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二
店に入るや、母がぴたりと足を止めた。
二階まで吹き抜けの天井と、豪華な内装に気後れしたのだ。
母は口をまぁるく開けたまま、ぐるりと見廻し「はあぁ……」と感嘆している。
前を歩く優美が気づき振り返る。せっかくの作り笑顔が、早くも険しくなる。
「ちょっとお母さん! 早く!」
「あ、ごめん。外国映画のセットみたいねぇ……なんだっけ、あの氷山の、タイタニ……」
「もお! そこの個室に健太とご両親がお待ちだから、変なこと言わないで!」
幸いに健太の両親は穏やかで、母の遅刻で雰囲気が悪くなることはなく、顔合わせがスタートした。
ティータイムの時間でよかったと、優美は安堵した。ランチタイムだったら、テーブルマナーを知らない母が心配で、せっかくの高級フレンチをゆっくり味わえない。ただでさえ、健太の両親の前で緊張するのに、母にまで気を抜けないなんて冗談じゃない。
そんな優美を余所目に母は、スイーツを運んできた給仕の説明に、熱心に耳を傾けている。
給仕が退室するとすかさず「優美、赤ワインのソースだって」と、感心したようにつぶやく。
「お母様はワインは?」と健太の母。
「ワインなんて、もう、いつ飲んだか覚えてないですねぇ……」
「そうですか。ここはハウスワインからグランヴァンまで、豊富なんですよ」
「……グラン……?」
「—— ワイナリーから直接、仕入れてるんですよね?」優美が割って入る。
「あら、優美さん、お詳しいのね」
「すこし前に、dancyuで特集してましたよね」
「まぁ! 優美さん、グルメなのね」
「いえ、ぜんぜん、ご両親の足元にも……」
昨夜ネットで調べただけなので、優美は冷や汗をかいた。
「ここは、結婚記念日に毎年予約してくるのよ」
「素敵ですねぇ。そんな特別なお店に、ありがとうございます」
「せっかく優美さんとお会いできるんだから、このくらい。ねぇ、あなた」
「うむ。健太も素敵なお嬢さんを見つけたな」
健太の両親の心証が悪くないようで、優美はホッとした。気がつくと肩にガチガチに力が入っていて、バレないようにテーブルの下でヒールを脱ぐ。
健太の父は、大手財閥系企業の役員で、母親の実家は大手企業の創業者一族だ。健太の名前も、海外でも通用する、英語圏の人が発音しやすい音でつけたと、健太から聞いたことがある。
子どもが産まれたときから、グローバルな視野で命名するなど、優美の家では想像もつかない。産まれた家が違うだけで、これほど違うのかと、やるせなくなったのを覚えている。
「優美さんは、健太と同業だったとか? わたしはITには疎くて、どうもよくわからなくて」ハハッと父親が笑う。
「はい。会社はIT系で、お父様の仰るとおり同業です。ただわたしは、広報担当なので、技術的な詳しいことは、あまり……」
「父さん、彼女謙遜してるけど、仕事できるんだよ。生産性が高いっていうか。英語も堪能だし」
「ほぉ、そうなのか。優秀なんだな、優美さんは」
「いえ、まだまだです。ただ、昨年から業務改善のプロジェクトにも参加してて、品質管理の勉強はしています」
ほぉと、父親が感心する。
「私も若い頃、出向先のメーカーで、QCを叩き込まれたよ。そうですか……アレを経験すると、仕事の進め方がずいぶん変わるからねぇ」
「はい、本当ですね」
「あなた、そんな硬い話。ねぇ優美さん」
「あ、いえ……勉強になります……」
そうですねと同意すれば、父親の顔が立たない。かといって、将来のお姑さんの気分を損ねるわけにもいかない。
「そうだ! ウチの叔母が自由が丘でレストラン経営してるんです。今度ぜひ、ご一緒しませんか?」話題を変える。
「あら? フレンチとか?」
「ええ。ビーガンで身体にやさしいお料理とかだしてます」
「あら! それは素敵ね。行きたいわぁ」
「はいぜひ! 叔母はほかにも、女性の美と健康をサポートするコスメの輸入なんかも手がけています」
「そう、事業家なのね?」
「はい。美人で仕事もバリバリこなす、私の憧れの女性です」
優美はなんとか無難に対応していたが、健太の母の一言に、耳を疑った。
「でも優美さん、そんなにお仕事が好きなのに、専業主婦になるなんて、偉いわねぇ」
「え……?」
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