宵闇の祭り

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宵闇の祭り

佐飛丸の忠告が耳に残っていた舞は、学校でつとめて普通にふるまうようにした。 妙に友達に合わせようとする不自然さの無くなった舞は、同級生とも気楽に話せるようになった。言葉を交わせる友達が増え、ひと月もする間には、気のおけぬ友達もでき、舞の心の(かせ)は少しだけ軽くなっていた。 木々の葉が大きく、山の緑がより濃く力強くなり、広い鏡田には早苗が植わり春の残滓(ざんし)さえすっかり消えてなくなった梅雨入り前の夕暮れ。 舞はひとり自転車に乗り、母の頼まれものを祖父の家に届け、帰り道を走っていた。住宅地にある祖父の家の近くから、舞の家が近くなると次第に家はまばらになり、田畑が多くなる。薄暗くなり自転車のライトをつけると、ペダルが少し重くなった。 野をゆっくりと走る風は生命力に溢れているが生暖かく、暗さの増す周囲とともに舞を心細くさせる後押しをした。 ふと、強い風が舞の後ろから横を通り過ぎた。背中で結んだ長い髪の先が右の肩越しに前に出る。 バランスを崩し、自転車をとめた舞の目に明かりが見えた。 西郷神社に明かりがともっている。 こぢんまりとしているが、提灯(ちょうちん)の下に出店が並んでいる。 この地域の祭りだろうか。 それまで気が付かなかったのか、がやがやとした祭りに集う人々の声が聞こえてきた。 「お祭りがあるっていうの、知らなかったなあ」 宵闇(よいやみ)の中、オレンジ色の提灯がぼうっと境内を浮かび上がらせている。 舞はにぎわう人々の中に、見覚えのある人影をみつけた。 ぼさぼさの髪にひょろっとしてやや猫背の背格好。 舞は自転車を境内の入り口に立てると、人ごみをより分け駆け寄り見覚えのある背中をたたく。 振り向いた佐飛丸は焼けた小魚を咥えていた。 その魚がポンと、驚いた顔の佐飛丸の口から飛び出る。 「お、おまえ、なんでここに」 「なんでここにって、前に佐飛丸と会った西郷神社でしょ」 「そ、そりゃあまあ、そうだな」 「お祭りやってたの、知らなかった」 佐飛丸はしげしげと舞を見つめ、手に持った串に一匹残った魚を口の先で咥え抜き取るとバリバリと噛み、ごくんと飲み込んだ。 「おれ達しか知らないお祭りだからな」 「この地域の人たちだけのお祭りなの?だからちょっと小ぢんまりしているのかぁ」 「まあ、そんなところだ」 「お魚、美味しそうだね」 「そうか?」 佐飛丸は、ふと何かを思いついたように舞の手を引くと「やきざかな」と看板を掲げている出店の前まで連れて行った。 初めて佐飛丸の大きな手に自分の手を握られ、少しうれしかった。 出店では鉢巻を巻いた白髪交じりで角刈りの大男が、炭火の上にかけた網で魚を焼いている。 「おっちゃん、モロコとアブラメ二匹ずつ焼いてくれ」 黙々(もくもく)と魚を焼く大男に、佐飛丸が声をかけた。 「えー?お代は私が払うよ」 肩にかけたカバンから財布を取り出そうとした舞であったが、それよりも早く佐飛丸がポケットから取り出したものを店主に渡した。 「おっちゃん、お代は丸石の白いの四個な」 受け取った店主は大きな手平の上で、丸く光沢のある四個の石をじゃらじゃらと転がすと柱に下げた革袋の中に入れた。 店主は焼けたアブラメとモロコが一匹ずつささっている串を二本、佐飛丸に渡しながら横目で舞を見る。 「佐飛丸、その()―――」 店主がそう口にしたとき、佐飛丸は魚の刺さった串の一本を舞に渡した。 「食え、旨いぞ」 「ありがとう。ん、熱い。ほろ苦いけど―――美味しい」 「だろ」 佐飛丸は得意げに指で自分の鼻を撫でた。 「兄ちゃん、こいつ誰?」 少年の後ろに、いつの間にか男の子が立って、舞を見上げていた。 黒髪の短髪に、白いランニングシャツ、草色の半ズボンに草履を履いている。佐飛丸をそのまま小さくしたような男の子だ。 「ホーキ丸、この人は兄ちゃんの友達だ」 男の子の名前はホーキ丸と言うらしい。 「トモダチ?トモダチってどこのマモリなの?」 「マモリじゃねえ。友達だ」 佐飛丸は笑いながらホーキ丸に言った。 「この子、佐飛丸の弟なの?そっくりね」 「そうだ。俺の弟だ」 佐飛丸はホーキ丸の頭を撫でた。ホーキ丸は指を咥えたまま佐飛丸と舞を見上げ、きょとんとした顔になった。 「おお、佐飛丸、ホーキ丸、ここにおったか」 皺枯(しわが)れた、それでいて力のある声が三人を振り向かせた。 三人の視線の先に腰の曲がった老婆が立っている。 「ナカの婆様、来てたのか」 佐飛丸が困ったような顔をした。 「年に一度の祭りじゃ。来ないわけなかろう。んー?」 腰の曲がった総白髪の老婆の、皺に埋まった細い目が一瞬丸く開かれ、素早い足取りで舞に歩み寄った。 (いぶか)し気なそれでいて鋭い光が瞳に宿っていた。 「おぬし、何処から来た?」 「薄葉から来ました。あ!こんばんは。私、舞と言います。」 舞はぺこりと頭を下げた。 「ほうほうほう、薄葉のう。このすぐ傍じゃな」 老婆は舐めまわすように舞を見て、クンクンと鼻を鳴らし匂いを嗅いでまわる。 舞は肩を(すく)めた。 「この匂い、間違いないのう。こりゃ正真正銘の生娘(きむすめ)じゃ。そのうえここに居るということは――」 老婆は自らの言葉を区切り、自ら(うなづ)いた。 「婆様――」 (とが)めるように佐飛丸が老婆に言った。 が、ナカの婆様は構うことなく言葉を続ける。 「この娘、見所があるのう。―――になるのは勿体無いほどじゃ」 左飛丸が呆れ顔で首を横に振ったが、 「キムスメってお酒の名前かな?」 と、きょとんとした顔で言う舞の言葉に噴き出した。 少し笑ったあと、佐飛丸はすっと無表情な顔になり、 「ナカの婆様の言うことは気にするな」 と低く小さな声で言った。 佐飛丸は舞の手を引き「かわびな」と「てながえび」の出店を回り、焼いて串に刺したものを奢ってくれた。 今まで食べたことのないものばかりだったが、芳ばしく味もよかった。 舞は私もお金を出すというのだが、 「今日は丸石のいいのを沢山持っているから」 と請け合わなかった。 祭りの途中、着物姿の小さな子供たちが数人駆け込んできて、出店と出店の間で「メダカ踊り」を披露し、人だかりから拍手を受けていた。 奇妙なメロディとリズムに合わせて、小魚の群れが向きを変えるように子供たちが踊る。それを指さし佐飛丸が笑っている。 舞も一緒に笑った。 お腹も膨れて、歩き回った心地よい疲れに舞が石灯篭の下に座り込んだ頃、お社の前に杖をついた大柄な婆様が立った。 髪には紙の飾りが巻き付けられている。 「おお、キヌの大婆様だ」 祭りに集まった者たちのざわめきの声が聞こえた。 「皆の衆よ、(よろず)のマモリ達よ。祭りは楽しめたかえ?」 しわがれた老婆の声であるのに、潮が満ちてくるような力強さがあった。 わあ、と歓声があがった。 「今宵の祭りもそろそろ終いじゃ。この勢いで夏を乗り切ろうぞ」 境内は一層盛り上がった。 祭りの屋台がひとつ、またひとつと提灯の灯を落とし始めた。 「そろそろ、今年の祭りも終わりだな」 佐飛丸が腰に両手を当てゆっくりと周りを見渡しながらつぶやく。 「えー?もう終わっちゃうの?」 「夏の風が吹いたり大きな雨が降ったりすると、皆忙しくなるからな。この祭りは忙しくなる前の憩いなんだ」 少しずつ明かりが消えていく祭りの風景を見ていると、オレンジ色の提灯の光が揺らいで見えた。 舞も自分の足元が揺らいだような気がした。 びゅう、と強い風が吹く。宙に浮いたような感覚が全身を支配した。 「おい。起きろ」 肩を揺すられて舞は目をさました。 石造りのお社に背中を預けたまま、眠っていたらしい。 佐飛丸が腰を折って舞をのぞき込んでいる。 「あれ?お祭りは?」 「――――」 「あたし眠っていたの?夢を見ていたのかしら?」 「そうみたいだな」 辺りを見渡すと、夜の(とばり)はとうに降り、神社の境内には左飛丸と舞以外誰もいなかった。 先ほどまでの喧騒が嘘のように消えていた。 ただ虫たちと田んぼの中で鳴く蛙の声が聞こえている。 木々の葉の間から見える空には星が光って いて、少し呆れたような顔で佐飛丸が舞を見ていた。 「あ、大変!うちに帰らなくちゃ。暗くなったしお母さんが心配してる」 起き上がった舞は、背中についた苔を後ろ手で払いながら、境内の入り口に置いた自転車まで走った。自転車に飛び乗り、4~5メートル漕ぎ出したところでUターンし、境内の入り口で立って見送る佐飛丸の前で止まった。 「また会おうね」 「おう!気を付けて帰れよ」 佐飛丸は手を振りながら笑っていたが、舞の後姿が見えなくなると、すっとまた無表情になった。
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