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プロローグ
その日はひどい雨模様に見舞われ、空には雷雲が蠢き、金色の亀裂が走った。
そんな不吉な空のもと、水波盛家の社に元気な産声があがった。
「そうか、男の子か! でかしたぞ!!」
奥方付きの下女の知らせを聞くなり、惲薊は歓喜の声をあげた。
「ですが、奥方様は……耐えきれず……」
下女は暗い顔でうつむいた。
「……そうか、蓮……いや、よう頑張ってくれた」
蓮は元々身体が弱かった為、覚悟はしていた。
たとえ命を落とすことになったとしても、どうしても子を産みたいと、本人の強い希望で臨んだ出産だった。
「ならば、これも運命よ……」
自分に言い聞かせるように呟くと、下女が恐る恐る口を開いた。
「神王様、実は……」
下女の発した次の言葉で、惲薊は顔をこわばらせた。
***
早足に妻と我が子が待つ部屋へやってくると、勢い任せに障子を開け放った。
信じたくはなかった下女の知らせをその目で確かめるなり、表情をより険しくした。雷鳴と共に照らされた顔は、般若のようにも見えたことだろう。
「なんと、不吉な……!」
乳母の腕に抱えられたおくるみは一つ。だが、産婆も同じ布のおくるみを抱えており、生まれたのは確かに〝双子〟だという現実に、惲薊は震えた。
「先に生まれたのはどっちだ!?」
子を抱く乳母と産婆を交互に睨みながらたずねるが、怯えきった二人は口ごもった。
はっきりしない女達の態度が、惲薊の神経をより逆撫でる。
「どっちだと聞いている!!」
「……そ、その子です」
惲薊が怒鳴ると、ようやく乳母が産婆の腕で泣く赤子を指し示しながら、わなわなと口を開いた。
「水波盛家に忌み子が生まれるなど、断じてあってはならぬ!」
その迫力にその場の誰もが口をつぐむ。
「……で、では、言い伝えどおりに、水神様にお返し致しますか?」
乳母が震える声で言った。
この国には大昔から、双子は災厄をもたらすという言い伝えがあった。
双子が生まれた場合は災厄を避けるために、あとに生まれた忌み子を水神の川へ流すという掟が強く守られてきた。
そうして魂を神のもとへ返上すれば、魂の穢れが祓われ、再び輪廻へ戻れるという──。
「────いや」
惲薊が厳しい表情で否定する。
やはり一国を治める神王といえど、我が子ともなれば情がわくものなのだと、その場の全員が同情した。
が、惲薊の考えはその真逆であった。
「万が一、生き残るようなことがあっては、たまったものではない」
惲薊は産婆の腕の中にあるそれを睨みつけ、無慈悲に吐き捨てた。
「始末せよ」
誰もが息を飲んだ。
乳母はその場に腰を抜かしたように崩れ落ち、産婆は渋い顔で忌み子をあやし続ける。
乳母は急に課せられた責務の重さに、愕然とした。
とても出来ない、乳母はそう言おうとしたが、主の眼は微動だにせず、ただ真っ直ぐに「やれ」と言っている。その威圧に押し潰されそうになりながら、拒否すら許されないのだと思い知る。
声を出せずにいると、代わりに産婆が口を開いた。
「ですが、神王様。その子の命だけは助けて欲しいと、奥方様の最期のお言葉にございます」
「なんと……! なんという罪深き……!」
視線を横にずらせば、安らかに眠る妻の顔がある。苦痛から解放されたかのように穏やかで、わずかに微笑んでいるようにも見える表情は、達成感すら感じさせる。
その天女のように美しい妻が最期に遺したものが、国を窮地へ追い込みかねないものだなんて信じたくなかった。
(水波盛家の名を穢してでも、忌み子を生かせと言うのか……)
万が一、国民に知れ渡れば大きな反感をかうことになるし、分家の耳に入れば、反乱に乗じて寝首をかこうとする輩も現れるだろう。どちらにしろ、ただではでは済まない。
惲薊は考えに考え抜くと、妻の遺言に対して最低限の対処をすることにした。
「それを人目のつかない所へ。絶対に外へ出すな。社の者にも知られぬように。それから── 」
忌み子を抱く乳母に視線を向ける。
「人知れず、それの世話を致せ」
乳母は震えながら数回頷いた。
それから周りを見回すと、強く言い放った。
「今宵の出来事は他言無用! 水波盛に生まれたのは、息子ただ一人!」
全員が息を飲んでうなずくのを見るなり、惲薊は身を翻した。
部屋の外で膝を着いて待機している男が素早く立ち上がると、惲薊の背後を着いて行った。
男は神王に仕える神官の一人で、名を吕海といった。真面目で忠義に厚く、下官たちにもよく慕われている。
実際、惲薊も吕海の働きぶりには好感を持っていた。
しばらく歩いたところで、急に惲薊が歩を止めた。
吕海も慌てて立ち止まると、その場に片膝をついた。何事かと不思議に思いながらも、主が口を開くのを、顔を伏せたまま待った。
ほんの数秒、間があった。
惲薊は振り返らず、おさえた声で──しかし確かな口調で任務を言い渡した。
「乳母とあれを地下牢へ」
「ち、地下牢、ですか?」
「あれの存在が、どこから漏れるともわからぬ。それと──」
吕海は身の内で、さすがに大袈裟ではないか、と思っていた。赤ん坊一人の存在を消すために、そこまでする必要があるのか、と。
しかし、惲薊が下したかったのは、そんなことではなかった。
「これを知っている者を始末しろ」
聞き間違いだろうかと、吕海は主を見上げた、肩越しに向けられたのは、狂気に満ちたソレ。
「一人残らずだ」
鬼だ。血も涙もない、鬼が宿っている。
目の前に立っているのが、同じ人間とはとても思えなかった。
「──は、はっ!!」
慌てて吕海が返事をすると、惲薊は何事もなかったかのように歩き去っていった。
残された吕海は愕然と床を見つめながら、およそ数名の命と己の命を天秤にかけていた。
その夜、水波盛の社では、二人の赤ん坊の悲鳴にも似た泣き声が止むことは無かった。
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