星空の下で

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 清二は屋敷から出て、畦道を歩いていた。自分のとった行動が本当に正しかったのか考えていた。あのままずっと春子の元にいたら春子もこれから寂しさに耐えることが出来ないのではないだろうか。学生の自分に何が出来るというのだ。  自分の無力さに涙が滲んだ。本当はあのまま春子と一緒にいるのが怖かっただけなのだ。春子と会えなくなる未来が怖い。  清二は足を止めて、屋敷を振り返ったが、春子の元に戻る決心がつかなかった。  自分の部屋に戻ってきた清二はぼんやりと星空を眺めた。牧場で春子と過ごした一晩のことを思い出した。春子の微笑み、春子の接吻。春子は病気を隠して、無理に笑っていたのだろうか。  清二は一睡も出来なかった。気が付くと空の彼方が白み始め、あくびを噛み殺しながら清二は起き上がった。  朝日を見ていると爽やかな気分になったが、自分のふがいなさは日付を跨いでなくなるばかりか、心の中で大きくなっていた。牧場の鶏舎でニワトリたちが鳴いているのが聴こえてきた。  清二は今日の正午に春子を見送りに行くかまだ迷っていた。こんな自分が春子の最後かもしれない相手になっていいのか。しかし、今日を逃せば春子といつ会うことが出来るか分からなかった。春子とは那須で知り合ったひと夏の関係でしかなかった。知らない静養地に来て、気分が高揚していただけなのではないか。那須を離れて東京に戻ったら春子の気持ちも、お互いの気持ちも冷めてしまうのではないかと危惧していた。  清二は頭が次第にぼんやりとしてきて、寝てはいけないと分かっていても、頭を落として、畳の上に横になった。瞼が重い。完全に閉じてしまったら、起き出すことは出来ないだろうと分かってたが、清二は目を閉じた。  清二はハッとして起き上がると、叔母が立っていた。 「お昼ご飯出来てるけど」  叔母は呑気な顔で清二を見下ろしていた。 「しまった」  清二は青ざめた顔をした。 「夜遅くまで勉強して疲れていなのね」  叔母は清二を褒めたたえるように言うが、清二はすっかり寝過ごしてしまったことを後悔していた。清二は部屋から飛び出して、駅に向かった。着崩れた浴衣のまま、牧場を走り抜け、畦道の砂利が足に痛かったが、構わず衣走り、青木邸の前まで来た。人気はないようで、もう駅に向かっているらしかった。清二はいきつく暇もなく那須の平野を駆け抜けた。  駅へ着くと、汽車が出た後だった。駅舎から人が降りて来る。清二は諦めて駅舎に背中を向けると、「来てくれたの」と聞き覚えのある声がした。清二が振り返ると、プラットフォームに春子が白い日傘を差して立っていた。清二は疲れを忘れて、飛ぶように走って、プラットフォームまで行った。 「ごめん。遅れた」  清二は息を切らせて言った。 「ずっと待ってたのに。あと一本見送ったら、諦めようかと思ってたところだった」 「待たせたね」 「来てくれると思ってた」 「自信がなかったんだ。身分違いだって」 「私はそんなの気にしないわ。だってもうすぐ死ぬかもしれないのに、そんなこと言ってられないでしょ」 「僕は春子さんが好きだ」 「私も清二君が好きよ。出会えて本当に良かった」 「手術成功するよね」 「そう願いたいわ。もし成功したらまた会ってくれる?」 「もちろん。毎日だって会いに行くよ」 「楽しみだわ。お互いに知らないことがないくらいに語り合いたい」 「そうだね。だって僕らは那須でたまたま知り合っただけだもの」 「でも那須に来なかったら、出会うこともなかったのよ。東京の人込みですれ違うだけの人。目が合っても、その日のうちに忘れてしまいような人」 「この夏のことを僕は一生忘れないよ」 「私も、だから絶対に生きて、清二君ともっと思い出を作るわ」 「二人でもう一度那須の星空を見よう」 「約束ね」  清二と春子は抱き合った。  汽車がプラットフォームにやって来て、春子が清二から離れた。清二は春子の温もりをもっと感じていたいと思った。  春子は目を伏せて、「じゃあね」と言った。涙を堪えているようでもあった。清二も悲しみが込み上げてきたが、ぐっと堪えて、「じゃあ」と返した。  春子は汽車に乗り込んで、清二と向き合った。清二はドアのすぐ前に立っている。  お互いに何も声を掛けずに見つめ合っていた。目を見ているだけで言いたいことが伝わってくるようだった。  駅員が出発する笛を鳴らした。清二は咄嗟に車内に乗り込んで春子を抱きしめた。春子は驚いて、言葉を失っていた。 「まだ春子さんと一緒にいたくて」  清二は照れ笑いを浮かべた。汽車のドアは閉まった。 「ビックリした。清二君は私を驚かせてくれるのね」 「春子さんが喜んでくれるならそれでいい」 「この汽車は東京まで行くのよ」 「それなら東京まで春子さんと一緒にいられるということじゃないか」 「そうだけれども」  春子は顔を赤らめた。 「嬉しくないのかい?」 「違うわ。嬉しくて言葉に出来ないの」 「言葉なんていらないよ」  清二はそう言うと、春子にキスをした。お互いに求め合い、長い時間の接吻だった。  汽車は東京へ向けて走り出し、那須の高原を抜けようとしていた。青春の風に田園が揺れ、やがて訪れる実りの秋を感じさせた。 二人の接吻はまだ続きそうだった。清二は春子を見つめて笑い、春子は清二に口づけをした。清二は春子の温かさを忘れないでおこうと思った。
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