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 “女狐(めぎつね)”は素足で地に足を着けて、その切れ長な目で神子都(みこと)を見据えた。  「(わらわ)と共に来てもらうぞ……忌々しき“狐神(きつねのかみ)”の花嫁よ」  「お前に神子都殿は渡さない」  鎖々那(さざな)は神子都の肩を抱き寄せ、“女狐”を睨めば翡翠色の瞳に浮かぶ黒い瞳孔が縦長になる。  久津束(くづつか)は火縄銃を、枷宮羅(かぐら)は戦闘体勢に構える。  「ふふふっ。(ぬし)がいくら花嫁を抱き寄せようと、そ奴は妾の元へ歩み寄るぞ」  人差し指で神子都を指す“女狐”は愉快に話し、不気味な微笑が絶えない。  「……威縄(いなわ)、と言ったか」  “女狐”の言葉に神子都たちは目を見張る。  「灰色の子狐は今、妾の元におる。もう時期、死ぬであろうなァ」  「威縄くんに何をしたの!?」  「神子都殿!」  今にも“女狐”に向かって駆け出しては掴み掛かりそうな神子都を、鎖々那は腕の中で必死で押さえつける。  「子狐を助けたいか?」  口元を袖で隠して、切れ長の目で神子都を窺う。  「姐さん! アイツの言う事に耳を貸しちゃいけやせんぜ!」  口出しした枷宮羅を気に入らないとでも言うように、“女狐”は眉を(ひそ)める。その瞬間、白く太い一本の尾が素早く動き、枷宮羅の腹部を突いた。  枷宮羅の身体は宙に浮き、後ろに投げ飛ばされた。  「がぁッ!」  地面に背中を強打して息を詰まらせる枷宮羅の腹部は出血して小袖を血に染めた。  「枷宮羅!」  鎖々那の声が名を呼ぶ。仰向けで倒れた半身を起こす枷宮羅は痛みに顔を歪ませながらニヒルな笑みを浮かべた。  「慌てんな鎖々那……お前はてめぇの嫁さん守ってりゃあいいんだよ」  片膝を突き、枷宮羅は狐の姿に戻った。その大きさは鎖々那の本性よりも大きな体格であり、銀色の毛を靡かせて“女狐”を目掛けて突進する。  目付きを鋭くした“女狐”は九本の尾で攻撃を起こし、無尽蔵のように動く尾を枷宮羅は同時に避けて行く。  「銀狐(ぎんぎつね)よ、妾がその皮を剥ぎ取ってくれるわ!」  “女狐”は口先を吊り上げて笑い声を上げる……筈だった。  「ぎッ、ああああああああああ!!」  断末魔が響き、一本の尾に円い穴が空いて貫通した。穴の部分から赤い血がぼたぼたと地面に滴り落ちる。  久津束が火縄銃を発砲し、弾は“女狐”の九本ある内の一本に当たったのだ。  「待て、久津束! まだ殺すな!」  「わかっている!」  久津束を制止する鎖々那の声。悶え苦しむ“女狐”の隙を突いた枷宮羅は“女狐”の喉に噛み付いた。  「ぐぅッ……! 妾がッ、妾が主ら下等狐に……敗北する筈が無い!」  喉元を噛み付かれながらも、狂気に満ちた声色は神子都の恐怖心を奮い立たせる。  “女狐”は外見を変貌させて、枷宮羅よりも更に大きな巨体を晒し、九本の尾が生えた白い狐という本性を見せた。  白い首を左右に振りかざし、首に噛み付いていた枷宮羅を振り落とす。  落下する身体を反転させた枷宮羅は体勢を整えて地面に四肢を着地させた。  「これが“女狐”の正体……」  息を呑む神子都は“女狐”の姿に恐怖を抱いてしまった。  枷宮羅と久津束に気を取られている“女狐”の間を計らい、鎖々那は抱き寄せている神子都の膝裏に手を入れ抱えて走り出した。  「鎖々那さま!?」  「此処から離れる」  「だけど!」  神子都の視野に“女狐”と苦闘する枷宮羅と久津束の姿が遠ざかって行く。  鎖々那はその場から離れ、神子都と共に蔵の裏にある雑木林に身を隠した。其処には、二匹の茶色の狐が鎖々那を待っていたかのように並んで座っていた。  その狐は、以前、婚礼の儀の時に宴会芸を披露した二匹である。  抱えている神子都をその場に下ろし、鎖々那は足元に居る狐たちに話し掛けた。  「お前たち、神子都殿を頼む」  「承知致しました」  鎖々那が何を言っているのか直ぐ理解した神子都は、行こうとする鎖々那の手を掴んだ。  「待って下さい! 私も“女狐”と戦います!」  「駄目だ。それに神子都殿は酷く怯えている」  「……ッ」  歯噛みする神子都の肩に鎖々那の手が優しく置かれた。  「神子都殿は言ってくれた。自分は死んだりしないと。あの言葉を俺は信じている。だから俺の事も信じてくれ」  窮地に居るにも(かかわ)らず、この時でも鎖々那は神子都に微笑みを向けた。  その笑みに胸が苦しくなる神子都は泣くのを耐えて、震える唇で答えた。  「どうかご武運を……!」  * * *  地面に身体を伏せている枷宮羅と、辛うじて人の姿で居る久津束が片膝を突いて息を荒くさせている姿があった。  二人の身体に傷が刻まれて血が流れている。起き上がろうとする枷宮羅は獣ならではの唸り声を上げた。  「ふふふ……ふふふふ……あーッはっはっは! 下等狐が容易く妾を殺せると思うな!」  愉快に笑う“女狐”は、その白い巨体の周りに蒼い火の玉を数個浮かべた。  「死ね」  その一言は合図だった。蒼い火の玉は意思を持ったように動き、枷宮羅と久津束を目掛けて弓矢のように宙を加速する。  枷宮羅と久津束が目を見張った。  (此処までか……!)  (畜生……ッ!)  死を覚悟した二人の目の前で蒼い火の玉は激しく爆破し、煙を上げた。  「俺の仲間に手を出せば、この“狐神”が許さないぞ」  声がした方へ“女狐”が振り向けば、鴇色の着流しに薄墨色の羽織を靡かせて歩み寄る鎖々那の姿があった。  鎖々那の周りには“女狐”が出現させた蒼い火の玉と同じ形をした、いくつもの紅い火の玉が包囲している。  「さざ……な……」  鎖々那が来た事で口元を緩めた久津束は掠れた声で主君の名を呟いた。  (鎖々那の奴、姐さんはどうしたんだ?)  戻って来た鎖々那に枷宮羅が(いぶか)っていると、鎖々那は無数の紅い火の玉を繰り出し、それらを“女狐”に向けて放った。  「同じ技など通じぬ!」  “女狐”も蒼い火の玉を紅い火の玉にぶつけた。ぶつかり合う紅と蒼の火の玉は轟音を響かせ、煙がその場を立ち込めた。  煙で“女狐”の目の前の視界が曇る。  「何処じゃァ? 出て来い! 忌々しき“狐神”!」  辺りを見回していれば、煙の中から紅い狐の姿に戻った鎖々那が牙を剥いて“女狐”に飛び掛かって行った。  * * *  「さぁ、神子都さま」  「我らと共に此処から離れましょう」  二匹の狐たちが先を急ごうと神子都を(うなが)す。けれども神子都の足は其処から一歩も動かなかった。  「ごめんなさい。私、此処で鎖々那さまを待ってる」  「何と!?」  「我らは鎖々那さまの命令に従い、神子都さまの身を守らねばなりませぬ!」  必死に話す狐に、神子都は首を振った。  「あなたたちには悪いけれど、私は此処を離れる訳にはいかない。鎖々那さまが、みんなが、近くで戦っているのに私だけ守られるなんてそんなの嫌だ。本当は鎖々那さまの元へ今すぐ駆け付けて、一緒に戦いたい」  そう話す神子都は“女狐”の本性に恐怖心が勝り、震える身体を抑えつけるように左手で右肩を強く掴んでいる。  その様子を、蔵の二階の窓から見ている人影があった。  (あれは、愛らしい奥方(おくがた)じゃないかぁ)  神子都を眺めながら考える人影の正体は、蔵で軟禁されている拘弦(こうげん)だった。  激しい轟音が聞こえ、踵を返した神子都は不安な表情で鎖々那と“女狐”が居る場所へ目を向けた。  「鎖々那さま……枷宮羅さま……久津束さん……」  祈ろうと自分の右肩を掴んでいた左手を離した時、背後から神子都に衝撃が襲う。  神子都は目の前が真っ暗になり、身体が地面に倒れた。  「…………さて、連れて行きますか」  そう話すのは、二匹の狐の内の一匹だ。  その一匹は茶色の短髪に小袖と山袴を着た人の姿に変えて、神子都の背後に立っていた。  「簡単だったな。弟よ」  倒れた神子都を見下ろし、もう一匹の狐も人の姿に変えた。二匹とも人の姿は瓜二つであり、謂わば双子の兄弟である。  弟が後ろから神子都の頸椎を手刀で打ち、神子都を気絶させたのだ。  「近くで見ると綺麗な女だな。喰っちまいてぇ」  滑らかな動きをする指先で神子都の輪郭を撫でた。  「兄者(あにじゃ)、その娘は蜜姫(みつひめ)さまに渡す娘だ。傷を付けたら駄目だ」  「わかってるさ。コイツを渡せば、俺たちは蜜姫さまからの寵愛(ちょうあい)を受けられるのだからなァ」  『蜜姫』というのは“女狐”の名である。瓜二つの顔は怪しげな笑みを浮かべ、弟は倒れている神子都を肩に担いだ。  兄は近くの松の木に隠しておいた弓と矢を手に取り、“女狐”が居る方へと歩き出した。  双子の兄弟に連れ去られる神子都の光景を見ていた拘弦はまた溜息をついた。  (奥方が連れて行かれた……)  「……また愛する者を殺すのか? 鎖々那」  天井を仰ぎ見る拘弦の目は虚ろだった。  * * *  満身創痍の鎖々那と“女狐”の戦闘が続く中、鎖々那に向かって殺気が近付いて行く。  その殺気は“女狐”から放つものではなく、横から割り込んで来た弓矢に込められていたものだった。  「鎖々那ッ!」  「!?」  その飛んで来た一本の矢は鎖々那を庇った久津束の胴体に突き刺さり、人の姿から黒い狐の姿に戻った久津束はその場に倒れた。  「久津束!」  「づかさん!」  倒れた久津束に鎖々那と枷宮羅が気を取られている隙に、“女狐”は正面から対峙していた鎖々那から跳躍して距離を取った。  「外したか」  声がした方へ振り向くと、あの茶色の双子の狐が人の姿をして並んでこちらを見ていた。  双子の兄は弓矢を構え、弟は両手を後ろに回されて拘束された神子都の背後に立っている。  「お前たち……」  “狐神”に仕えし狐が、神子都を人質として扱っている事に鎖々那は驚きを隠せない。  だが、驚く感情は直ぐに消え、神子都が首を垂らしている姿に鎖々那は双子の兄弟に向けて怒りを覚えた。  「神子都殿に何をした!?」  「俺たち兄弟は、元々、蜜姫さまに仕えし狐」  「それに気付かない“狐神”が悪いんだよ」  クツクツと笑う双子の狐に、鎖々那が脚に力を入れて飛びかかろとした時、神子都が僅かに動いた。  「…………此処は……?」  虚ろな目をした神子都がゆっくりと頭を上げると、紅い狐の姿をした鎖々那が目に入った。  「さ……ざな……さま……?」  「やっと気付いたか。花嫁さんよォ」  「なに、これ……」  背後からの声に神子都は自分の両手が不自由な事に異変を感じ、振り払おうと身動ぐと、匕首(あいくち)を喉元にぴたりと当てられた。  「動くなよ……お前たち“狐神”も動くな!」  神子都を人質に取った狐に憤りを感じる鎖々那は歯噛みする。  「よくやったぞ。お前たち。流石、妾に仕えし可愛い狐ぞ。さぁ、改めて花嫁に問う。妾と共に来てくれるであろう?」  白い巨体がゆるりと神子都に向いた。  神子都は喉を上下に動かし、周囲を見渡した。  狐の姿に戻った鎖々那と枷宮羅。地面に横たわったまま動かない久津束。  (みんな……頑張ったんだ……頑張って戦ったんだ)  赤い血を毛に滲ませて痛々しい姿でいる鎖々那たちに苦戦を強いられていたと考えるだけで、神子都は苦痛を感じた。  「神子都殿……」  鎖々那が呟いた時、神子都は眉宇を引き締めて“女狐”を見上げた。そして、神子都は口を開いた。  「私は“女狐”の言う事に従います」  神子都の決断に鎖々那と枷宮羅は絶句した。  「何を言っているんだ!?」  叫ぶ鎖々那に神子都は一瞬、怯えた顔になったが直ぐに冷静さを取り戻す。  「私が行く事によって威縄くんが助かるのなら、私はそうしたい」  「姐さんがそれを背負う事は無いって! なんでわかんないんでさぁ!?」  鎖々那に続けて反論する枷宮羅。  「だって鎖々那さまも、此処に居る狐たちも、私の大切な家族だから」  目を細めた神子都に鎖々那と枷宮羅は目を見張った。  「大丈夫。鎖々那さま、私は絶対に死にません」  怯えた表情一つも見せない神子都に、鎖々那の瞳が揺れた。  「強がる娘は嫌いではないぞ」  白い巨体の本性から人の姿に変えた“女狐”は、裸体を晒したまま捕らえられた神子都に歩み寄り、白魚のような指先で神子都の顎を掬った。  目線が“女狐”と合った神子都は相手を睨みつけるものの、恐怖からか、僅かに身体を震わせた。  「ん……? おい、なんだこの霧……」  枷宮羅が周囲を見回すと、視界が徐々に白くなり、霧に包まれていく。  「ふふっ。この霧は妾の可愛い狐が作り出す“妖術”じゃ」  霧は濃くなっていき、神子都の姿が“女狐”と双子の兄弟と共に見えなくなっていく。  「待て! お前たち! 神子都殿! 神子都殿ッ!」  鎖々那は神子都を助けようと前に進もうとするが、濃い霧が視界の邪魔をして駆け出す事が出来ない。  「じゃあな“狐神”とその下僕(げぼく)たちよ」  双子の狐の兄が言う。  霧の向こうで神子都の声が響いて来る。  「鎖々那さま! 私を信じて! 必ず威縄くんを助けて、鎖々那さまの元に帰って来るから!」  「無茶だ! 神子都殿ッ!」  霧に呑まれ、その場に立ち尽くし耳をそばだてた。神子都の声や気配を感じ取ろうとするものの霧は普通のものとは違って人の気配を消し、感覚を麻痺させるものだった。  「神子都殿ッ!」  愛する者の名を叫んだところで、返って来る返事は無く、霧が晴れた時には神子都と“女狐”たちの姿は其処に無かった。
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