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 “女狐(めぎつね)”との戦いが終わった後、離れ家から駆け出した巫女たちは負傷した枷宮羅(かぐら)久津束(くづつか)を母屋に運んだ。  座敷に敷かれた布団に寝かされていた枷宮羅は意識があるものの、“女狐”に突かれた腹部が痛み、時折、顔を歪めていた。  寝ている状態のまま顔を横に向ければ、隣の座敷で黒い毛並みの大きな狐が横たわっている。黒い狐の正体は久津束だ。  久津束の胴体には白い包帯が巻かれ、それは鎖々那(さざな)を庇った時に受けた跡である。弓矢が胴体に突き刺さり、地面に倒れ伏した久津束は、以来、意識が戻っていない。  「久津束さまは呼吸が安定しているから大丈夫よ」  寝ている枷宮羅の横に腰を下ろした巫女は千菊(せんぎく)である。  「本当は“女狐”と戦うアンタたち……鎖々那さまの加勢に入りたかったけど、一緒に居た斬実(きりざね)さまに止められたの」  「見てたのか?」  枷宮羅の問いに千菊は小さく頷いた。  「鈴音(すずね)や他の巫女たちも“女狐”の本性を見ては酷く怯えていた」  「そうか。……鎖々那は、どうした?」  鎖々那の姿が母屋に無い事を訝る枷宮羅。  「手当てした後、神社の本殿で休むって。今は其処で安静にしてもらってる。神社の祭壇がある場所だと気分が和らいで落ち着くと言っていたから、大丈夫だとは思うけれど……」  と、話す千菊に続いて枷宮羅が言う。  「姐さんが連れ去られちまったからな」  その事実に千菊は表情に暗い影を落として何も言わなかった。すると、其処に居る筈の無い声が聞こえて来た。  「おやぁ、これまた随分と派手にやられたなぁ」  その間延びしたような喋り方に、枷宮羅は痛む身体を無理矢理に起こして庭に面した縁側に目を向けた。  「げんさん……!?」  蔵で軟禁されていた筈の拘弦(こうげん)が、縁側の傍で突っ立っていたのだ。  「一体、何処から……!?」  「施錠が扉だけとは管理が甘かったなぁ枷宮羅。二階の窓を開けて、近くの松の木に飛び移って下りて来たまでだ。安心しろ、他の日に俺自ら外に出た事は一切無い」  話しながら拘弦は草履を履いたまま土足で母屋に上がった。  横たわる久津束の隣に腰を下ろした拘弦は、目を閉ざした久津束の黒い毛並みを軽く撫でながら話しを続けた。  「軟禁されている間は、飯や(かわや)の心配があったが、ちゃんと朝昼夜と飯は持って来てくれるわ、定期的に厠に連れて行ってくれるわで安心したぞ。厠に行く際は外に出るから逃げようとも思ったが、千菊から向けられる薙刀が怖くて無理だったなぁ」  首を垂らす拘弦に対して千菊は「当たり前だコノヤロウ」と、口調悪く返した。  「そんな話を俺らにする為に蔵から脱走したんですかい? げんさんよ」  「そう殺気立つな。蔵の窓から見ていたが、あの双子の兄弟に俺の奥方を連れ去られるのを見てだな」  「アンタの奥さんじゃねーよ」  「このまま蜜姫(みつひめ)の思い通りにされては、気に入らないものがある。ついでに俺の可愛い弟を傷付けたからなぁ」  拘弦は久津束を見下ろして黒い毛並みを撫で続ける。拘弦に弟を思う心があったのかと枷宮羅は意外性を感じて目を丸くした。  (げんさん、あんたに家族を思いやる心があったとは……)  「弟がいなくなったら、俺が花街で遊ぶ金を誰が作るというんだ」  額に手を当てて自分を哀れむ拘弦を、枷宮羅は死んだ魚のような目で見る。  (少しでもげんさんに気を許した俺が馬鹿だった)  そんな枷宮羅の傍らで拘弦を見る千菊から表情が消え「最低」と、一言。  「兎に角だ。この事態を招いたのは俺が“女狐”……蜜姫に奥方の事を教えた原因でもある。その責任と言っては何だが、俺もお前たちに力を貸すつもりだ」  「信用ならねぇでさぁ。お里さまの死を引きずって“狐神(きつねのかみ)”である鎖々那を恨んでいるあんたが“女狐”に情報を流し、更には姐さんに手を掛けた。その次は俺たちに力を貸すとは、随分と都合が良いじゃねぇですかい」  枷宮羅は拘弦を睨み付けた。  「おお、怖い。俺なら蜜姫の居場所を知っていると言えばどうする?」  瞠目した枷宮羅を拘弦は見据える。久津束を撫でていた手を止めて、見据えた目をそのまま千菊に向けて口を開いた。  「鎖々那を呼んで来い。それから地図があれば持って来てもらおうか」  「あんたねぇッ――」  拘弦を相手に怒りが湧いた千菊が刃向かおうと膝を立てた時、枷宮羅が腕を伸ばして制止した。  「悪いな。鎖々那を呼んで来てくれるか?」  「……わかったわよ! 少し待ってなさい!」  声を荒げて千菊は母屋から出て行った。千菊がいなくなったのを見計らい、拘弦は話しを続けた。  「俺の事は信用しなくて構わない。だが、居場所は確実に教えてやる」  「……本当どういうつもりだか知らねぇけどよ。なんでそこまでする気になったんで?」  「抜けたからだ」  「は?」  真剣な表情で答えた拘弦に、枷宮羅は眉間に皺を寄せた。  「もう俺にお里さまへの未練は無い。何故なら今の奥方を愛している。そう! 俺は惚れてしまったんだ! 人妻は好物だが、それだけで終わらないのは確かだ。こんな感情はいつぶりだろうか!?」  声の抑揚が激しい拘弦は両手を、ばっと勢い良く広げて顔は天を仰ぐ。  「神子都(みこと)という名の奥方の柔らかな肌、そして唇と胸。滑らかな腰と、想像すればする程、俺の欲望は止まらなくなる!!」  「いや、あの……げんさん?」  「奥方を押し倒した時を何度思い出した事か。奥方は頬を染めて、あの潤んだ瞳で俺を見詰め」  「げんさん?」  「俺のものをしゃぶり、俺をねだり、その度に元気になるコイツを抜い」  「げんさんんん!!?」  現実と想像が(否、妄想が)混沌する拘弦の発言に耳を塞ぎたくなった枷宮羅は叫んだ。  * * *  一方――稲荷神社の本殿、祭壇が置かれてある内陣(ないじん)に鎖々那の姿があった。  畳敷きの広い空間で、布団の上で人の姿をした鎖々那が横になっている。鎖々那が着ている鴇色の着流しの下には、包帯が痛々しく巻かれてあった。  (“狐神(きつねのかみ)”を祀る祭壇の場所は、身体が休まると同時に気が安定するのだな……)  “狐神”の魂とその神の力が宿っている鎖々那は自分自身が神の存在である事に改めて気づかされる。  天井に向けて伸ばした手は空を掴み、鎖々那の脳裏に神子都の姿が浮かんだ。  (神子都殿……)  神子都と共に過ごして来た景色が思い出され、鎖々那は伸ばした手で目を隠すように覆った。  頭の中で、神子都の声が聞こえる。  『――鎖々那さま』  微笑み、互いに見詰め合い、唇を重ねて愛を確かめる。  その度に頰を染めては、鎖々那に抱き寄せられ、身を委ねる神子都は心の底から幸せを感じていた。  (こんなにも、お前が愛しい)  もどかしい胸の内を感じて鎖々那は目を瞑った。  すると、本殿の向拝から足音が聞こえて来た。  (……誰だ?)  痛む半身を起こし、扉の向こうから静かに開けられる引き戸の音に耳をそばだてる。近付く足音が誰のものかわかり、警戒心を解いた。  内陣に入る扉の前でぴたりと足音が止んだ時、鎖々那は微笑を零した。  「入って来ても良いぞ。斬実(きりざね)」  鎖々那の呼び掛けに答えるかのように、扉が静々と開いた。其処に居たのは、藍色が少し混ざった黒の短髪に黒い着流し姿の斬実だった。  「失礼します。鎖々那さま」  内陣に足を踏み入れ、鎖々那の隣に斬実は腰を下ろした。  “女狐”によって負傷した斬実の左腕は未だつり包帯で固定されていて、反対側の右手には一本の刀を持っていた。斬実はその刀を床に置いた。  「身体の具合はいかがですか?」  相変わらずの無表情で斬実は話しを振った。  「まだ受けた傷は痛むが、動いても大丈夫だ」  「そうですか」  そこで会話が途切れてしまった。無表情の斬実は鎖々那に向けていた視線を下ろして、黙ったままでいる。  「……何かあったのか?」  鎖々那から切り出せば、俯き気味な斬実の目がまた鎖々那に向けられる。  「俺の命は、貴方に拾われてから貴方の為だけにあるものだった。けれど、左腕を“女狐”にやられ、動かそうとすれば握る力を失われていました」  「それは、まだ完治していないからじゃ……」  鎖々那の問いに斬実は静かに首を左右に振った。  「わかるのです。もうこの手は使えないのだと。……離れ家から貴方が“女狐”と戦っている姿をお見受けしました。見ていて、貴方をお護り出来ない事が苦痛だった。貴方の大切な神子都さまを連れ去られた事が苦痛だった」  そう話す斬実は無表情であるものの、膝に置いた右手を握り締めた。  「あの時、俺が“女狐”を殺していれば、こんな事には……」  「それは違う」  自分を責める斬実を鎖々那は真っ先に否定した。  「お前は悪くない。俺がお前を許せないというのなら、それは左腕を負傷させる程の危機が迫っていたにも拘らず、お前がその場から撤退しなかった事だ」  相手を射抜くような鋭い眼に斬実の瞳が僅かに揺れて戸惑いを見せた。  「……申し訳ありません」  「わかっているならいいさ」  鎖々那は眉尻を下げて微笑した。  「鎖々那さまは、これからどうなさるのですか?」  「俺は神子都殿を助け出し、威縄も救出する。暫くこの稲荷神社を空ける事になるが、神社の事は千菊たちと、お前に任せて良いか?」  その言葉に斬実は目を(みは)った。  「貴方と神子都さまを守れない俺に、神社を守る事など……」  「斬実、お前は“狐神”の良き従者であり、俺の大切な仲間だ。お前に此処を出て行ってほしいなんて事を望まないよ」  斬実の頭に軽く手を置いた鎖々那は微笑み、その(つや)やかな藍色の髪を撫でた。斬実は俯いて自分の頭を撫でる鎖々那の手の温もりを感じた。  「……わかりました。神子都さまの元へ行くのなら、これを」  斬実は傍に置いておいた刀を鎖々那に差し出した。  「俺の代わりに持って行って下さい」  「……いいのか?」  鎖々那は斬実から刀を受け取り、鞘から僅かに引き抜いた刃は鏡のように鎖々那の翡翠色の瞳を映した。  「俺が神子都さまを護れなかった分、その刀なら“女狐”から鎖々那さまと神子都さまを護りましょう。……それから“女狐”に俺の事を言われても、耳を貸さないでください」  顔を上げた斬実は神妙な顔で鎖々那を見詰めた。  「何かあったのか……?」  頷き、斬実は話しを続けた。  * * *  「――遅い! 遅い遅い遅い遅い!」  神社の本殿から母屋へ鎖々那と斬実が足を運んだところ、駄々をこねる子供のような態度を取る拘弦が居た。  「千菊! 俺はお前に鎖々那を呼んで来いと言ったのに、何故こんなにも来るのが遅いんだ!?」  「うるさい死ね」  喚く拘弦に物騒な言葉を投げた千菊は、そそくさとその場を退散した。  「お前から話しというのは何だ?」  胡座をかいて座る拘弦を見下ろす鎖々那の目は冷たいものだった。その理由は、拘弦が神子都に手を掛けた事を許してはいないからだ。  「立ち話もなんだぁ。取り敢えず其処に座れ」  拘弦は人差し指で床を指し、言われるがまま鎖々那は腰を下ろした。  「いいか? 俺は“女狐”こと蜜姫の居場所を知っている。其処に奥方は居る。居なくなった威縄も居る筈だぁ」  「それは信用していいのか?」  鎖々那の隣に腰を下ろした斬実が言う。  「蜜姫に腕を負傷させられたお前に言われたくはないなぁ斬実」  口元を緩めて相手を見下す拘弦に斬実の無表情が僅かに眉を顰めた。  「それで? “女狐”の居場所は何処なんだ?」  鎖々那は話しを続けるように促した。  他の巫女が持って来ていた地図を拘弦が床に広げれば、地図を囲って見る鎖々那たちは、そこに書かれた山脈地帯を凝視した。  「此処って、確か……」  先に口を開いたのは枷宮羅だった。  その言葉を待っていたかのように拘弦は、くくっと喉で笑う。  「ああ、そうだ。城下から西へ。その更に西にある日原(にっぱら)村の一石三大権現(いっせきさんだいごんげん)だ」  一石三大権現……所謂『大自然の神』と呼ばれているその場所は、奥深い山の中にある鍾乳洞で、その中で修行僧が過酷な修行をしている場所である。  「彼処は僧侶の修験道だと聞いた事あるが……」  「“女狐”が其処に集まる僧侶でも食っているのだろう」  鎖々那に対して楽観的に答える拘弦。  「それに、彼処は幕府の天領でもある」  と、口を割ったのは今まで眠っていた久津束だった。  「づかさん!」  黒い狐の姿で身体は伏せているものの、顔を上げている久津束を見た枷宮羅の表情は、ぱっと明るくなった。  「弟よ、気が付いて何よりだ」  首だけを動かし、後ろに居る久津束に目を向けた拘弦は口先を吊り上げて笑った。  「途中から話しは聞いてました、兄上。幕府の目が届く場所であるにも拘らず、何故、“女狐”が其処に居続ける事が出来るのか……」  「そりゃあ、お前、あれだ。周りに人を寄せ付けていないのだろう。その方法は知らないけどな」  拘弦の大雑把な答えに呆れた枷宮羅は半目になる。  「居場所がわかればそれだけでいい」  鎖々那は立ち上がる。  「枷宮羅、斬実、久津束、拘弦。俺に力を貸してくれ」  その場にいる全員に熱い眼差しを向けた鎖々那は、神子都と威縄を救い出す事で頭がいっぱいだ。  枷宮羅は負傷した身体の痛みなど忘れて、鎖々那の隣に並んで立った。  「その言葉を待ってたぜ! 鎖々那! 姐さんを救い出そうじゃねぇか!」  その言葉に久津束と斬実は頷いた。拘弦は欠伸をかいては、つまらなそうな顔をしている。  稲荷神社の守りを頼まれた斬実と久津束。鎖々那、枷宮羅、拘弦は日原村にある一石三大権現に向かった――。
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