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 一日の業務が終わり帰路に着こうとした時、新入社員の佐々木は課長の曾川(そがわ)に呼び止められた。 「ねえ、佐々木くん。今晩、一杯どう?」  曾川は穏やかな微笑みを(たずさ)え、佐々木に近付く。曾川は働き盛りの41歳。(あぶら)の乗り切った男で、未だ若輩の佐々木は曾川の誘いに胸が騒いだ。 「はい、是非! お供します!」  佐々木は子供のような無邪気な笑顔を曾川に向けた。曾川は佐々木を初めて見た時から気に入っており、この機会を待ちあぐねていたのだ。  若くして妻子と別離した寂しい夜を埋めるべく、好みの部下と飲み歩く。それがささやかな楽しみとなり、曾川は充実した毎日を送っていた。 「今夜は冷えますね」 「ははっ、飲めば暖まるさ」  大きなその身を縮めながら曾川の後を追う佐々木。コートの襟を立てながら、二人はネオン街へと消えて行った。  赤や青のネオンで溢れた街は冷たい雨に(きら)めき、二人の口から吐き出される息は白い霧となる。真冬の雨は二人の身体(からだ)をすっかり冷ます。もう少し冷えていたら、この雨は雪に変わっていたのだろう。  そんなことを考えて、二人の男は寄り添いながら飲み屋へと急ぐ。二本の蝙蝠(こうもり)傘はしどけなく濡れそぼり、二人の肩口をもじっとりと湿らせた。 「ここだ。私が贔屓(ひいき)にしている店なんだよ」  繁華街から少し奥まった場所にある一軒の飲み屋。曾川は身を屈めて、その暖簾(のれん)(くぐ)った。(あと)に続く佐々木。曾川はいつものカウンター席に座り、佐々木はその隣りに腰掛けた。 「らっしゃい、曾川さん。今夜は若いの連れてるね」 「ははっ、将来有望な私の部下だ」 「か、課長! 有望だなんてそんな!」  佐々木は謙遜(けんそん)して首を激しく振り、耳まで赤くしている。その様が(たま)らなく可愛い。  20歳を少しばかり過ぎた、曾川よりも20歳近く年下の佐々木。曾川はそんな佐々木を息子、否、歳の離れた弟のように、そう。まるで大事な家族の一員のように思っていたのだ。  ……この時までは。 「課長、課長はやっぱり大人ですね。渋い店だ」 「そうでもないさ。酒が(うま)いだけさ。この店は」 「……曾川さん」 「ははっ、冗談だよ。大将」  言葉少なく酒を()み交わす。この夜の酒は(こと)(ほか)(うま)く、二人はいつもより酒が進んだ。
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