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「気を抜くことなく、細かな刺繍ね。すばらしいわ」
「ありがとうございます、易様」
声をかけてきた易夫人は、長年の間皇太后に仕えてきた女性だ。侍女やその他の宮女を束ねる立場にある。
日頃は皇太后の側に控えているのだが、時々こうやって裁縫部屋を視察に来る。彼女に叱られると、裁縫部屋の長にも叱られるので、毎回ぴりぴりした空気が漂う。
にっこりとして翠珠は頭を下げる。
商家出身の翠珠は、本来なら下働きから始めるところなのだが、刺繍の腕を買われての抜擢だ。他にも何人か、同じように貴族ではない娘が働いている。
翠珠の刺繍を誉めた易夫人は、次の針子のところに行き、仕上げを確認している。
(まずは、この後宮からどうやって逃げるかを考えないと)
基本的に一度後宮に入った者は、抜け出すことは許されていない。
翠珠が、父によって後宮に送り込まれたのは三年前のこと。現在の皇帝は、翠珠より三歳年長だから年の頃が合うというのも理由だった。
けれど、それ以上に父が望んだのは、皇帝の寵愛を得た妃の父として国の中枢に食い込むこと。外戚となることまでは期待していないようだが、ただの商人にしては、過ぎた野望ではないだろうか。
(まあ、うちのお父様は俗物だもんねぇ……)
刺繍針を動かしながら、翠珠は器用に遠い目になった。
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