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—— およそ二時間前  個室の照明に、透明な光を照り返す細魚(さより)に手を伸ばしながら、優美はなにげなく訊いた。 「それで、遙さん、結婚を考えた人は?」 からかう気持ちが半分。あとの半分は、遙のような女性が、どんな男に惹かれたのかの興味。 どちらにしても気軽に訊いたのだった。  細魚を口に含み「美味しい……」と眼を細めていた遙だったが、咀嚼を途中でやめたかのように、ごくんと喉を鳴らした。 ワイングラスを手に取ると白ワインをつつと流し込み、「……たわよ」と呟いた。 「え?」 遙はグラスをテーブルに戻し、優美の目を真っ直ぐに捉えて、今度ははっきりと言った。 「いたのよ……だから……あなたを産んだの……」 「え……?」 「……遙さん、なに言ってるの?」 狐につままれたように、キョトンとする。悪い冗談だと思い「またぁ」と言いかけたが、遙の真剣な眼差しに、言葉を呑み込む。 「……わたしを産んだ? なに? 遙さん……」 「わたしが、あなたを産んだの」 優美の全身が、ゾワッとした。 「わたしが、あなたを産んだのよ、優美……」  すべての言葉を喪失したように、なにも言葉が思い浮かばない。 優美は混乱していた。 —— 遙さんがわたしを産んだ? じゃあ、お母さんは、なに……? かろうじて「それ……どうゆう……」と返す。  遙は居住まいを正し、言葉を探るように話しはじめた。 「三十歳のときに、あなたを身篭ったの。フランスと日本を、行き来しているころ……」  優美はまだ、目の前の遙の言葉が現実とは思えず、まばたきを忘れたように、遙の顔を凝視する。 「相手は……あなたの父親は、商社の人。日本の商社マンでパリに駐在してて、向こうで知り合ったのよ……」 「……じゃあ、その人が、わたしの本当の……」 遙がこくりとうなずく。 「ただ……家庭がある人だった……」 「え?」 「不倫よ、ね……」 —— 不倫の子が、わたし…… 「でもこれだけは信じて。家庭があることは、知らなかった」  優美は自分でも理由がわからないが、唇がわなわなと震えていた。 「それで、日本に帰国したときに、姉に相談したの。産まない選択もあるよねって……」 「え……?」 「そうしたら、姉に、あなたのお母さんに凄く叱られて。それはもう、あれほど怒りを露わにする姉は初めてで……とにかく産みなさい! せっかく遙の子になりたいって、あなたを選んでくれた赤ちゃんを裏切るの! って……」  優美は、悲しいとか、母への感謝とか、いろいろな感情が混濁し、頭が混乱した。 「……そして、あなたを産んだわたしは……あなたを置いて、フランスに逃げたの……」 「そ……それで、お母さんがわたしを育ててくれたの……?」 「……そう。姉はああ見えて、わたしよりも全然仕事が出来たのよ。キャリアウーマンだった。それをきっぱり辞めたの。あなたを育てるために……」  この後も遙は、ぽつりぽつりと言葉を繋いでいたが、優美の耳にはそれ以上、入ってこなかった。最後に遙が「ごめんなさい……」と呟いた気がしたが、一秒もその場にいたくなくて、店を飛び出したのだった。
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