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第13話 5000兆円で追われてみた
奥田先生の発案した5000兆円を使いきる作戦が始まって、五年が経過した。
この五年間で、先生は少しずつ信用できる仲間を増やし、世界各国に金生教の支部を着々と増やしていった。5000兆円のうち、現時点で金生教の支部に所有権を移して塩漬けにできたのは1300兆円。
十年後の期限まで残り半分となったのだから、5000兆円の半分にあたる2500兆円を使い終わっていなければペースが遅れているという計算になるが、奥田先生はそんなに焦ってはいなかった。
「最初の頃は宗教法人の立ち上げのやり方もよく分からなかったし、仲間も少なかったから作業が進むのも遅かった。でも今は信頼できる仲間が増えて、設立申請も手慣れてきてスピードが格段に上がっている。これくらいの遅れなら十分取り戻せる」
そんな風に言って奥田先生は胸を張った。
執事のように和夫と美知子の身の回りの世話を焼いてくれるセバスティアンも、世界中を何か国も渡り歩いて金生教の支部を何十個と立ち上げているうちに、今や経験豊富な団体設立手続きのプロのようになってい。
彼は月の半分くらいをヨーロッパで過ごして、欧州各国での金生教支部の設立手続きを進め、残り半分は日本にいて大学で研究をしている。日本ではワンルームマンションを借りて住んでいたが、最近は日本にいる間はほとんど金井家に入りびたっているので、自分のマンションに帰ることはあまりなくなった。
和夫と美知子の日常は、相変わらずのんびりしたものだ。
使いきれないほどのお金はあるけど贅沢はできないので、生活は昔と全く変わらない。無職だと怪しまれるというので、日に何時間かだけ簡単なアルバイトを入れていて、それ以外の時間はヒマを持て余している。和夫の趣味だったギャンブルも今は全く面白くなくなってしまったし、外で豪遊もできないので、家でダラダラとテレビを見るくらいしかやることがない。
「アメリカも、テロなんて大変ねぇ……。死者八百人だって」
「でも、今回のテロ起こしたのは同じアメリカ人なんだろ? アメリカを憎んでる国が外国から専門のテロリストを送り込んだんじゃなくて、日本のオウム真理教みたいな、アメリカ人の作ったカルトが起こした意味不明なテロ」
「でも、そんなんで八百人も殺されちゃうなんてなぁ……」
二人が見ているテレビは、数日前にアメリカで起きた無差別テロ事件のニュースでもちきりだった。
アメリカの中西部の都市で、「最後の福音者」を名乗るカルト宗教団体が、世界の終末の始まりだと称して、市庁舎と中心街のオフィスビルに爆弾を仕掛けた。その爆弾の爆発によって二つのビルは完全に倒壊、約八百人の死者が出たのだという。
「こんな意味不明な怖い宗教と比べたら、私たちの金生教なんて平和よね」
「ホント。世界中の宗教団体がみんな金生教みたいになればいいのに」
まるで他人事のようにのんびり構えていた和夫と美知子は、この後、まさかこの事件の余波が自分達の身の上に大きく降りかかってくるなどとは全く思いもよらなかった。
「最後の福音者」のテロ事件は、しばらくニュースとワイドショーを騒がしていたが、どうせまたいつものニュースと同様に、ひと月もしたら何事もなかったように時間の波に埋もれていくんだろうなと和夫などは思っていた。
ところが、次々とこの謎の教団に関する新たな事実が明らかになるにつれ、この事件は予想以上にズルズルと尾を引いたのだった。
まず、このカルト教団が有する予想以上に潤沢な資金が世間を驚かせた。
「最後の福音者」は、アメリカ国内の十の銀行に分散させて、合計5000万ドルの銀行預金を保有していた。それだけでも衝撃だったが、スイスとオランダの銀行にも1000万ドルずつ預金があったことがその後の調べで判明した。
そして彼らは、その豊富な資金を使って武器弾薬を買い揃え、ニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルス、シカゴ郊外の秘密の保管庫に大量にストックしていたのである。ストックされていた武器の中には、民間人が簡単に買えるレベルをはるかに超えた、重機関銃、対戦車擲弾といった本格的な火器なども多数含まれていた。
「最後の福音者」の教義ははっきりしない。カリスマ的教祖の言葉がそのまま教義となっているような状態で、判明しているのはただ、彼らが世界の終末の到来を信じ、それに向けて備えているということくらいだ。
そんないいかげんな宗教だというのに、このカルト教団には驚くほど多くの人たちが吸い寄せられるように集まった。信者となった者たちは、誰もが自分の置かれた状況に強烈な不満をもち、現在の社会体制に偏執的な敵意を抱いていた。
彼らは、現在の社会で特権階級に位置し、不当な利益を貪っている邪悪な者たちに正義の鉄槌を下すのだという歪んだ使命感に駆られていた。それで、特権階級でも何でもない罪もない人々が普通に仕事をしていた市庁舎とオフィスビルを、悪の巣窟だなどと称して、何の予告もなくいきなり爆破したのである。
この意味不明すぎる理不尽な暴挙に、アメリカだけでなく世界中が震撼した。社会学者たちはこのテロ事件の背景にある現代社会の病理を口やかましく論じ、一般市民たちは理不尽なテロリストに対する憤りを訴え、反社会的組織に対する監視と規制の強化を政府に求めた。
そして、その矛先は何の罪もない世間一般の宗教団体に対しても向けられた。
まず、なぜ「最後の福音者」が誰にも気づかれる事なく巨額の資金を蓄え、人知れず大量の武器弾薬を購入できたのか?という点が問題視された。
それで、その大きな理由のひとつが、宗教法人に対する国の穴だらけの管理監督体制であるという指摘が起こると、これを機に世界中で大きな議論が巻き起こった。
これまで、宗教団体は文字通りの「聖域」であり、ほとんどの国が彼らの保有する資金の管理を行っていない。だが、こんな事件が起こった以上、宗教団体も普通の企業や財団法人と同様に、きちんと第三者の監査役をつけて一般に公開すべきではないのか?といった声が上がるようになったのである。
「これは、まずいです和夫さん。実にまずいですよ……」
ある日、和夫の家にやってきたセバスティアンが浮かぬ顔をしてこう言ったので、ニュースに全く興味のない和夫と美知子も、今さらながら心配になってきた。
「もしこれで、宗教団体であっても持っている財産は一般公開しなければならないという法律ができてしまったら、金生教がこっそり塩漬けにしているお金も、全部世間にバレてしまいます。
いま、カルト宗教が起こしたテロ事件で、新興宗教団体はどこも怪しい目で見られていますからね。金生教はこの五年で突然何十個も支部が作られて、しかも、それぞれが何百億円もの莫大な財産を持っているという超お金持ちの団体ですから、財産が公開されたら真っ先に怪しまれる可能性が高いです」
「ええっ!?」
「まあ、ローマの教皇庁が強く反対していますので、ヨーロッパでは宗教団体の財産が一般公開されることは無いでしょう。ですが、アメリカは実際にカルト教団のテロで八百人が亡くなってますし、カトリックほどは教会の力が強くないプロテスタントの国ですから、ひょっとしたら法律が通ってしまうかもしれないのです」
「そんな……大丈夫なの?」
「わかりません」
いま、宗教団体に財産の開示を義務付けようとする動きに最もアレルギー反応を示しているのは、ローマのカトリック教皇庁だ。「宗教は人間の良心のよりどころであり、一般企業と同列に扱うべきではない」という教皇のコメントが直ちに発表された。
一方で、宗教団体だけを特別に優遇するのはおかしいとする政治の主張も、八百人もの犠牲者が出た直後であるだけに根強い。それに対して宗教勢力は一斉に団結し、健全な善意と寄附の精神で成り立つ宗教を企業の論理で縛ることは人間精神の荒廃につながる、という主張を打ち出した。
ごく一部の悪質なカルトのために、全ての善良な宗教に対して一律に制限をかけるのはおかしいとする宗教側と、善良であるものと無いものの間に公平な線引きなどできない、とする政治側は互いに一歩も自説を譲らず、両者は激しく火花を散らしている。
和夫としてはもう、ここはローマ教皇になんとかして頑張ってもらうことを祈るしかない。
それで、実家は曹洞宗で、キリストなんてクリスマスの時くらいしか意識しないというのに、わけもなく胸の前で手を組んでアーメンなどと祈ってみたりもした。
しかし、そんな和夫の付け焼刃の祈りが天に届くことはなかった。
「最後の福音者」が起こしたテロ事件から四カ月後、アメリカ議会で「宗教団体情報開示特例法」が成立。
これによって、アメリカ国内に所在する全ての宗教団体は政府に対して、所有する財産を全て開示しなければならない義務が生じたのである。
奥田先生は「最後の福音者」のテロ事件が起こるや否や、こうなる事態を直ちに予測し、アメリカ国内における金生教の支部設立作業を即刻中断していた。そして、議会での法案審議の雲行きが怪しくなってくると見るや、金生教のアメリカ支部の金庫に保管していた紙幣のほとんどを焼き払い、保有財産の申告額を目立たないずっと少ない額に変更した。
この五年間で、アメリカでは六十個の金生教支部を立ち上げ、全支部の保有額を合計すると25兆円にもなっていた。日本に次いで現金の塩漬け作業が進んでいた国だっただけに非常に大きな痛手だったが、背に腹は代えられない。
とりあえず、これで金生教は一見すると全く目立たない宗教団体にカモフラージュされた。だが、残念ながらアメリカ国民の新興宗教に対する厳しい監視の目は、この五年で急速に勢力を拡大したアジア発の謎多き新興宗教を見逃してはくれなかった。
ある日、セバスティアンが血相を変えて和夫と美知子の家に飛び込んできた。
「和夫さん!美知子さん!今すぐ身の回りの物をまとめて下さい!逃げます!」
「はぁ?どういうことセバスティアン!?」
「アメリカのFBIが、金生教を怪しんで内偵を開始したことが判明しました。それで数日前から日本の警察庁にも秘密裏に話が行って、国際共同捜査が始まったそうです。それで、日本の金生教に30兆円の資金があることが警察庁にバレました。
あと数時間もすれば、任意同行を求める刑事がこの家にやって来ます。急いで!」
早口でそう二人に説明しながら、同時にセバスティアンは携帯電話を操作している。電話がつながると、凛々しい声で電話の向こうに指示を飛ばした。
「あー、もしもし。シュミットです。はい。トラック一台と人員三名。そうです。アパートに到着したら、ATMを搬出してポイントFへ移動してください。緊急事態です。以前からの打ち合わせ通り、シナリオ2でお願いします」
電話を切ったセバスティアンは、呆然としている和夫と美知子を急かした。
「何ボーッとしてるんですお二人とも。時間がないので荷物は財布とか貴重品だけにして、あと身元が分かってしまうような重要な書類はなるべく持ち出して下さい。着替えとか身の回りの品とかは後で買いますから何もいりません。
大丈夫です。こんなこともあろうかと、隠れ家と避難のシナリオは複数用意してありますから」
まるで敏腕スパイのように手慣れた様子でテキパキと逃亡の準備を進めるセバスティアンを見ながら、和夫はぼんやりと考えていた。
なんなんだこれは。
どうしてこんなことになった。
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