あっちの私とこっちのあなた。

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「おめでとう」 「幸せになって! 」 という暖かな言葉が飛び交い、たくさんの人の笑顔が溢れていた。美しく着飾っている新婦の隣には、笑顔でスーツを着こなす、長谷川彼方(はせがわかなた)の姿があった。しかし彼とは対照に、私はその姿を見て上手く笑うことが出来なかった。内に秘めているものがもやもやしてたまらなかった。 「今日までには伝えようと思ってたのに……」 後悔だけ胸の中に残った。 「(みなと)、ごめん。別れよう」 「え?彼方、なんで?!」 「……ごめん」 それは突然告げられた。 私は、自分の全てを失った気がした。なんで別れることになってしまったんだろう。 確かに、彼方は恋人同士なのに何もしてこなかった。キスも、ハグも、ましてや手を繋ぐことさえも。でも、自分から積極的にすることは出来ない。だって、 バレたくないから。 だけど、彼方の方から何もしないということは、やはり私は女として見られてなかったのだろうか? そんなに魅力がなかったのだろうか? それとも、 ちゃんとなりきれてなかったのだろうか? 彼方とは大学で出会った。 講義を受けるために準備をしていたら、ペンを忘れたことに気づいて焦っていた。その時に貸してくれたのが、彼方だった。今まで特に恋愛とかに興味はなかったが彼方を見た瞬間、直感的に、この人だ。と感じ取った。 いつも内気で、親しい人としか喋ることが出来ない私だが、今回だけは違った。少しでも彼方の視界に入っていられるようにした。彼方と喋れるように近くに座ったり、見かけたら話に行くようにして距離を縮めた。そして、ペンを貸してもらってから3ヶ月後、彼方に想いを伝えることにした。 出会ってからあまり期間が経っていないので、振られる前提で伝えたが、彼方は 「いいよ」 と、優しい声で言った。その答えを聞いた瞬間、今までで感じたことのない気持ちでいっぱいになった。 しかし、彼方からデートに誘われることはなく、2人でいる時間も今までと変わらなかった。それでも私は彼方の隣にいるだけで嬉しかったし、安心できた。でも、なんか違う。 「もっと、2人でしたいことがたくさんあるのに……」 と、1人で呟く日もあった。 それでも、ずっとこの人の傍にいたいと思っていた。それだけ、私の中で彼方の存在は大きかった。 しかし、私たちの関係は進展することなく、1年もしないうちに終わってしまった。 別れてまもない頃は、どうしてだろう、なんでだろうと思い詰めていたが、だんだん良かったのかもしれないと思うようになった。 だって、どうせ私にはもう時間がないのだから。 結婚式が終わり、家に着くとベッドに寝転んだ。 彼方に本当のことを伝えられなかったことからすごく心残りだった。 目を閉じると彼方と過ごした日々がありありと蘇ってきた。恋人らしいことは何一つなかったが、今までで1番楽しかった時間を。 その時、目の裏に映る暗闇から彼方の声が聞こえた。 『湊、ごめん』 「待って、行かないで!」 湊は彼方! と名前を叫びながら、急いでその背中を追いかけた。しかし、彼方は振り向いてくれない。少しも気にしてくれない。一心不乱に手を伸ばして掴もうとした所で、はっとして閉じていた目を開いた。いつの間にか溢れていた涙で視界が霞んでいた。その時、伸ばした腕を見ると、手の先がだんだん薄く消えていってるのが見えた。 「消えてる……?」 急いで涙を拭い、もう一度確認する。 湊の目に映ったのは、たしかに消えていく自分の手だった。 もう、きてしまった。 彼方に本当のことを言う前に。 本当は直接伝えたかった。だけど、もう叶わない。 「彼方、今まで嘘ついてごめんね」 彼方に伝わるはずはないと分かっていても、最後に言っておきたかった。 「本当はね、こっちの人間じゃないんだ……」 そう呟くと、湊の姿は跡形もなく、なくなっていた。 私は妖だった。今までは妖の世界(こっち)にいたが迷い込んでしまい、人間の世界(あっちの世界)に来てしまった。 いつも母から聞かされていた。 「あっちにいってしまったら、罰として100年はこっちの世界に戻って来れないからね。絶対に行かないように気をつけるのよ」 だからこっちに来てしまった時、初めは慌ててどうすればいいか分からず、途方に暮れていた。 しかし、ずっとはそうしていられない。この現実を受け入れ、100年の間どう生きていったら元に戻れるかを必死に考えた。そして考えた末、色々な人間に化けて生きていくことを決めた。 そうやって過ごして90年がすぎた頃、彼方と出会った。 妖だから当たり前だろうが、今まで人間対してそういう気持ちになることはなかった。しかし、彼方にだけはなぜか抱いてしまった。この世界にいるのもあと10年もない。最後ぐらい、人間らしいこともしてみたい。そういう気持ちもあり、彼方に想いを伝えたのだった。 そして、彼方の結婚式がちょうどこっちの世界に来て100年目の日だった。 「俺はこれで良かったのかな……」 彼方は妻のドレスアップを待っている間、ふと思った。 確かに俺は幸せだった。普通に育って、普通に楽しい学生時代を送って、いいところの会社にも入れて、その上、こんなにも素敵な人に出会うことが出来たのだから。 しかし、この結婚には重大な問題があった。 俺には、幸せと引き換えに一生つき続けなければいけない嘘があったから。 それは、 人間ではないということ。
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