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突然ではあるが、わたしの妻は、顔を洗いながら水を飲む。
コップに注いで飲むわけではなく、顔をこすりがてらの手にそのまま水を受け、ガブガブと真夏の犬のように飲むのだ。
はしたないとは思いつつも、まあ、家の中の事と許容はしていたつもりだったが、流石に老人会の温泉旅行でそれをやられた時には、わたしのほうが赤面し、身が萎縮してしまったものだ。
妻は昔からそうだった。
大雑把というか、がさつというか、とにかく女性が持って然るべき繊細な部分が、まるでない。
部屋の片付けをすれば、物を押し入れに無造作に投げ込むだけだし、
洗濯をすれば、干し方やたたみ方がいい加減で、変なところに折り目がついたりする。
冷蔵庫に賞味期限の切れた食材が放置してあるのは日常茶飯事で、それをまた気にもせず料理に使うことさえある。
食事中に平気で屁をこくのだけは許せなくて、若い頃などはわたしだって再三に渡り注意をしたのだ。
しかし女とは、どうしてあんなふうに主観的かつ感情的な生き物なのだろうか。
わたしが注意するたび、妻はたちまちのうちに逆上し、ああでもないこうでもないと、わたしの3倍はあろう勢いで捲し立ててくるのだから、たまったものではない。
以後、わたしがそんな妻に何も言わなくなったのは、一重に諦めからだろう。
どうせ言っても聞かないし、いちいち喧嘩する気力ももう萎えたと言っていい。
だからと言って、わたしは必ずしも妻のそういう性格を、甘受できていた訳ではなかった。
言葉にこそは出さなかったが、胸の内には沸々としたフラストレーションが、長年に渡って蓄積され続けてきたのだ。
そして今──
苦節45年、ついにわたしが立ち上がる時が来た。
今こそ家長としての威厳を示すべく、妻に面と向かって、ガツンと一発言ってやるつもりでいる。
いや、今だからこそ、気弱なわたしでも言えるはずなのだ。
フンと1つ鼻息を吹くと、わたしは妻のいる隣の座敷を、真っ直ぐに見据えた。
意を決して畳を蹴り、座敷の襖を勢い任せにタンと開け放つ。
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