。お金が人を幸せにする時って二種類あってさ、食うに困らないお金を持って『これで将来は大丈夫』って安心する時と、お金を使って『使ってよかったなぁ』って満足する時なんだ」  最初はポツポツと割れ目から染み出てくるようだった彼のつたない言葉が、まるで一か所が崩れた堤防がそこを起点に一気に決壊していくように、次第に早く、勢いよく流れ出しはじめた。 「借金してた頃の昔の俺は『将来は大丈夫』っていう安心の方は一つも無かったけど、『お金を使ってよかったなぁ』って満足する時は本当にたくさんあった。  今はさ、こんだけバカみたいな大金があるから、そりゃ将来への不安なんて何一つ無くなったよ。でもその代わりに、『お金を使ってよかったなぁ』って満足することも完全になくなっちまったんだ。  そんなことで不満を言うなんて贅沢だと思って、俺は今までずっと黙ってきてたけどさ。でも、やっぱりこれはこれで不幸なんだ。そのことが最近、やっと分かってきた」  そこまで言って和夫は大きなため息を一つ吐くと、いまいましげに言葉を続けた。 「もう、この十年で全部バカバカしくなっちまったんだ俺。  ただ自分が5000兆円を欲しいがためだけに、何一つ世の中の役に立たない、こんな形だけの無意味なことをやってさ。それで、FBIや警察の邪魔をして余計な仕事を増やして、カロカロ共和国の人に迷惑をかけて。しまいには自分、銃で撃たれて死にかけてんだぜ? ホント、くだらないにも程がある」  和夫は銃で撃たれた脇腹をさすった。痛み止めを飲んで普通に生活はできているが、ズキズキと下腹部に響くような鈍痛はずっと続いている。 「……なあ。何なんだよ俺たち。こんなんじゃ、俺たちただの社会のダニじゃん。  真面目に働いて何かを生み出して、生み出したものと引き換えにわずかなお金を受け取って、それで必死に生きてる人たちが世界中にはたくさんいるのにさ。  俺たち、そういう人たちが作ってくれた物の上にただ乗っかって、あぶく銭で他人の作ってくれた物を吸い上げて、それでブクブク太っているただのダニじゃん。違うか?」  和夫からそう言われて、誰一人言い返せる人はいなかった。 「なあ、本当にそれでいいのかよ俺たち。それじゃダメじゃねえの俺たち?  ――とはいっても俺バカだから、じゃあ具体的にこの金で何ができるか?って聞かれても何もアイデアは無いんだけどさ。  でも、このまま自分たちのためだけにこの金を使い続けてたら、俺たちは何一つ価値のない、どうしようもないクズだって事だけははっきり分かる。  だからせめて俺は、自分たちが普通に暮らせるくらいの金だけを残して、後は全部、募金でも何でもいいから、このお金を世界のために使いたいと思ってる」  誰も、言葉を発しない。  無事に契約を結び終えた解放感に包まれた和やかなお祝いムードに、一人だけ全く空気を読まない人間が、思いっきり冷水をぶっかけたような状況だった。空気を読まない男は、さらに必死な声で呼びかけ続けた。 「なあ。この十年間、ここにいる皆の話を横で聞いてきて、俺よーく分かったんだけどさ、アンタ達、全員が信じられないほど優秀で頭いいじゃん。俺みたいなバカと違って、凄いことをパッと思いついて、あっという間に実行しちゃうじゃん。  ……なあ、せっかくそんだけ頭いいんだからさ、何か考えようよ。せっかくのこの金を使って、少しでも世の中を良くする方法を考えようよ。  アンタ達、5000兆円を使い切るなんていう離れ業をやってのけた凄いメンバーなんだからさ。それくらいできるだろ? できるはずだよ」  気まずい静寂が場を包んだ。みな、親に叱られた子供のようなばつの悪そうな顔をしながら、和夫の言葉について何も答えず、ただ下を向いて考えこんでいる。  しばらくの沈黙のあと、セバスティアンが静かに口を開いた。 「和夫さん。それって口で言うのは簡単ですが、実行するのは大変ですよ」  仲の良いセバスティアンからの冷たい第一声に、和夫の顔が不安と悲しみで歪む。セバスティアンはその様子が目に入っていないかのように、容赦なく言葉を続けた。 「このお金を使って世の中を良くする……言葉で言うのは簡単ですけど、そもそも一体どんな世の中が『良い世の中』なんですか和夫さん?  誰もが平等で貧富の差のない世の中……確かに、良い世の中ですね。でも、頑張って努力しても、怠けてサボってても平等で全く差がつかなかったら、今度は頑張って努力した人のほうがかわいそうじゃないですか?  そこまで厳密な平等にしなくてもいいから、せめて食うに困る人がいない世の中にならないのか?……確かにそれも良い世の中ですね。でも和夫さん、食うに困っている誰かにお金をあげて救ったら、お金をもらえなかった人が怒りますよ。  俺も困っている、俺にも金をよこせ、ってみんな一斉に不満を言うはずです。そんな人たちに対して、本当に食うに困っている人だけを正確に選んで、全員平等に救うことができますか?」 「ちょっと待ってくれセバスティアン……。俺、そこまで深く考えてないよ。俺はただ、目の前の困っている人を救いたいだけなんだ……」  しどろもどろになった和夫に、セバスティアンは容赦なく厳しい言葉をさらに浴びせかけた。 「目の前の困っている人を救いたい――確かにそういう優しい心は大切です、和夫さん。でも、私たちが持っているのは1300兆円。その気になれば世界のかなりの部分を変えられるだけの力のあるお金なんです。  もし私たちがこの1300兆円を、私たちが『良い世の中にするため』に使ったとして、それで本当に『良い世の中』ができるって、和夫さん自信を持って言えますか?  私たちの目からみたら確かに『良い世の中』かもしれないけど、それは他の人の目からみたら、実は全然良くない世の中なのかもしれない。私たちが良かれと思ってやった事で、逆に困っている人がいるかもしれない。そういう可能性が絶対にないって、和夫さん断言できます?」 「う……」 「『良い世の中』って、人によって全然違うんですよ。だから難しいんです。  良い世の中を目指して、和夫さんが一人でささやかに何かをやる程度なら全然問題はないですよ。でも、それを1300兆円を使ってやるとなると、そんな簡単にはいきません。  1300兆円という強い力を使うということは、それだけの巨大な責任を負わなきゃいけないってことなんです。あなたはそれに耐えられますか、和夫さん?  結局、和夫さんのおっしゃられていた話は全部、理想論なんです。甘っちょろい夢物語なんです」 「……ああ、そうだな」  セバスティアンの辛辣な指摘に、和夫は恥ずかしさに泣きそうな顔で下を向いた。こんなもの、所詮は考えの足りないバカな自分が思いついた視野の狭い自己満足にすぎないことは、彼自身もいちおう自覚はしている。  たまたま自分に余裕ができたから、上から目線で他人の心配をしてやってる気になっているだけなんじゃないのか?と指摘されたら、自分の中にそういう傲慢な気持ちが全く無いとは決して言い切れない。  それに何より、しょせん自分は口だけで、それを実行する具体的なアイデアなんて何一つとして持っていないのだ。フワッとした理想を語ったところで、たぶん現実がそう甘くはないことくらいは、和夫にも何となく直感でわかる。  ところが、セバスティアンはそこで急に態度を変え、ニコッと爽やかに笑うと、和夫の肩を軽く叩いて優しい声で言った。 「――でも、好きですよ私はそういう夢物語」  その言葉に、半分涙目になっていた和夫は驚いて顔を上げ、救われたように何度もうなずいた。表面張力の限界に来ていた目尻の涙が、たまらずポロリと流れ落ちた。  すると、それまでむっつりと固い表情でその様子を見ていた片岡さんが、ハァと一度だけ強く息を吐くと、意を決したようにつぶやいた。 「私も、そういう夢物語は嫌いじゃない」  その言葉に促されるように、「私もだ」「いいねその話」と次第に同意する人が増え、最後は全員がすっかり和夫の意見に賛同していた。  和夫を囲んで笑みを浮かべる誰もが、この十年間で一度も見たことがないような、穏やかでありながらどこか強い意志を秘めた、いい笑顔をしていた。  「ありがとう……!ありがとう!」  和夫はだらしなく涙と鼻水を垂らしながら、優秀で頼れるチームのメンバー達に一人一人、何度も何度もペコペコと頭を下げ続けていた。  ――その一年後。  ある大富豪が匿名で巨額出資したという名目で、スイスに国際非営利組織「ゴールドウェル財団」が設立された。スイスの金生教支部が人知れず解体され、そこに塩漬けにされていた資金が、そのままこのゴールドウェル財団の設立資金に使われた。  この財団は、活動目標として世界の貧困撲滅、地球環境問題の解決を掲げていた。そしてこの目標達成に真に貢献できる泥臭い活動を慎重に選定し、力強く推進し始めた。  何しろ無尽蔵の資金を持つだけに、金に糸目をつけないその活動はきわめて活発で、ゴールドウェル財団の存在感は、世界中のあらゆる国家、組織にとって急速に無視できないものとなっていった。  奥田先生が集めたチームのメンバー達は当初、5000兆円が手に入ったら仕事などは全部リタイアして、リゾート地に贅沢な別荘を買って悠々自適に人生を謳歌するんだ、などといった夢をしきりに語り合っていたものだった。それなのに結局はいつの間にか、全員がこのゴールドウェル財団の幹部職に納まっている。  彼らは財団内の様々な委員会のリーダーに就任し、その優秀な能力を存分に生かして、社会を良くするための活動に精力的に取り組んでくれていた。  和夫と美知子は結局、日本に戻って暮らしている。  カルト教団によるテロはその後全く起こらず、FBIも段階的に警戒を解いていっった。アメリカの金生教支部はもう何年も前に解体されているし、他の国の支部もひっそりと解体しては、世界経済に影響を与えないように少しずつ少しずつ、秘かにゴールドウェル財団に資金を移している。金生教はその存在を人知れず消滅させつつあり、最終的にはFBIもテロ注意団体リストから金生教を除外した。  それでもう、和夫も日本で普通に生活しても問題ないだろうということになり、和夫と美知子はもう一度だけ密入国して日本に戻った。後日、何食わぬ顔をしてパスポートを申請してみたら無事に発行できたので、いまカロカロ共和国を訪問する際には、日本のパスポートを使って一般旅客として入国している。  久しぶりに和夫の自宅を訪ねたセバスティアンは、仲間たちの近況を説明した。 「みなさん、生き生きとゴールドウェル財団で大活躍されていますよ。全員、和夫さんにはとっても感謝していて、あの時、もし和夫さんが自分達を叱ってくれなければ、今のこんな充実した人生は無かったって、みんな口を揃えて言います」  セバスティアンからそう褒められて、和夫は「いや、俺は口だけで何もしてないし」と照れ臭そうに全力で否定した。 「いずれ我々の仲間の中から、ノーベル平和賞の受賞者が出るかもしれませんね」 「え!?そんなに凄いことやってんの?ゴールドウェル財団!?」 「ええ。1300兆円あれば大抵のことはできますよ」  そう言ってセバスティアンは涼しげに笑った。 「むしろ最近は、お金の使い方をどうルールで制限するかで苦労してます。  今はまだ5000兆円チームのメンバーが財団内で目を光らせていますから、変なことは起こりようがありませんけど、将来どうなるかは分かりません。何しろ、これだけの大金を持っている組織ですので油断は禁物なんです。金のあるところには必ず、悪い奴らが群がってきますからね。  もし将来、そんな悪い人間が財団に入り込んできたとしても、そういう奴らが好き勝手できないように、透明性が高くてすぐ不正がチェックできて、別の第三者が暴走に歯止めを掛けられるよう、鉄壁のルールと組織を作っておかなければなりません」 「なるほどね……大きなお金を使うって、本当に大変なんだな」  和夫はハァと感嘆のため息を吐いた。 「ええ。正義の組織は、一歩間違えるとすぐに悪の組織に堕ちますからね。大変なんですよ色々と」 「迷惑だったかな。あんな提案して」 「何を言ってるんですか。自信を持って下さい和夫さん。あの時の和夫さんの言葉が無かったら、私たちは今頃、有り余るお金にすっかり堕落させられて、正真正銘の社会のダニになっていましたから。本当に、皆が感謝していますよ」 「そんなもんかねぇ……」  まぁ、皆がそう思ってくれているならそれでいいか、と和夫はそれ以上深く考えることは止めて、素直に満足しておくことにした。 「それにしても、和夫さんはなんでカロカロ共和国に住まれないのですか?」  セバスティアンが不思議そうに尋ねると、和夫は笑って答えた。 「だって、カロカロ共和国にはパチンコも競馬もねえんだもん」  セバスティアンが呆れ顔で「そんなの、お金を賭けたところで面白くも何ともないでしょう?」と聞くと、和夫は「そうなんだよ。金が減ってもちっとも痛くも痒くもないから、賭けても全然スリルはないんだわ」と答えた。 「まぁ単なるゲームだと思って、今日は何円勝った、何円負けた、って喜んだり悔しがったりして、ゆるく楽しんでるよ。どうやら俺は、金が儲かるとか損するとかよりも、ギャンブル場の雰囲気とか、新聞を見ながらレースの展開をあれこれ考えて予想している時のワクワク感とか、そういうのが本当は好きだったみたい」  そして苦笑しながらこう言った。 「それとやっぱりさあ。何だかんだ言って、長年続けてきた習慣を今後も変わらずにずっと続けられるってのが、たぶん人間いちばん幸せなんだよなぁ」 (おわり)
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