14

1/1
210人が本棚に入れています
本棚に追加
/20ページ

14

 湿り気のある岩壁と天井。天井は時折、水が滴って、岩場の所々に蝋燭が置いてある。灯された火が何処からか吹き抜ける風によってゆらりと揺れる。  洞窟と思えるこの場所は羽織がなければ肌寒く感じる気温である。  (此処は……?)  灰色の毛並みをした子狐の威縄(いなわ)は、黒い瞳で辺りを見回した後、寒さから毛皮の身体をぶるりと震わせた。  (そうだ、お宮参りがあるから神社の境内(けいだい)を掃除してて……後ろから誰かに口を塞がれて、それで……)  状況を掴もうと記憶を遡っていると違和感のある足に視線を落とした。足首には黒い(かせ)が付いていて(くさり)で繋がれていた。  「気が付いたようだのゥ……」  艶めかしい喋り方に声がした方へ視線を向けると、黒い長髪の女が岩に座って威縄を見下ろしていた。  女は白い長襦袢(ながじゅばん)に朱色の帯を緩く締めては、胸や脚を露出していた。  髪は姫君のように切り揃えられていて、青白い肌は赤い唇を際立たせている。  見覚えのある女の姿に威縄は気付く。神子都を襲った“女狐(めぎつね)”である事を。  「お前ッ……僕をこんなところに連れて来てどうするつもりだ!?」  威縄は毛を逆立てて威嚇する。  「主は奴らをおびき出す道具じゃ。安心するがよい。ひとりぼっちにならぬよう、(わらわ)が“花嫁”と“忌まわしき狐”と共に主を冥府へ送ってやる」  “女狐”という本性を持つ女は、口元を襦袢の袖で隠して笑い、頭に三角の獣のような白い耳をピンッと立てて腰の辺りから真っ白な尻尾を九本生やした。  (『花嫁』って……あのボケ女を連れて来るという事なのか?)  屋根の上で神子都(みこと)と話した事や、夕餉を作って威縄に感想を求めては嬉しそうな顔をしたりする神子都の姿が脳裏に浮かんでしまう。  そして、未だに鎖々那(さざな)と寄りを戻していない事を引きずっている威縄は“女狐”に捕まった自分に対して情けなく思ってしまう。  「僕に人質の役割があると思ってる訳? はっ! とんだ勘違いだね」  岩の上に座る“女狐”を嘲笑した。すると“女狐”は弓形にしなっていた目付きが変わり、鋭いその目で威縄を見下ろし、白く太い刃物のような尻尾で威縄の脇腹を薙ぎ払った。  「がはッ!」  脇腹を打たれた拍子に息が詰まり、宙に浮いた威縄の身体は硬い地面に叩き付けられた。  「生意気な口もそこまでにするがよい。妾は主らを確実に殺してやる」  “女狐”の苛立った声。威縄は四肢を震わせながら起き上がった。  (ボケ女も鎖々那も、僕が“女狐”に捕まった理由から此処に来たら駄目だ。来ちゃ駄目だ――)  暗がりの中、蝋燭の灯りが揺れた。  * * *  「はぁ!? “女狐”に姐さんの事を教えたのはげんさん!?」  「昨日、拘弦(こうげん)さんの口からそう聞きました。もしかすると、神社周辺に姿を見せた“女狐”の居場所は拘弦さんが知っているんじゃないかと思うんです」  離れ家にある斬実(きりざね)の部屋で、神子都は枷宮羅(かぐら)と斬実に話した。  「その事は、鎖々那さまには……?」  斬実の問いに神子都は(かぶり)を振る。  「まだ何も……でも、言わなきゃいけないって事はわかってる」  「なぁ、姐さん」  神妙な顔をする神子都は、隣で座っている枷宮羅に振り向いた。  「“女狐”の居場所は俺がげんさんから聞き出す。姐さんは鎖々那のところに行って、自分がどうしたいか、ちゃんと伝えに行ってくだせぃ」  「え?」  神子都は目を瞬かせた。  「それに、俺たちには行方不明の威縄の事もある。姐さんが“女狐”の事、威縄の事、全部背負う事は無いんでさぁ」  「でも……!」と、神子都が反論しようとすれば、斬実が口を開いた。  「神子都さまは鎖々那さまの大切なお方である事に変わりは無い。貴女は、鎖々那さまの傍に居てください」  無表情で話す斬実の切実な願いに、神子都は言いかけた言葉を呑み込んで眉尻を下げた。  「とかなんとか言っちゃって。斬実、お前自身が鎖々那の傍に居たいんじゃねーの?」  女のように口元に手を添えた仕草でニヤニヤしながら斬実をからかった。そんな枷宮羅に斬実は表情一つ変えず無言で目を逸らした。  「鎖々那さまに私の想いを伝えなくちゃいけない。斬実さんが言ったように、私は鎖々那さまの傍に居なくちゃ」  神子都は深呼吸して揺らぐ想いを落ち着かせる。  「枷宮羅さま、斬実さん、ありがとう。私、考え過ぎてた」  隣に居る枷宮羅と正面に居る斬実に、順番に視線を向けて神子都は暗い表情から柔らかな笑顔に変わった。  そんな神子都の笑みに枷宮羅は微笑し、斬実は僅かに瞳を揺らした。  「そうと決まれば、やるべき事をやりやしょう! 姐さん!」  パンッと手の平を打ってから座っていた腰を上げた枷宮羅だが。  「その前に、お二人に聞いておきたい事があるんです!」  勢いのある神子都の声に枷宮羅は立ち上がろうとした姿勢を止めた。  「聞いておきたい事ですかい?」  「あの、少しでも自分の身を自分で守りたくて……また“女狐”に襲われそうになった時の為に、戦い方を知っておきたいんです!」  自分の胸元に拳を作り、枷宮羅と斬実を交互に見る神子都。  「そう言われやしても。この神社に強い女は千菊(せんぎく)で十分ですぜ? いや、強いと言うよりただの暴力だけど」  答える枷宮羅は巫女の千菊を思い出しては顔を引きつらせて苦笑を浮かべる。  しかし、斬実は枷宮羅と違って神子都を人差し指で指して口を開く。  「例えば、その神子都さまが身に付けている簪ですが」  「あ、これ?」  神子都は自分の襟足首のところで纏めた髪に付けた玉簪に触れた。  「簪の先端部で相手の目玉や喉元を突き刺す事が出来ます」  斬実の話しに絶句する神子都と枷宮羅。  「外に出ている場合に限りますが、砂や松の枝を相手に投げれば目くらましにする事が出来、足元に転がる石は相手に投げれば凶器にもなります」  真面目に答える斬実だが無表情な事から物騒に聞こえてしまう。  だが、神子都はその話しを恐る恐る聞き入れては「な、なるほど」などと呟いて納得していた。  「他にも帯紐で相手の首を絞める事が出来ますが、これは初めてやるには少し難しいもので」  「だぁー! もういいって! お前がそういう事を言うと普通に恐いんだよ!」  頭をグシャグシャと掻き乱して声を荒げた枷宮羅は話しを中断させた。  * * *  「――近辺を調べましたが、“女狐”に関する情報はありませんでした。後、山に居る狐たちにも威縄の事を聞いて回ったのですが、誰も見ていないという事で」  母屋の外で、鎖々那と話す久津束(くづつか)は肩に下げた火縄銃を掛け直した。  「そうか……」  表情に暗い影を落とす鎖々那は疲れた表情を見せると同時に、頭に生えた三角の獣の耳が垂れ下がっている。  「鎖々那、少し休んだ方が良い。昨日から動いてばかりいるぞ」  「いや、そういう訳には」  「――鎖々那さま」  名を呼ばれて鎖々那が振り向くと、枷宮羅と共に歩み寄る神子都の姿があった。  「神子都殿……」  鎖々那は自分の前まで来た神子都を見下ろした。  「鎖々那さま、私、貴方の傍に居たいです」  「神子都殿……?」  射抜くような神子都の視線に戸惑いを見せた。  「枷宮羅さまから聞きました。鎖々那さまの心に負った傷の事を。前代“狐神(きつねのかみ)”の花嫁……鎖々那さまの母親代わりである、お里さまに何を思い、私が居る事で何を感じているのか」  神子都の言葉に、鎖々那は息を呑んだ。  「まだお里さまが亡くなられた事に罪を感じているのなら、その罪を私にも背負わせて下さい」  「そ……れは、出来ない」  振り絞って出した声は震えていた。  「どうして?」  「神子都殿は俺の妻だ。妻で、愛する人で、神子都殿に俺が背負う罪を抱えてほしくない」  突き放されたような感覚に神子都は泣きたくなる感情を抑えて鎖々那を見詰める。  「そんなの聞きたくないです。どうして一人で背負ってしまうのですか? 同じ罪を背負って私が死ぬと思いですか!?」  声を荒げた神子都は鎖々那の両肩を掴んだ。  「私は簡単に死にません! それに、私は……」  神子都の頰に涙が伝う。  「鎖々那さまを愛している」  潤んだ瞳に、紅い髪と翡翠色の瞳をした“狐神”が映る。  映った表情は情けなくて、でも、目の前の神子都を想っていて……。  「鎖々那さまを想うと胸が苦しくなる。でも愛しくて仕方ないの。貴方の妻である私は、貴方を愛してはいけませんか?」  とめどなく溢れる涙は次々と零れ落ちて、地面に涙の跡を作った。  鎖々那は力一杯、神子都を抱き締めた。  「俺は、俺の所為で母親のお里さまを殺してしまった。好きだったんだ……お里さまを……」  「うん」  「母親として好きで、大切な人で」  「うん」  「失くした後悔が、まだッ、俺の中で続いてる……!」  抱き締める力が更に強くなる。神子都は鎖々那の吐き出される言葉に一つ一つ相槌を打って、受け入れていく。  それは、神子都が婚礼の儀の時に鎖々那に自分の過去を話し泣いた時と同じだった。  「自分に花嫁を迎え入れれば、俺は過去に起きた事を許されると思った。神子都殿の姿に、お里さまを重ねてしまう事もあった。だけど、違ったんだ。拘弦に言われて俺は気付いたんだ。俺はお里さまを、もう、愛してはいなかった。ただ、俺がしている事は、罪滅ぼしの為に神子都殿を傍に置いているのだと……気付いて……しまったんだ……ッ!」  鎖々那の背中に両手を回して、神子都は閉じた瞼から涙を流す。  「それでも俺は誰かを愛していなければ生きていけない。俺は不器用で、(いびつ)で、心が滅茶苦茶な神様だ」  鎖々那は抱き締めていた神子都を解放して、互いに向き合う。  「神子都殿は、こんな俺で良いのか?」  今にも足から崩れてしまいそうな鎖々那の頰に涙が伝う。  涙の跡を残す鎖々那の頰を両手で優しく包み込んだ神子都は微笑んだ。  「鎖々那さまでなければ駄目なんです」  頰を包む手の温もりを感じて、鎖々那は神子都に口付けをした。  唇が離れると、鎖々那の翡翠色の瞳に穏やかな表情をした神子都が映る。  「……神子都殿」  「はい」  「ありがとう」  神子都の手に自分の手を重ねて、鎖々那は微笑みを見せた。  「二人がよりを戻したところで俺たちは動きますか。ねぇ? づかさん」  「しかし、お二人は本当にお似合いですね」  傍に居た枷宮羅と久津束。  枷宮羅の表情はニヤニヤと緩んでいて、久津束は微笑ましく鎖々那と神子都を見ている。  そんな二人の存在を改めて気付いた神子都は急に顔を真っ赤に染めた。  「いやっ、これは、あのですね……!」  焦る神子都の手を繋いだ鎖々那に、神子都自身は驚いて目を瞬かせた。  「さ、鎖々那さま……?」  「俺たち夫婦は『お似合い』だそうだ」  微笑む鎖々那に神子都は心が揺れ動く。  「そ、それは、それで、嬉しい……です……」  顔に熱が集中して、隣に並ぶ鎖々那を直視出来なくなった神子都は俯いた。  「お熱ーい、二人を見れたところで俺とづかさんはちょっと母屋から離れるからよ」  鎖々那と神子都が話している傍らで、枷宮羅は久津束に拘弦が“女狐”と関わりがある事を話したのだ。  枷宮羅と久津束の二人は、現在、蔵で軟禁している拘弦に“女狐”の事を聞きに行こうとしている。  「……拘弦の事か?」  鎖々那の言葉に、神子都は顔を上げて繋いだ手を少し強めに握った。  「鎖々那。兄上……いや、拘弦の事は俺に任せてくれないか?」  神妙な顔で久津束は鎖々那に言う。  「久津束がそうしたいのなら、俺は構わないが……」  答えた鎖々那は隣で自分の手を繋ぐ神子都に目を向けた。  拘弦に手を掛けられた事を思い出す神子都の表情は固く、神経を尖らせていた。  鎖々那から神子都へ視線を移した久津束は口を開いた。  「話は聞きました。奥方殿(おくがたどの)、そして鎖々那、二人には兄上が無礼を働いた事に弟の俺からも謝罪を申し上げます。申し訳ありませんでした」  二人を前にして深々と頭を下げる久津束。神子都は複雑な思いを抱えて首を左右に振った。  「頭を上げて下さい、久津束さん。確かに拘弦さんが私に……した事は、許せません。私が謝っていただきたいのは拘弦さん本人なんです」  「だったら、げんさんの処分は姐さんが決めるという事で」  へらりと笑って話す枷宮羅に、鎖々那たちは意表を突かれる。  「何を言っているんだ枷宮羅! 奥方殿にそのようなご負担を掛ける訳には……!」  「いえ、私に拘弦さんの処分を決めさせて下さい」  真っ先に答えた神子都は、揺るぎない自信を持って発言をする。  「ですが……」と、久津束は困惑を見せて腑に落ちないでいる。  「心配しないで下さい。直ぐに答えが出ないけれど、それよりも優先すべき問題は拘弦さんを通じて“女狐”が私に近付いた事です」  眉宇を引き締めて話す神子都に鎖々那は瞠目した。  「待ってくれ。神子都殿、拘弦が“女狐”と関わっているというのは……?」  「鎖々那さまには話す隙が無くて、ずっと黙っていたんです。ごめんなさい。私の存在を“女狐”に教えたのは拘弦さんなんです」  「俺とづかさんで、その事をげんさん本人に直接聞きに行くところだったんだよ」  枷宮羅は蔵がある方角に右手の親指を指した――その時だ。  「拘弦に聞かぬとも妾は此処におるぞ」  その声に、弾かれたように振り向いた鎖々那たちは母屋の上を見上げた。  「貴女は……あの時の……」  神子都は目を凝らして相手を見る。切り揃えられた長い黒髪に朱色の帯に白の襦袢姿の女が一人。  血色の悪い肌は赤い唇を際立たせ、頭には獣のような三角の白い耳と腰の辺りから白く太長い尻尾が九本生えていた。  「久しいのゥ……忌々しき“狐神”とその花嫁よ」  “女狐”が再び神子都の前に現れたのだった。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!