寂しい夜の過ごし方

3/4
167人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 ――雪のせいで渋滞している。少し帰るのが遅れそうだ。  最近恋人に強く言われて買い換えたスマホの扱いに悪戦苦闘し、ようやく開いたメッセージアプリを見て、守谷はがっくりと肩を落とした。  帰ったら二人で飲もうと思って暖めていた熱燗が、丁度いい具合に温まった。  本当はもっと側にいて欲しいのだが、彼にも仕事がある。それを邪魔してはいけないと思うのに、離れている時間や距離を恨めしく思ってしまう。  守谷の恋人は、守谷の担当編集をしてくれている。  人嫌いが拗れて、祖父母が生前住んでいた田舎のこの家に居続ける守谷の所に通い続け、時に優しく、時に諭すようにしてくれる彼に徐々に惹かれた。それでも恋人になるまで6年くらいかかったのだ。  彼は本当に何でもできる。料理は守谷の好きな和食から、たまの洋食。掃除も完璧だし、洗濯なんかも嫌と言わずやってくれる。  「こんな生活していたら死んでしまいますよ」と柔らかい声で言った人は、出社に片道2時間もかかるのに一緒に暮らしてくれる。  彼がいなかったら、きっと今頃守谷は人らしい生活をしていない。それどころか病気になって倒れていたかもしれない。不摂生で不自然に痩せた体は彼がきてから健康的な肉付きになった。  何よりも精神的に落ち着いた。人は嫌いだが、時々寂しかった。不意にこの世界に自分一人しかいないような錯覚に陥って、孤独に震えてバカをしたくなる事があった。言っておくが、妙な薬はやっていない。  昔からそういう、不安定な部分はあったのだろう。大人になって裏切りを知り、孤独や醜さを知って余計に悪化していた時に彼に出会った。  当時は衝動的に切ってしまい、彼に酷く怒られる事もあった。けれど今はそんな衝動は起こらない。遅くなっても連絡をくれるから、寂しくても待つことができる。  弱い事を言っても、聞いて、抱きしめてくれる人がいる。それだけで随分と楽になったのだ。  今なら書けるかもしれない。  こたつにPCを移動させ、暖めていた熱燗をひょいと取り上げた守谷は早速画面に向き合う。そして、先ほどの続きを一気に書き進めた。  待ち合わせ時間に遅れてきた彼。意気消沈している彼女の首にそっと自分のつけているマフラーをつけてあげた彼は、彼女の通う塾の講師。禁断の恋っぽいシチュエーションが好きだ。なんか、一線を越えていいのかどうか、そんな葛藤が盛り上がる。  デートはいつも講師の家。けれど今日はオシャレなイタリアン。彼女のオシャレを褒める男はデザートの時、小さな箱を彼女に贈る。  それはとても小さなリング型のペンダントトップをつけたネックレス。そして言うのだ、「卒業したらちゃんと大きなリングを渡したい」と。  そのまま二人は男の家で初めての夜を過ごす。 「陳腐ですかね?」  ちょっとありふれてひねりがない気もする。だがその分少女の心には寄り添った。恋人がいない今の不安や心細さ、寂しさ、来ないかもしれないという想像。相手が好きであればあるほど、押しつぶされそうな気持ち。帰ろうか。それとももう少し待とうか。結局動けないのにする葛藤。  男も垢抜けた感じはしない、純朴な人物。真面目に……だけど生徒である彼女を思ってしまった。オシャレなんてあまり知らない、ただ彼女に似合っている。頑張ったのが分かる。それだけで愛しさがこみ上げるような男がいい。  誰だって現実の恋はままならない。だから物語に求めるのは美しい心だ。  気づけば熱燗2本が空になっている。時計を見ればもう午後8時。いつもは6時に帰ってきて、ご飯を作ってくれるのに。  急に部屋の中がガランとして、気持ちが落ち込む。酔いも心地よくあって、守谷は後ろに寝転んだ。  その時、ガラガラという引き戸の音がして、買い物袋のすれる音がする。聞き慣れた少し広い歩幅の足音が廊下を軋ませる。  起き上がり、急いで襖を開けようとして、ほんの少しぶつかった。自分よりも頭一つは長身の彼が、買い物袋を持ったままの手で守谷を支えてくれた。 「遅くなってしまってすまない、恭司くん」 「慎一郎さん」  冷たいコートの前を握った守谷はその胸に頬を寄せて、首を横に振る。不安だったけれどいいのだ、帰ってきてくれたなら。 「大丈夫かい?」 「平気です、慎一郎さん」 「少し、飲んでいるね?」 「熱燗を少々。本当は貴方と飲むために用意したのですが」 「それは済まない事をした。お詫びに、暖かい鍋を作ろう」 「では、熱燗をまた作ります。明日は出社しなくてもいいのですよね?」  そう聞いている。電話とネットで十分できる仕事だと言っていた。  慎一郎こと須田慎一郎は暖かく微笑むと、しっかりと頷いた。 「急な呼び出しも明日はないよ」 「本当に?」 「何せこの雪だ、交通網が麻痺している。今夜から明日にかけて大雪の恐れが強まった為、明日は終日、都内へと向かう電車は計画運休だそうだ。そんなの、車でも無理だよ」  確かに雪が降り続いている。この辺は年に数回このくらいの雪が降るが、雪に弱い都内は数十センチ積もるだけで大騒ぎになる。 「よかった」  ほっとして、守谷は更に須田に身を寄せた。そしてゆっくりと、一日分の彼の匂いを確かめるように息を吸い込んだ。  須田が作ってくれたのは守谷の大好きなあご出汁醤油ベースの鍋。そこに白菜、椎茸、えのき、鶏だんご、豆腐、ネギ、油揚げと、飾り切りをした人参。〆は当然雑炊だ。  そこに熱燗を再度作り、二人で囲む夕食はほっこりと幸せな味がする。 「恭司くん、豆腐を取ろうか」 「お願いします」  鍋用の器を彼に渡すと、とても綺麗な箸捌きで豆腐を取り分けてくれる。更に分かっているように鶏だんごと油揚げ、ネギと椎茸も入れてくれた。 「有難うございます」 「熱いから気をつけるんだよ」  言われ、豆腐を小さくして息を吹きかけて口の中へ。それでも熱くてハフハフしていたら、彼がおかしそうに笑った。 「熱いと言ったじゃないか」 「ちゃんとフーフーしました」 「少し時間をおいて食べればよかったのに」 「私は我慢が嫌いだって、知っているでしょ?」  ちょっと拗ねて言うと、暖かく、けれど色を感じさせるように須田の瞳が細くなる。体が熱く感じるのはきっと熱燗のせい。そう、自分に言った。 「そうだね。君はとても、我慢が嫌いだったね」 「本当は留守番も嫌いです」 「分かっている。……寂しい思いをさせてしまったね」  柔らかく、でも申し訳なさそうな声で言われ、守谷はふと箸を止めた。須田を見ると、申し訳ないという顔をしている。 「……寂しくて、凍えてしまいそうでした」 「恭司くん」 「暖めていただけますよね、慎一郎さん」  見つめても、須田は驚きもしない。それを見ると嬉しくなる。驚かないのは多分、彼も同じ事を思っていたからだ。 「それではまず、ちゃんと食べようか」 「お風呂は明日がいいです」 「あぁ、そうしようか。今入っても結局直ぐに入り直さなければならなくなりそうだからね」  期待した夜が来る。その思いだけで日中の寂しさが癒えるのだから、本当に現金極まりないものだと思う。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!