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 神子都が目を覚ますと見慣れない天井が視界に入った。  八畳程の座敷に敷かれた布団の上で自分が寝かされているのだと気付いた神子都(みこと)は、昨日までの記憶を辿った。  (私、祝言を挙げたんだ……)  世話になった実家から嫁入行列に並び、稲荷神社で婚礼の儀を行い、酒に酔っては自分を座敷まで運んでくれた鎖々那(さざな)に自ら口付けをして、胸を触らせ、自分の生い立ちを語った。  (お狐さまになんて事を! 破廉恥! そして重い!)  語った後、泣き疲れて眠ってしまった事まで思い出し、両手で自分の顔を(おお)う。  寝ている場合じゃないと意気込み、畳に散らばった長い黒髪を引きずって布団から起き上がろうとした時、目の前がぐらりと揺れた。  倦怠感のある体は胃から器官を通って気持ち悪い物が込み上げて来る。  (無理……)  体に負担が掛からないよう、また布団に横たわると、見覚えの無い着物の袖に自分の腕が通してあった事に気付いた。  (あれ? いつ着替えたんだろう?)  白無垢姿だった筈が、今は淡黄色(たんこうしょく)襦袢(じゅばん)を着ている。  『なんで?』、『どうして?』と、疑問を捻らせていると、あまり良く無い考えが回り始めた。  (お狐さまが私を着替え……いやいや、そんな事は。でも昨日は神社に居るのはお狐さまたちだけって言っていたような……いやいや、そんな、まさか)  否定していると勝手に想像が膨らみ、眠っている無抵抗な自分が鎖々那に着物を脱がされるという妖しい光景が神子都の頭の中に浮かんだ。  (私ったら何を想像してるの!? お狐さまは、いやらしい事なんかしない筈……いやいや! しないんだから!)  勝手な想像に感情的になってはギューッと強く握り締めた布団を頭まで被る……と。  「神子都さま」  「はいぃ!?」  突然の女の人の声に吃驚しては妄想……否、想像から現実に引き戻され、被っていた布団を剥いだ。  障子を挟んだ廊下に目を向けると其処に人影があった。  「お目覚めですか? 開けてもよろしいでしょうか?」  「あ、はい」  「失礼致します」  障子を開けたのは白衣(しらえ)緋袴(ひばかま)という格好をした巫女だった。  巫女は正座をしたまま床に両手を突き、頭を下げて一礼する。  儀式のような礼儀正しさに神子都が不思議そうな目で見ていると、巫女は静かに頭を上げて、座っていた場所から退(しりぞ)く。  退いたところ障子越しから姿を見せたのは、鎖々那だった。  昨日の紋付袴の格好ではなく、鴇色(ときいろ)着流(きなが)しに、薄墨色の羽織を肩から掛けていた。  「神子都殿(みことどの)、気分はどうだろうか?」  「あ、あの、私っ」  慌てながら起きようとすると、歩み寄る鎖々那は神子都の隣で膝を突いて、起き上がろうとした肩に手を添えた。  「そのままで構わないよ」  鎖々那は添えた手を背中に回して神子都を支えながら布団に寝かせる。  気まずい神子都は何処に視線を向けていいのかわからない。何せ、口付けをしてしまった相手が何事も無かったように傍に居るのだ。  「き、昨日は、すみませんでした」  「気にするな。もしかして、酒を飲むのは初めてだったか?」  「いえ、飲む量が多かったのが初めてだったのかもしれないです……」  眉尻が下がり、昨日の事を失態と受け入れては落ち込んだ。  「そうであったか。なら、次からは気を付けないといけないな」  嫌な顔一つもせず、鎖々那は微笑む。  (どうしてこんなに優しいのだろう? 知り合ってまだ間も無いのに……)  悲しい表情でいる神子都の頭を鎖々那は優しく撫でた。撫で方が心地良く、神子都は体中に回っている気持ち悪さが和らいでいく。  「何か欲しいものはあるか?」  「水が……飲みたい……です」  控えめに答えると、鎖々那は廊下に居る巫女に話しを振った。  「水を持って来てくれ。後、そうだな、粥を作ってもらいたい」  「承知いたしました」  と、巫女は一礼してから立ちあがり、その場を後に立ち去った。  「お粥……ですか?」  「何も口にしないのは体に毒であろう。少しだけでも食べておいた方が楽になる」  「すみません、気を遣わせてしまって……」  「何をそんなに(かしこま)る必要がある? 俺とお前は夫婦(めおと)の仲ではないか」  笑みを絶やさない鎖々那に言われて神子都は気付く。(いま)だ、夫婦という実感が無い事に。  「お狐さま、私、まだ実感が湧かなくて……」  だからか、神子都は鎖々那を『お狐さま』と呼んでしまう。  「焦らずとも、いつかその感覚は薄れるだろう。今日はゆっくり休め。な?」  「お狐さま……」  (その優しい心に、甘えてしまってもいいのだろうか?)  考えていると、先程、疑問に思った事が頭の中でよぎる。  「あの」  「なんだ?」  「その、私……いつ着替えたのでしょうか?」  羞恥心を持ちながら(たず)ねると、鎖々那は「その事なら――」と思い当たる節があるようで……。  「俺が着替えさせた」  あっさりと言い放った鎖々那は、それはもうその眉目秀麗に似合う程の素敵な微笑みだった。  発言に衝撃を受けた神子都は鳩が豆鉄砲を食うような顔になる。  「というのは、嘘で」  と、続けて話す鎖々那の話しを一切聞かずに神子都は布団を頭まで被った。  (うわああああああああー見られた! 見られてしまった! そんなに胸も無いのに! くびれても無いのに! 顔だって地味だし! あれ!? 自分で思って虚しくなって来た!)  「――鎖々那が言うと、冗談に聞こえないんだよなぁ」  「枷宮羅(かぐら)、いつもより早起きじゃないか」  神子都が布団の中で悶えていると、黄土色(おうどいろ)の小袖に灰色の袴を着た銀色の長い髪の男、枷宮羅(かぐら)が座敷を訪ねた。  「いやぁ、昨日、(あね)さんに飲ませまくったの俺だからさ、早めに起きて謝ろうかと思って来た訳よ。コレ、巫女の代わりに俺が持って来た」  枷宮羅は盆に乗せていた湯飲みを鎖々那に渡した。  「しっかし、大胆だねぇ。『俺が着替えさせた』って……ふははっ」  「そう笑ってくれるな。事実、着替えさせたのは巫女だからな」  二人が会話している中、神子都は井戸の中から出て来る幽霊のように長い髪を揺らしながら寝ていた体を起こした。  「そ、そうですよね、私とお狐さまは夫婦であって……は、は、裸を見るぐらい普通であって……いやっ、でもっ、うっ、うわああああああ!!」  正座したまま背中を丸めて、赤面する顔を伏せて額を床に突けた。  「私もう、お嫁に行けない!!」  「もう来ているが」  「姐さん天然?」  笑いを(こら)える枷宮羅の存在に気付いた神子都は伏せた顔が上がらなくなった。
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