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アンリは小さな声で呟いた。そして、ジャックの木剣が自分の握る木剣と当たると同時にわざと剣を放り投げた。アンリの木剣は放物線を描き地面へと落ちた。アンリは両手を上げて降参のポーズを見せる。
「凄い! 流石は兄上! 兄上の嵐のような怒涛の剣にはかないませぬ!」
ジャックはそれを聞いて木剣を鞘に収めてがははと笑う。
「そうだろうそうだろう!」
その時、テラスより女王メアリが降りて来た。ジャックはすぐにメアリの元に駆け寄る。
「母上! 見てて下さいましたか!」
おう、よしよし。メアリはジャックの頭を優しく撫でた。アンリはそれを物欲しげかつ羨望の眼差しで見つめる。
「流石は我が息子ジャック、弟にさえも容赦しない苛烈なる剣、いつかその剣を母のために役立てておくれよ」
「はい! 母上!」
二人はお互いの頬に口づけを交わした。そして、二人は手を繋ぎ城の奥へと消えていった。
広場にぽつんと一人残されたアンリにリックが問いかける。
「お戯れも大概にして下さいませ。あのような愚鈍な豚の剣などアンリ王子にとっては止まった枝にも劣るではありませんか。何故に兄上をお倒しにならないのです」
「リック、兄への侮辱は許さんぞ。母上が聞いていたら今頃お前は首を刎ねられておるぞ」
「で、ですが……」
「我が勝つと母上はお悲しみになる。それに我が勝っても母上はお喜びにはならずに、兄上の怪我の心配をなさる」
以前、ジャックとアンリは同じように木剣での剣術勝負を行った。アンリは手加減をせずにジャックをねじ伏せた。すると、メアリは血相を変えたように二人の間に乱入し、ジャックの前に立ち塞がるのであった。
「アンリ! お兄ちゃんに何てことをするの!」
メアリはアンリに詰め寄り、平手打ちを放った。家臣たちも「剣術勝負ですから」とメアリに進言するも、メアリは家臣たちの言葉を受け入れない。
生まれた時からそうだった。褒められるのはジャックばかり、アンリは騎士団長の元に養子に出された身であっても王子は王子、城の出入りは自由に許されている、それ故にメアリと直接面通しをすることは珍しくない、母に褒められようと勉学剣術馬術弓術などに一生懸命に励み、その全てで王子に相応しい成績を修めてきた。ジャックも城内でこれらを学びはするもののいずれも並以下の成績を修めることしか出来なかった。それでも何故かメアリはジャックを褒めに褒めた。アンリは優秀な成績を修めた通知表をメアリに持ってくるのだが、メアリはそれに対してお褒めの言葉を授けない、酷い時などは「優」が悠然と並んだ通知表であってもくしゃくしゃに丸めて屑籠にポイと投げ捨てられてしまった。
それ以降、アンリは母に褒められるのを諦め、ジャックの影に生きていかざるを得ない運命を察するのであった。
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