卵かけご飯の思い出

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卵かけご飯の思い出

この世のどこかに不思議なレストランがあるという。普段はひっそりとしていて目立たないその店は、あるとき急に目の前に現われる。 「いらっしゃい」 「ほう。こんなところにレストランがあったとは。ここはいつも通り道だけど、知らなかったな」 「ここはお客さまが今まで食べたことのあるものでしたら、なんでも好きなものを注文していただけるレストランです。どれを食べても、今まで食べたことのないような美味しさです。その代わり、もう二度とそれを食べられなくなります」 「はは。洒落が効いてるね」 今まで食べたことのあるもので、もう二度と食べられなくなってもいいものといったら、あれかな。 貧乏だった少年時代に毎日食べていた、あれだな。必死に努力を重ねて一代でのし上がってからは、もう食べることもなくなったけど。今まで食べたことのない美味しさというなら、最後にあれをもう一度食べてみようか。 「お決まりになりましたか」 「ああ。卵かけご飯をもらおうか」 「おまたせしました」 「ほお。これは、美味しいな。あの頃は早くこんなものを食べなくてもいいようになりたいと思っていたが、こんなに美味しいものだったとは。今ではフランス料理だろうが懐石料理だろうが、なんでも食べられるようになったけど、卵かけご飯のほうがよっぽど美味しいな」 「お気に召していただけましたか」 「ああ、ありがとう。久しぶりに満足したよ」 私は店を出た。振り返ると、店の姿はどこにも見当たらなかった。 翌朝、私はもう一度卵かけご飯を食べようと、冷蔵庫から卵を出した。 茶碗の縁で殻を割り、白いご飯に開けた穴に中身を入れる。 なんだ、あのレストランのオヤジは、もう食べられなくなるなんていっていたが、普通に食べられるじゃないか。 そう思って一口つけたところだった。 「う!」 私は意識を失い、病院に運ばれた。重篤な卵アレルギー。それが私に下された診断だった。もう一度卵を食べたら、今度は命の危険があるという。 くそ。あのオヤジ。もう卵焼きも食えないじゃないか。
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