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自宅の前で深呼吸をする。
ナナとの買い物が楽しくて浮かれていた気分は一転、自分の家を見た途端に気が重くなる。そんな家なんか、家と呼んでいいものか甚だ疑問だが、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。
意を決して、ドアノブに手をかけた。
家の中は灯りがついておらず、誰もいないことに胸を撫で下ろす。
台所で夕飯を作ろうと、居間の電気を付けると、ダイニングの椅子に人が座っていて、葵は声をあげずに驚いた。
義母だった。テーブルに肘を着いたまま動かない。
「お、かあさん……? 暗いから居ないかと思った……」
腫れ物に触れるように声をかけたが、葵の顔を見ようとしない。
義母が不機嫌な時は大抵、義父の事で何か問題があった時だ。
「……随分、遅いじゃないの」
「あ、ナナと遊んでたの」
「良かったじゃない、楽しそうで」
「う、うん……」
「私はあの時から、楽しい事なんて一度もないけどね」
「……」
どう答えても、地雷を逃れることは出来ないらしい。葵は黙りこくった。
〝あの時〟の事を持ち出されると何も言えなくなってしまう。
「お父さんは? 今日も帰ってこないの?」
「いつものことでしょう。またあの女のところよ」
義父には愛人がいる。葵がこの家に引き取られるずっと何年も前から。
「あんたの卒業まで……」
「……え?」
「離婚はそれからって決めてあるの」
それは初耳だった。
「本当は中学まででも良かったんだけど、娘が高校を出ないだなんて恥ずかしいでしょう。ご近所はアンタが養子だなんて知らないんだし」
「……うん」
「いい? 卒業したら、県外で就職先を見つけるのよ。私達も引っ越すから」
「えっ? そんなの、聞いてない!」
「言ってなかったもの」
平然と言う母は相変わらずこちらを見ようとしない。
「全員ここを出ていくの。あの人は女と一緒になるだろうし、私は実家に帰るけど、アンタの面倒見る余裕もないしね。高校行かせてあげただけ、ありがたいと思いなさい」
「そんな! そんなこと急に言われても……!」
「急? 学校の進路相談だってまだ先でしょうに」
「それは──!」
「っるさい! 私が何年我慢してきたと思う!? アンタの為にどれだけの人生を犠牲してきたと!!」
落ち着いた口調だったが、急に声を張り上げたので、葵はビクッと肩を揺らした。
「あんたじゃない!! 全部、あんたがぶち壊したのよ!? あの時に──!!」
ようやく義母は葵と目を合わせたが、その場に頭を抱えて泣き崩れてしまった。あの時からずっと、養父母に向けられる目はこの類のものだ。
葵はまた何も言えなくなった。
この状態の義母には、何を言っても火に油を注ぐ結果になることを、葵は長年の経験で知っていた。しばらくそっとしておくのが一番マシな対処法だ。
葵は自分の部屋に向かおうと、静かに身を翻した。
「養子なんかとるんじゃなかった!! とんだ貧乏くじよ!!」
背中に母親の捨て台詞が浴びせられたが、溢れそうな感情をグッと押し戻すので精一杯だった。
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