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 二人は互いに向き合い、鎖々那(さざな)は話し出した。  「神子都殿を襲ったのは“女狐(めぎつね)”と言って、人の女性(にょしょう)に化ける狐だ。“女狐”は人の女性を襲い、食い殺す……俺たち狐の中で最も冷酷非道の生き物」  「女性を……食い殺す……?」  頷く鎖々那は胸の内からじわりじわりと湧き上がる怒りを感じながら話しを続けた。  「女性の体内から“生き肝”を引きずり出してソレを食べる。“生き肝”を奪われた女性はそのまま死に至る。俺が“狐神(きつねのかみ)”になる前……前代“狐神”の花嫁は“女狐”の手によって殺された」  「殺されたなんて……」  予想もしなかった話しに上手く答える事が出来ない。だが、神子都は鎖々那の異変に気付く。  鎖々那は膝に置いた自分の手を、爪が手の平に食い込む程に握り締め、歯噛みし、垂れ下がっていた筈の三角の耳は起き上がって耳を被う毛が逆立っている。  (お狐さま……?)  「前代だけでは無い。その前の花嫁も更にその前も……皆、“女狐”によって命を奪われた。長年と受け継がれた村娘を(めと)る儀式を辞める事も出来たが、儀式を無くせば罪無き村に天災が下り、最悪、死人を出してしまう」  鎖々那は、一度、目を伏せた。  「俺は人が好きだ。人を悲しませたくない。前代“狐神”とその花嫁がまだ幼かった俺の親代わりだったからだ」  穏やかな口調と懐かしむような表情。それなのに鎖々那の眼は哀しみを帯びていた。  「花嫁は良い人であった。本当の自分の子供のように俺を大切にしてくれた。だから……」  顔を上げた鎖々那は膝立ちで着流しを畳に擦って腕を伸ばした。  その腕は正面に居る神子都を抱き締めた。  「俺は愛する者を二度と失いたくない。神子都殿を恐がらせてしまうかもしれない。それでも俺の花嫁で居てくれ」  抱き締める身体を離して、神子都の両肩を掴んだまま互いに向き合う。  「俺がお前を守る。絶対に」  真っ直ぐとした想いを告げられ、神子都は頷きながら鎖々那の手を取った。  「私が“狐神”の花嫁で居てもいいんだって、やっと実感が持てた。“女狐”の事は前の花嫁の方が亡くなられていると聞いて、正直、恐いです。お狐さまの親代わりだった大切な人であったなら尚更……」  俯いた神子都は、鎖々那の右手の平を広げて懐から手拭いを取り出した。  鎖々那の右手の平には握り締めた拍子に爪で食い込んだ痕が残っていて、小さくも皮膚が裂けて血が出ていた。  「恐いけど、私は逃げ出したりしません」  血を拭き取り、広げた手拭いを鎖々那の右手に巻いていく。  「此処には枷宮羅(かぐら)さま、斬実(きりざね)さんに威縄(いなわ)くんが居る――それに」  顔を上げた神子都は微笑む。  「お狐さまが私を守ってくれると言ってくれたから、私はお狐さまを信じたい」  神子都からの信頼に鎖々那は瞠目したその目を細めた。  「ありがとう、神子都殿」  手拭いを巻かれた右手を取る神子都の手に鎖々那は空いていた左手を重ねた。  互いに見詰め、微笑み合い、二人の距離がまた近付いた。  * * *  時は少し遡り――鎖々那が神子都を神社の境内(けいだい)に案内しているその裏で、枷宮羅(かぐら)朝餉(あさげ)に使われた五人分のお膳を台所まで運んでいた。  「枷宮羅さまが後片付けを?」と、台所で食器を片付けをしていた巫女が枷宮羅の姿に驚いた。  「おうよ! 偶には手伝いしねぇとな! いつも後片付けご苦労さん」  にっこり笑う枷宮羅に巫女は頰を染める……筈だった。  枷宮羅の背後に迫り来る鬼のような形相をした千菊(せんぎく)にぎょっとして巫女の顔が蒼白くなった。  「何が『手伝わないと』ですか『当たり前』の間違いでしょう?」  千菊はお膳をぶち撒けて朝餉を台無しにした枷宮羅を許さずにはいられないのだ。  「それは悪かったって!」  枷宮羅は巫女の背後に隠れて彼女を盾の代わりにする。  千菊と枷宮羅の間に挟まれた巫女は二人にどう対応していいのかわからず焦り出す。  「鈴音(すずね)、其処を退きなさい」  低い声は冷酷を表し、千菊に命令される巫女……鈴音は戸惑って言葉を詰まらせる。  「いや、でも……」  しっかりと両肩を枷宮羅に掴まれている鈴音はその場から離れたくても離れられない。  その時、台所に一人の男が顔を出した。  「此処に居たか! 枷宮羅!」  男は黒髪を総髪に結い上げ、銀鼠色(ぎんねずいろ)の小袖から逞しい腕を覗かせ、足首に脚袢(きゃくはん)を付けた藍鼠色(あいねずいろ)山袴(やまばかま)という格好だ。肩には一丁の種子島(たねがしま)火縄銃を背負っている。  その男は久津束(くづつか)といい、鎖々那と神子都の婚礼に居合わせていた完璧なまでに人の姿をした狐である。  「づかさんじゃねぇですかぃ!」  ぱっと明るい表情に変わる枷宮羅は鈴音から離れ、足早に千菊の横を素通りして久津束に歩み寄る。  「なんだよ、なんだよぉ! 来るなら来るって言ってくだせぇよぉ! 水臭ぇなぁ!」  嬉しそうな枷宮羅は久津束の肩をバシバシ叩く。  「それより……“兄上”を見なかったか?」  そう話す久津束は深刻な顔をしていた。  「いや、見てないですぜ」  「二人は?」と、続けて枷宮羅が千菊と鈴音に話を振る。  「最近は見掛けませんね」  「私も」  千菊と鈴音の答えは同じだった。望んでいた答えと違い、その所為か久津束は眉間に皺を寄せて額に手を当てた。  「まいったな……」  表情が険しくなる久津束を凝視する枷宮羅は首を傾げた。  「何かあったんですかぃ?」  「二日前に鎖々那が祝言を挙げただろう。その裏で兄上が俺の金を使って浅草の花街で娯楽から愉悦を味わっていたそうだ」  「弟の金で兄貴が遊ぶなんて……それが問題なんですねぃ?」  「いや、金の事はいいんだ」  「いや、いいのかよ」  久津束は一つ深呼吸をして息を吐く。  「問題はその後だ――」  久津束は稲荷神社で行われていた、鎖々那と神子都の婚礼の儀に参加したその日の内に江戸の城下町へ帰って行った。  狐でありながら完璧なまでに人の姿で、人の生活に混ざって生きている久津束である。  久津束の実兄もまた狐とは思えない程の人の姿をしていて、日頃から城下町で暮らしているが、浅草をフラフラ歩いては女や芸子と茶を楽しみ、吉原に通っては遊女と酒を楽しむ。  女と遊ぶ事を好んでは金が無い日でも遊び尽くし、払えない場合はとんずらを仕出かすという(たち)の悪い狐である。  『おやぁ……久津束じゃないですかぁ』  稲荷神社から城下町に戻った久津束は、穏やかな昼下がりの町で実兄と出くわした。  『兄上!? こんなところに居たのですか!?』  川沿いに面した人通りのある歩道で、柳の下に突っ立つは総髪に結い上げた黒髪に垂れ目で気怠げな顔をした男が一人。  外見は華奢で見た目は三十路半ばといったところだろう。その細身に纏う葡萄色(えびいろ)着流(きなが)しは少し汚れていて袖口と裾がほつれている。  この男こそ久津束の兄……拘弦(こうげん)であった。  『お前こそ、何処に行ってたんだぁ?』  『俺は稲荷神社に行って来たんです。昨日、“狐神”である鎖々那の婚礼が行われたと言うのに、兄上は今まで何処に行ってたんですか!?』  『昨日はなぁ、確かぁ、芸子と一緒に小太鼓叩いてくるりと回って遊んで茶と菓子を食べてた。あれはぁ美味かったなぁ……。そうだ、お前には礼を言わないとなぁ。花街に行けたのはお前が働いた金があったからだぁ。ありがとー』  『……』  絶句する久津束は、はっと気付いて自分の袖口に手を突っ込んでは腰回りを叩く。  いつも持ち合わせている財布が消えていた事に今まで全く気付かなかったのだ。  『それで? どうだったぁ、鎖々那は相手の娘と上手くやって行けそうだったか?』  『兄上も鎖々那を気にかけていたのですか?』  『俺だってなぁ気にしてるんだぞぉ! 相手の娘は可愛いのか!? べっぴんさんなのか!?』  『気にしてるところそこかよ!?』  拘弦は一つため息を吐いて改めたように話し出す。  『俺はなぁ、“人”で言うなら人妻が好きだ。熟女も良しとしよう。この間、旦那が居る女と一晩明かしたんだが……朝方になって俺と妻が寝ているところに旦那が現れてだなぁ、その旦那と妻は崩壊していったよ。それがまた楽しくてなぁ』  愉快に話す拘弦に呆れた久津束は『死ねばいい』と、呟く。  『あの鎖々那が“狐神”になってから嫁を迎える時が来たか…………“あの方”が亡くなって、もう何年だ?』  拘弦が遠い記憶を遡って過去の話をすると、久津束は表情を曇らせた。  『鎖々那は立ち直っているのか? 立ち直っていないなら嫁には負担が大きいんじゃないのか?』  ぼーっとした表情で淡々と話す。  『それは……俺にはわからないので』  『そうだ! 会いに行こう!』  閃く拘弦は先程までの気怠げな顔とは違い、垂れ目から覗く黒い瞳が輝いている。そんな自分の兄に久津束は再び絶句した。  『鎖々那の嫁即ち人妻! そして俺は嫁を喰らう! 稲荷神社に泥沼の歪んだ愛が生まれるのだ!』  『そんなの弟である俺が許しませんぞ! って、兄上!?』  人目が付く場所で拘弦は黒い毛並みをした狐の姿に戻って、その場を走り去って行く。  人の姿から狐に戻った瞬間を誰にも見られなかったのは幸いだったが、走り去る狐に向かって『兄上』と叫んだ久津束は通行人に不審な目で見られたのだった。  「――という事があったんだ」  久津束が話し終えれば、話の内容に不快感を覚えた枷宮羅は苦笑しつつも顔が引きつっていた。傍で聞いていた千菊と鈴音は半目になっている。  「そんな事があったとは……。でもやばいっちゃあ、やばいか。げんさんが帰って来たら……真っ先に(あね)さんのところに行くだろうし、鎖々那の事も聞かされるかもな」  神妙な面持ちで話す枷宮羅。深刻な話しになりそうな雰囲気を察した千菊は鈴音を連れて台所から離れて行き、その場に枷宮羅と久津束の二人だけになった。  「鎖々那は“あの事”を今はどう思っているんだ?」  「昔の事を受け入れているつもりなんでしょうが、まだ背負っているというか向き合いきれてないみたいで……」  溜息き混じりに話す枷宮羅は顔をしかめた。  「前代の“狐神”の嫁さんが鎖々那を自分の子供のように可愛がっては育ての親になってくれた。そんな大切な人が、鎖々那の目の前で死んじまったんだ」  悔しそうに枷宮羅は銀色の前髪をくしゃりと握り、口を閉ざした久津束は右手を枷宮羅の肩に置いた。  ――当代“狐神”である鎖々那の身に、昔、何が起きたのか。神子都がそれを知るには、まだ先の話しになる。
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