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焦燥
「あれ?佐飛丸くん?ねえ、どこへ行ったの?」
舞は神社の中を歩いて探し回ったが、どこにも佐飛丸の姿はなかった。
「ほんとに忍者だったりして」
とひとり頷いて帰路についた。
引っ越してきた日に首飾りを拾ってくれた少年「佐飛丸」に会ったことを母に話そうと喜々として家路を急いだ舞であったが、帰宅すると貴子の車の後ろに大きなRV車が停まっていた。
玄関に入ると、黒く大きな靴がきちんと揃えて外を向いていた。
そういえば、家を出るときに、
「お客さんが来るから早く帰ってきてね」
と母に言われていたことを思い出した。
佐飛丸に会ったことで、その事をすっかり忘れていたのだ。
客は、以前見たことがある男の人だった。
母の職場、病院付属の薬局の新年会で少し酔った母を家まで送ってくれたひとだ。
背が高く細身の真面目そうな、母よりだいぶ若い男の人。
しまうのが遅くなった炬燵に、母とその男の人が並んで座っていた。
「舞、おかえり。ちょっといいかな」
貴子が立ち上がり、舞に声をかけた。
テーブルの上には、きれいに切られた林檎がガラスの皿に盛られている。
白に青の模様の入ったコーヒーがその男性の前に置いてあるが、それは我が家で一番いいカップに注いである。しかも二つしかないカップだ。
(私とお母さんのカップなのに)
心の奥にちりちりとした何かが渦巻き、舞は無意識に自分の心の内を悟って欲しくなり貴子の顔を見たが、舞の思いは少し緊張した横顔の貴子には届かなかった。
舞は促されるまま、炬燵の二人の正面にあたる位置に座った。
(なんだろう、これ)
「あのね、舞。こちら同じ職場の小原さん」
(お母さんの声、ちょっとだけ高くなってる)
「こんにちは。舞です」
舞はゆっくり頭を下げた。笑おうとしたが、頬骨がしびれたようにぎこちない笑顔となった。
「こ、こんにちは。小原と言います。僕はお母さんと一緒の職場で―――」
男の人が丁寧に言葉を区切りながら、自己紹介を兼ねた挨拶をした。
(知ってる。お正月休み明けの新年会のときに、酔っぱらったお母さんを送ってきた人。お母さんのことをとても大事そうにしていた)
「ええと、その。舞さんにちゃんと挨拶したくて。舞さんが好きだと聞いて、樹林のバームクーヘンも買ってきました」
小原は白い箱を待ってましたとばかりにテーブルの上に置いた。
(私のお気に入りのお菓子。ということは、お母さんに聞いたんだ。この流れって、そういうことだよね)
「舞、お母さんね、小原さんに―――」
舞は言葉を遮るように、母の顔から視線を逸らした。
逸らした視線の先に、少し開いた襖の向こうの薄く照らされた仏間が見えた。
仏壇こそなかったが、そこには花入れと小さな写真立てがあった。
父と母と自分が写った写真だ。薄暗く、フレームにオレンジ球の光が反射しているだけだったが、亡き父がこちらを見ているような気がした。
舞は、ここ数分の出来事で心の器がいっぱいになってしまった。
「ごめんなさい」
二人にそれだけ告げると、静かに立ちあがり自分の部屋へ向かった。
チラと、小原という男が、慌てたような残念なような顔をしたのが目に入った。
舞は着替えもせず、横になって布団をかぶった。
外界から自分を遮断したかった。
ごはんも、お風呂も今日はイヤ。
ぐるぐると渦巻く不安。
今まで自分が立っていた足場が崩れてしまい、そっくり無くなってしまうような不安を覚えた。
お母さんが、お父さんじゃない男の人と。
私だって思春期の女の子なのに、受験を控えた学年なのに――
声に出さないまでも心の中で叫んだ。
母親と自分の二人の家族は永遠に変わらない枠組みのように思っていた。
心の大きな起伏が落ち着いて、少しおなかが減ったなと感じ、起きて行ってこっそり何か食べようかなと思い始めた頃、すとんと眠りに落ちてしまった。
その夜、舞は夢を見た。
幼い頃の自分が見ている風景であろう、低い視点から世界が広がっていた。
父と河原で遊んでいると、少年たちが声を上げて騒いでいる様子が目に入った。
輪の中心にいるひとりの少年が手に何かを握っている。
それを河原の石に投げつけようとしていた。
しかし、何を握っているのか、その部分が黒く暈けて舞には見えなかった。
舞は少年たちに走り寄り、その何かを自分に渡すよう懇願した。
少年たちは取り合わなかったが、父が自分の後ろから、少年たちに何かを告げる。
少年が手に持っていたものを放り投げるように舞に渡した。
舞がそれを受け取った。
何か大切なもの。守らなければならないもの。
舞は掌の上のそれをじっと見つめていた。
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