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 葵がこの家に引き取られたのは、まだ赤ん坊の時だった。  両親は近所でも有名なおしどり夫婦で、実子(じっし)のように可愛がってくれて、葵も本当の両親だと疑わなかった。  初めて幻覚を()たのは、葵が四歳の時だった。幼稚園の帰りに、母と手を(つな)いだ瞬間、頭の中に映像が流れ込んできた。まるで、一人称視点の映画を見ているようだった。  最初に見たのは、両親が葵を引き取った日のもので、幼い葵は見たまんまを口にした。 「わたし、ママの子じゃないの?」  その瞬間、母親がぎょっと目を()いたのを覚えている。  しかし、その時見た映像から感じたのは(あふ)れんばかりの幸福感で、同調するように葵の心は満たされていた。そのおかげで、幼いながらに養子の事実を知っても、少しもショックはなかった。だからその時は、両親が神妙な面持ちで、本当の子供だと思っていること、どんなに愛しているかを、じっくり言い聞かせるのが不思議でならなかった。  なぜ養子縁組(そんな)事を知っているのか、不思議がる両親に問われても、「見たから」としか答えられなかった。  その時に感じた幸福感で、葵は()()が視えるのは〝良いこと〟であるとすっかり思い込んでいた。  だが、その能力(ちから)は〝枷〟なのだと、すぐに思い知らされる。  それは両親と動物園でカンガルーの親子を見ていた時の事。義父(ぎふ)に肩車をしてもらった拍子(ひょうし)に、頭の中に流れ込んだのは、赤ん坊を抱く綺麗な女の人。  実はその光景(えいぞう)は、前々から何度も見ていたものだった。  映像の女の人は愛おしい目で赤ん坊を見ていて、その隣には義父(ぎふ)が笑顔で寄り添っている。  それは絶対に〝良いこと〟に違いないと思った葵は、やはり見たまんまを訊ねてしまったのだ。 「赤ちゃんにはいつ会えるの?」  義母(はは)がすまなそうに視線を落とす意味を、その頃の葵は察する事ができなかった。  父は僅かに目を泳がせたが、しゃがんで葵に視線を合わせると優しく笑った。 「葵は姉弟が欲しいのかい? やっぱり一人じゃ寂しいよな」  葵は首を横に振った。 「違うよ。知らない女の人が、赤ちゃんをもってるの。パパはもう会ってるでしょ?」  開いた口が塞がらない父と、目を見張る母。  誰もが羨む幸せな家庭が崩壊するは、ほんの一瞬だった。  この家では、誰も笑わなくなってしまった。  そしてその原因を作ったのは、紛れもなく自分なのだ。  葵は自室に(こも)るなり、明かりもつけずに鞄をベッドに放り投げ、その横に腰掛けた。  投げた勢いで鞄から携帯電話が飛び出した。  わかっている。いつかは自立しなければならない。けれど突き付けられたのは、想像していたかたちとは違いすぎて、不安でたまらない。将来のことを考えても、路頭に迷っている自分の姿しか浮かんでこなかった。 (最悪……)  人生で二度も捨てられるなんて、こんな酷い話があるだろうか。悲しみを通り越して、沸々と憤りが沸いて出る。それを抑え込むように両膝をぎゅっと抱え、顔を填めた。  目を瞑ると、現実から自分を遮断できる気がした。 (──あの時、黙っていたらこんな事にはなかったのかな?)  今更考えたってどうしようもないが、そう考えずにはいられない。 (こんな気味の悪いモノ、私だって欲しくなかったのに)  携帯のバイブレーションが鳴る。  画面にはナナからのメッセージが届いていたが、今は見る気にはなれなかった。
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