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199.我が領地を踏んだ敵を排除せよ
城中をさまよいながら、レーシーは旅をする。それは狭い敷地内の話ではなく、彼女が放った人形達の話だった。常に己の分身として繋がる人形が見聞きした現実を、レーシーは歌にして抑揚をつけて歌い上げる。その言葉は大量の情報を含み、それゆえに只人にとって悲鳴のように聞こえた。
闇に堕ちた双子アナトの隣で、レーシーは高く低く歌う。他国に根付いた人形達が伝える話を、彼女達が見聞きした情報を、そして主の名と偉大さを……。
「あ、ぅ」
やっと声が形になったアナトは、ほっと息をついた。額にかかる前髪を、白い指が優しく払う。まるで家族のように額に手のひらを当て、すこしだけ首をかしげた。顔のほとんどは長い髪に隠れて見えない。
レーシーに家族や子育ての概念はない。種族としての名称はあれど、個体名がないのも特徴だった。名付けても認識しないのだ。彼女らは雄と雌しか理解せず、雄を中心にハーレムを築く種族だった。同じハーレムの雌同士は、互いの人形の情報を共有する特性があった。
「入るぞ」
ノックと声があり、扉を開いた人物が部屋に入ってくる。感じる気配も魔力も、聞こえた声も……求め続けた主人のものだった。
目を見開いたアナトの前で足を止め、ベッドの端に腰を下ろした。
「起きたのか」
「ううっ」
「まだ話すな。仮死状態からの蘇生に手間取った。悪かった……アナト」
これが魔族のククルならば、重篤な障害が出た可能性がある。バアルとアナトが双子神であったため、魔族より魂も肉体も強かった。これ以上無茶な仮死状態での転送をしないよう、アースティルティトへ手紙を出した。
状況を説明し終え、ベッドに座って歌を歌うレーシーに目を向ける。彼女にとってアナトは庇護対象らしい。少女姿のため、子供扱いなのか。
「レーシー。アナトを頼むぞ」
にっこりと笑顔で頷くレーシーは、新しい情報を再び歌い始めた。イザヴェル国が動き出す。その予兆を旋律に乗せるレーシーの歌声は、城の中で聞かない日はない。日常の一部だった。
「よく無事で着いた。頑張ったな」
二度と蘇れないかもしれない。双子の兄と離れ離れになる危険性もあった。それでも彼女は選択し、自ら志願したのだ。命どころか存在意義をかけ、必死に手を伸ばした。
ベッドの上で動かそうと震える手を握り、その甲を包み込んだ。重なった手の温もりに、アナトの顳顬へ涙がこぼれ落ちる。
「安心しろ、レーシーの歌には癒し効果もある。今はまだぎこちないが、すぐに動けるようになる」
動けるようにしてやる……そう告げなかった。なぜなら無理に魔力を注いで回復させて危険を冒すより、自然治癒で完全に戻れるからだ。動けるようになるまで、アナトを休ませればいい。傷ついた小鳥を拾い、手当てをするように……レーシーはアナトを慈しむ様子を見せた。
「毎日顔を見せる。無理をせず、回復に専念せよ。これは魔王の命令だ」
瞬きで肯首の意思を示したアナトの手をシーツの上に戻し、彼女の髪を撫でた。嬉しいのか目を閉じたアナトが再び目を開き、視線を合わせてから立ち上がる。
ふらりと立ち上がったレーシーは部屋の中をぐるぐると回りながら、甲高い声で鳴いた。ガラスを引っ掻くような不快な音に似た声に、オレはマントを翻して部屋を出た。
「来たか」
正直、人間達は打つ手が後手に回り過ぎる。最初の手を打った時点で、次の作戦を実行待ちの状態にして待機しない理由がわからなかった。どれほど完璧な作戦だろうが、実行するのは不安定な兵士達だ。現地の状況もわからぬまま、よくもまあ成功すると思い込んでいられるものよ。
イザヴェル国は以前に偵察に向かった。続けてドラゴンを使うより、オリヴィエラに任せるか。ロゼマリアにも気晴らしになるだろう。
「オリヴィエラ」
召喚のための響きに、オリヴィエラが目の前に現れる。膝をついて礼を取るブラウンの髪の美女へ、淡々と命じた。
「ロゼマリアと共に、我が領地を踏んだ敵を排除せよ」
「承知いたしました。我が君」
笑顔で顔をあげたオリヴィエラの顔は、美しくも禍々しく……グリフォンとしての暗い一面を覗かせた。
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