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四
健太の父が会計を済ませ、五人は地下鉄の入口まで歩いた。
「じゃあ優美さん、今度は家にぜひいらしてください」
「はい、楽しみにしてます」
優美は精一杯のつくり笑顔のまま、左手を胸の高さにあげ、左右に振ってお見送りをした。
両親が階段の角に消えたとたん、健太の方に勢いよく振り向き、「ちょっと、どういうこと!」と睨む。
「いや、ごめん、その……」
「わたし仕事辞めるなんて、いってないよね?」
「いや……うん……」
「いつ言った? ねえ!」
母がおろおろし「ちょっと優美」と割ってはいる。
「お母さんは黙ってて!」
「優美、お母さんにそんな……」
「え? 健太がハッキリしないからでしょ!」
「ほんと、ごめん……親に、言い出せなくて」
「本当は専業主婦になって欲しいって思ってるの?」
「いや、そうじゃない。違うけど、ただ……」
「ただなによ?」
「前にもすこし言ったと思うけど、母さんが特に、女性は家庭のことに専念するもんだって考えで……」
「それは聞いたわよ。でもそれって、個人の価値観の問題でしょ? わたしは全然違うって、健太わかってて付き合ってるんでしょ? 違うの? なんで、彼女はあなたとは違うんだって、あの場で言ってくれないのよ!」
溢れ出る感情で、優美の目が潤んでくる。
健太は感情的になった優美に矢継ぎ早にまくしたてられると、気圧されて黙ってしまう。今がまさにそうだった。
「黙ってたって話が進まないでしょ? 言うことないの?」
下を向いて唇を噛む健太を母が気遣う。
「ちょっと、道端でアレだから、お茶でも——」
「黙ってて! 二人の問題なんだから! 主婦しか知らないあなたに、わたしの気持ちがわかるわけないでしょ! もう帰って!」
「おい、優美……」
「なによ!」
優美がキッと睨む。
「もう、いい!」
吐き捨てると優美は踵を返し、歩行者天国の人波に紛れて行く。
「優美、待って!」
健太が後を追う。
優美はさっと振り返り「もう話すことない!」
と拒絶し、一度も振り向かず雑踏に消えていった。
行き交う人の波に、呆然と立ち尽くす健太の背中に、母が声をかける。
「健太さんごめんなさい。娘が……」
深々と頭を下げる。
「いえ、お母さん……。僕が悪いんです……」
「優美も、もうすこし健太さんの立場もくんであげてもね……ほんとに、誰に似てあんな気性になったんだか……」
「僕が両親に、きちんと話しておかなかったから、こんなことに……僕が悪いんです……」
落ち込む健太に「これからも娘をお願いしますね」と微笑む母に、健太は力ない笑みを返して、肩を落として去っていった。
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