水の無い川

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水の無い川

町田舞は、母である貴子の運転する小さな車の後席に乗り、引っ越し先の大田原市薄葉へ向かっていた。 二人が長く暮らした世田谷の古びたマンションが、老朽化でついに取り壊されることになり、貴子は父母、つまり舞の祖父母の暮らす栃木県の那須野が原に条件の良い仕事と住家を見つけ、娘の舞とふたりで引っ越すことにしたのだ。 舞は成績こそ良かったが、どこかのんびりしたところがあり、(せわ)しない都会よりも那須野が原の自然の中で育てたほうが良いという思いもあった。 「ねえ、舞。地図のとおりに走ると確かこの道だと思うんだけど、風景が少し違うと思わない?」 「もう、お母さんが高速道路のインターひとつ乗り越しちゃったから、予定とぜんぜん違う道になってるよ。だんだん人家が少なくなってきて、荒地みたいになってる」 「あ、ここ蛇尾川(さびかわ)の洗い越しだわ。ほんとに道間違っちゃったみたいね」 貴子にとっては実家のある那須野が原だが、自分の運転で帰省するのは初めてで、西那須野で降りるはずが黒磯までインターチェンジをひとつ乗り越してしまったのだ。 「お母さんは川っていうけど、石しかないよ、ここ」 「これはね、蛇尾川の洗い越しって言って、水はこの地面の下を流れているの」 舗装さえされておらず、車一台がやっと通れるほどの道路を車が走る。道の両脇は舞が言う通り石の荒野のようだ。 後席からナビの画面を見た後、後席の窓ガラスを下ろして、舞は窓の外に顔を出した。両手で抑えた白い帽子の下から伸びた長い黒い髪が風に(もてあそ)ばれる。 那須野が原は広大な扇状地である。堆積した砂礫が層をなしており、どこを掘っても数十センチで砂礫層が出る。このため、降った雨は地面に吸収され砂礫層の下を流れてしまうので、通常は川に水が無いのだ。 車はゆっくりと走っていたが、びゅうと風が勢いを増して少女の白い帽子を青い空に持ち去った。 「あ!!」 「どうしたの舞?」 「お母さん、車を停めて!帽子が飛んじゃった」 「えー?何やってるのよ」 「ごめんなさい!ちゃんと手で押さえてたんだけど、急に強い風が当たって。ちょっと取ってくる!」 貴子は車を停めた。舞は後席から飛び出すように走り出す。貴子も舞の後を追った。 飛ばされた帽子は水の無い川の、敷き詰められたような石の荒野の、とりわけ大きな石の上に乗っていた。 舞はぴょんぴょんと石の上を飛んで帽子が落ちた場所まで行き、ゆっくりとしゃがんでそれを拾うと、後から両手を広げてバランスをとりながら追いかけてきた母のもとに走った。 そして不思議そうに訊いた。 「ねえ、お母さん。ここは本当に川なの?」 「そうよ、川なんだけどね。水が無いでしょう?」 「うん。石ばっかり。でもちょっとだけ川の匂いがする」 二人は手をつないで石の荒野を歩き、車までたどり着いた。 舞は誰かに呼ばれたような気がして、帽子の端を押さえながら振り向いたが誰もいなかった。 ドアが閉まる音がして、道を車が走って行く。 いつの間にか、敷き詰められたように広がる石の上に少年が立ち、舞と貴子の乗る車を見ていた。 黒くぼさぼさに伸びた長い髪、薄汚れた白いシャツに半ズボン。身なりは薄汚い印象をうけるが、顔は驚くほど白く、切れ長の大きな瞳が伸びた髪の下で光っていた。
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