攻守交替かくれんぼ

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 帰宅ラッシュの前で良かった。うたた寝を見られるのはどことなく恥ずかしい。頭の空気を入れ替えて画面を見ると、ゼミの友だちからメッセージが届いていた。院生の先輩の家で夕食を食べるらしい。 『ごめん、地元にいる』『明日帰るからまた誘って』  半分寝ぼけた頭でぽつぽつと返事をするとすぐに、泣いた熊とOKを掲げる熊のイラストがせわしなく踊った。  そのまま手癖でネットを開く。趣味なのか何なのか、変わらず続けている絵は創作サイトやSNSに投稿している。一昨日アップした作品にはいくつかの「すき」を示すマークがついていて、僕はこっそりほっとした。投稿した直後は怖くて見られないのがいつものこと。誰かのために描いているわけではないけれど、こうして誰かが見てくれたと分かるのは嬉しい。  スマホに入っている日常と、これから日常になる予定のこちら側。  けれど就活以来二か月ぶりに袖を通したスーツはいまだ着慣れず、身体を鎧で覆われた気分になる。しかもそれは自分を守ってくれる防具ではなく、思い通りに動けなくする足枷。内定式を終えて帰路についた今この時でさえ、あと半年もないうちにこれが現実になるとは信じられない。  僕は音をたてないように、長く、息を吐いた。  行けるものなら、と思っていた会社のうちの一つに入ることができる。それはたぶん喜ばしいことで、内定をもらった時は実際嬉しかった。ただ時間がたって考えてみればそれが、やっと就活が終わるという後ろ向きな理由からくるものでないと断言できない。この会社に(・・・・・)入れてよかった、なんて純粋なものでは少なくともなかった。
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