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 江戸の城下町から離れた田舎の集落。水面に山を映す田圃道を着物を纏う狐たちが列をなして歩く姿があった。  歩幅を狭くして一歩ずつ歩く狐たちの手に下げられた提灯が、ゆらりゆらりと怪しく揺れ動く。  列の先頭には白無垢姿の村娘と、その隣を歩く紋付袴を着た男。  男は“人”と大差ない容姿ではあるが、翡翠色の瞳に、短髪の少し癖毛の髪は紅色(こうしょく)で、頭に獣のような耳を生やしていた。  天候は晴れているのに雨が降っているという不思議な現象。  雨の景色に紛れて、娘は静かに涙を流した。  * * *  嫁入行列の後に続く婚礼の儀は稲荷神社の本殿で行われ、祭壇がある内陣では“人に化けた狐”が嫁入した村娘の神子都(みこと)を傍観しつつ、コソコソと会話をしていた。  「あの子が鎖々那(さざな)の嫁さんかい?」  「めんこいのゥ。我々の目には赤子に見えるわ」  「いつぞやの娘みたく儂らが怖くて逃げ出すんじゃないかえ?」  「ホッホッホッ。それはそれで先祖“狐ノ神”に笑われてしまうじゃろ」  嫁入したばかりの村娘を笑い話にする狐たちの言葉を当人は聞いてか聞かずか……神子都(みこと)は嫁入行列の時から浮かない顔をしては何度も俯いていた。  「食べないのか?」  隣から聞こえて来た声に目を向ける。  神子都の隣に並んで座っているのは、神子都を嫁に迎え、たった一日で神子都の夫となった“狐神(きつねのかみ)”。  “狐神”――村を守る稲荷神社の神様であり、数年に一度だけ村の娘を神様に捧げる事で村を安泰させる力を持っている──。  “狐神”の名は、鎖々那(さざな)といい、翡翠色の瞳に神子都を映し、癖毛が混ざった肩より少し短い紅色の髪は神子都の目に止まる。  次いで頭に真っ直ぐ生えた獣のような耳にも目が行ってしまう。  「持て成す料理は人と同じ物であるが、気に入らないか?」  「い、いえ、そんな事は……」  目の前の御膳に乗った料理は豪華な料理ではあるが、どうも食べる気になれない。  其処で神子都の目に付いたのは、酒の入った銚子(ちょうし)だった。  「あ、あの」  神子都は銚子を手に持ち、鎖々那(さざな)に差し出す。  「()ぎましょうか?」  「! では、遠慮なく」  神子都の行動に少し驚いた鎖々那(さざな)は目を細め、赤い漆塗りの(さかずき)を手に取った。  白濁の酒を盃に(そそ)げば、踊るようにゆらりと酒が揺れる。  「コレは良い酒だな」  酒の色を見定め、盃の中から香る匂いを嗅ぎ、鎖々那(さざな)は酒を楽しんだ後、一気にソレを飲み干した。  「お前も一杯どうだ?」  「いえ、私は……」  遠慮しがちな神子都の手から鎖々那(さざな)は滑らかな手付きで銚子を奪い取った。  「なに、遠慮はするな」  「ですが……」  「そうそう! 夫婦(めおと)になったんだから!」  いきなり背後から会話に割って入って来た男が一人。  驚いた拍子にびくりと肩を揺らした神子都の右肩を掴み、鎖々那(さざな)の左肩に腕を回し、真ん中に居る自分に祝言を挙げた二人を引き寄せる。  「遠慮しちゃあいけやせんぜ! グイッと飲んじまえばいいってものでさぁ!」  男は銀色の長い髪に、鎖々那(さざな)と同じく頭に獣の耳を生やした人に化けた狐である。  今から祭りでも始めるような雰囲気を持ち、虎柄の着物と(いかずち)が描かれている袴は、婚礼の儀に参加する者としては少し派手な格好に見える。  「もう酒が入っているのか? 枷宮羅(かぐら)」  鎖々那(さざな)は困ったように笑う。  『枷宮羅(かぐら)』と、呼ばれた銀色の男は、移動して鎖々那と自分の間に神子都を挟んだ。  「今日みたいな良い日にゃあパァーッと酒を飲まずして何しろってんだ。(あね)さんっ、飲みやしょう!」  「えっと……」  銀色の男が何者であって、鎖々那(さざな)とどういう関係であるのか、初対面の相手に神子都は困惑するばかり。  この場に参加している者は“人に化けた狐”と“顔だけが狐”である者も居て、面妖な光景が広がっているのだ。  故に“狐神(きつねのかみ)”が花嫁を迎えるその日だけ、村人を稲荷神社に立ち入れる事は許されない。  人という生き物が自分しかいない事に戸惑う神子都の様子に気付いた銀色の男は、背筋を伸ばし、咳払いを一つ。  「こいつぁ失礼しやした。俺は枷宮羅(かぐら)鎖々那(さざな)とはガキの頃からの幼馴染。でもって次期“狐神”! よろしくな! 姐さん!」  「ええっと……」  勢い任せな自己紹介にどう返していいのかわからない。  それを見兼ねた鎖々那(さざな)は、枷宮羅(かぐら)に向かって清々しい顔でこう言った。  「騒がしい奴で悪いな」  「酷くね!? 鎖々那(さざな)酷くね!?」  「――本当、何一人で盛り上がっているんだか」  棘のある言葉を枷宮羅(かぐら)に向けたのは、御膳に乗った料理を食べていた一人の少年だった。  「威縄(いなわ)! てめぇ!」  枷宮羅(かぐら)はキッと男の子を睨み付ける。  自分を睨む相手を冷めた目で見る少年は齢十二、三歳ぐらいで、短い灰色の髪に、少年もまた頭に獣の耳を生やしている。  「やめろ二人共。婚礼の儀に喧騒は良くないぞ」  自重を求めたのは、少年の隣に居た青年だ。  青年は黒髪を頭の後ろで一つに束ね、着物の袖口から逞しい腕を覗かせている。  獣の耳は頭に無く“完璧な人の姿をした狐”である。  その事に気付かない神子都は青年を見ては『人が居た』と自然に思った。  すると、鎖々那(さざな)は神子都に耳打ちするように話す。  「あの手前に居るのはまだ子狐である威縄(いなわ)と言ってな、俺の弟みたいなものだ。その奥に居るのが久津束(くづつか)。誰よりも人に上手く化けるのが得意で、普段は人に紛れて生活しているんだ」  「! 此処に居る人たちは、お狐さまたちなんですか?」  青年……九津束(くづつか)を“人”だと思った神子都は眉を八の字に下げて『騙された』と思ってしまった。  「“狐神”である俺に仕えし狐たちだ。案ずるな、お前に悪さはしない」  「そう、ですか……」  「さて。俺は先程から、お前に酒の一杯は飲んでもらいたいのだが」  話を切り替えした鎖々那(さざな)に、何を言っているのだろう、と神子都は目をパチパチと瞬きさせる。  「駄目だろうか? これでは一人で酒を飲んでいるのと同じになってしまう」  あまりにも優し過ぎる話し方に神子都はばつが悪くなり、躊躇しつつも赤い漆塗りの盃を静かに手に持った。  今度は鎖々那(さざな)が盃に酒を(そそ)ぎ、神子都が酒を飲む番と来た。  盃に口を付け、少しだけ酒を口に流す。口の中でとろける舌触りに、甘味と深みのある香りが広がって喉を通って行く。  「! 美味しい」  小さい声で呟き、神子都が笑みを浮かべた時、鎖々那(さざな)の心が揺れ動いた。  「おっ。姐さんイケる口じゃねぇか。もう一杯行きやしょう!」  意気揚々と神子都の盃に酒を(そそ)枷宮羅(かぐら)。  それを傍観していた威縄(いなわ)は呆れて溜息を吐いたのだった……。  その後も酒が気に入った神子都は、空になった盃に酒を注ぎ、空になっては注ぎ、と繰り返す。  「そんなに早く飲まなくても酒は逃げて行かないぞ」  「大丈夫ですよ。ふふふっ。なんだか楽しくて」  上機嫌に振る舞う神子都の手から盃が滑り落ちた時、気分が高揚した狐たちによる宴会芸が披露される。  「此処に()りますわ年老いた(じじ)いでございますれば、手にした砂で枯れ木を咲かせてみせましょうぞ!」  と、茶色の狐が砂を撒く振りをすれば、もう一匹の狐が姿形を桜の木に変化(へんげ)する。  枝に芽吹く蕾が花開き、天井一杯に満開の桜が咲き乱れる。その美しい光景に「おおーっ」と、絶賛する声が上がる(かたわら)(どよめ)きが起きた。  「何?」  「どうしたのかしら?」  狐たちの視線の先には、今にも床に倒れそうな神子都の体を支えている鎖々那(さざな)の姿がある。  「あちゃー……」  枷宮羅(かぐら)は苦笑する。  座っていた姿勢から立ち上がる久津束(くづつか)鎖々那(さざな)の下まで歩み寄り片膝をつく。  「大丈夫ですか?」  「なに、少し飲み過ぎただけさ。俺が部屋に連れて行くから、久津束(くづつか)、悪いが後は頼む」  「……承知」  鎖々那(さざな)は今にも意識が途切れそうな神子都を(かか)え、その場を後にして神社の本殿から離れた母屋へ神子都を運んだ。  * * *  泥酔状態である神子都が連れて来られたのは、藺草(いぐさ)が香る広い畳部屋。  畳の上に(おろ)された神子都は酔いながら頭に被っていた綿帽子と、その下に付けていた髪飾りを取り外した。  「待っててくれ。今、水を――」  と、立ち上がろうとした鎖々那(さざな)は袖を引っ張られる感覚に気付き、振り向くと潤んだ瞳で見上げて来る神子都が居た。  髪飾りを外した事で()かれた黒く長い髪は、滝のように肩から滑り落ちる。  「お狐さまぁ……」  甘える声に、赤い果実のようなふっくらとした唇。  吐息を吐く神子都に鎖々那(さざな)は『どうしたものか』と思い、苦笑すると、目の前に伏せた長い睫毛が映る。  唇に押し当てられた柔らかい感触。何が起きたのか理解するに時間は掛からなかった。  重ねられた唇は直ぐに離れ、肩を強く押された鎖々那(さざな)は畳の上に押し倒された。  天井を背景にした神子都が翡翠色の瞳に映る。  倒れた鎖々那の上に跨り、白無垢の衿を緩くしていく。  「ふふっ……お狐しゃま……」  楽しげに笑い、呂律が回らない喋り方。  神子都は自ら衿を開き、肩を露わにした時、畳に肘を突いて上半身を起こした鎖々那がその手を掴んだ。  「それは駄目だ」  「どうして?」  「今、此処で情を交わしてしまえば、お前はきっと後悔する」  小首を傾げた神子都は自分の手を掴む鎖々那の手を空いた片手で掴み、そのまま自分の胸に押し当てた。  鎖々那の手の内に柔らかな感触と温もりが伝わっていく。  「こんなに触ってほしいのに?」  赤い顔で見詰める神子都に、鎖々那は目を丸くさせて生唾を飲んだ。  「私はね、要らない子だったの。お父さんの妾の子で、育ての母親は義母なの」  俯いた神子都は胸に当ててた鎖々那の手を離して落ち込んだ顔をする。  「義母は良い人よ……だけど、義母には既に一人娘が居て、その一人娘は私と義母姉妹になった。仲良くなる事に時間はかからなかった」  「それは……良かったのではないのか?」  鎖々那が聞くと首を左右に振った。  「まだ幼かった私と姉は、軽い気持ちで山の中に入ったの。そしたら遭難して……村の人たちに見つかった時にね、家の近くまで来ると義母は真っ先に姉を抱きしめたの」  跨っていた鎖々那の上から静かに下りた神子都は、背中を向けて俯いたままで話しを続けた。  「生きづらさが心と身体が成長するにつれて大きくなっていった。周囲に対して引け目を感じる思いが収まりきらなくなっていった……」  半身を起こした鎖々那(さざな)は背中を向けている神子都が涙を流している事に気付く。  「そんな時、村に“狐神(きつねのかみ)”が娘を貰いに来たと、役場で行われていた話し合いを聞きつけ、その場に居合わせていた村の人たちに混ざって私が手を挙げた」  泣き声を混ぜながら自分の思いを吐き出す。  「“狐神”に捧げる花嫁は私がやります、と……私は逃げ出す為に此処に来たの。自分の都合を理由に、村を守る“狐神”を利用した私が……貴女の妻で良いのなら、私に触って。お願い」  「神子都殿……」  鎖々那の呼び掛けに、自分の存在を突き放される覚悟を決めた。だが、神子都の思いは(くつがえ)された。  「話してくれてありがとう」  後ろから鎖々那に抱き締められた神子都は相手の顔を見なくても微笑んでいるのだとわかった。それぐらいの優しい声を向けられたのだ。  「神子都殿は頑張って来た。それで良いではないか」  その言葉に、涙が次々にこぼれ落ちてく。  「俺は、お前を咎めはしない。お前は抱えて来た思いから、少し休みたかっただけさ」  止まる事の無い涙は、神子都が鎖々那の優しさを素直に受け入れた証である。  神子都は鎖々那に振り向き、鎖々那の胸に顔を埋めた。  神子都が今まで溜め込んで来た思いが一気に溢れ出る。  「本当はちゃんと義母に言っておきたかった。こんな私でも、育ての親になってくれてありがとうって……でも言えなかったッ……」  「うん」  「だって家から逃げ出した義理の娘だから……」  「うん」  「こんなの、最低だ……私……私……ッ」  胸の内に秘めていた苦しみは嗚咽が混ざる泣き声と共に吐き出す。  吐き出された言葉に一つ一つ相槌を打つ鎖々那は気付いた。  嫁入り行列の時に、神子都が涙を流したその真意は、長年世話になった義母に伝えたい言葉を言えなかったからだ。  鎖々那は神子都を強く抱き締めた。
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