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2話 久々の檜扇町
「えー、東京事業所から来た田中係長だ」
「よろしくお願いします」
二ヶ月後、N事業所。東京のフロアより面積は広いが人数は寂しい職場だな、と竜治は思った。
「席はこっちです」
「あ、ども……」
竜治は席に着いた。先に送って置いた荷物を開封する。まずは令央の写真立てを机に置く。斜め向かいの女子社員がそれを見て言った。
「息子さんですか?」
「ええ」
「大きいですねー」
「結婚が早かったんで」
それから何やかんやと引き継ぎをしているうちにその日は過ぎていった。
「田中係長……改めてやるつもりですが、どうですかこれから軽く歓迎会とか」
「あー……すいません。子供が家で待ってるので……」
「そうっすか」
竜治は内心しまったなぁ、と思っていた。異動初日は当然こういう展開になると分かっていたのに。いざとなればシッターさんを探すとかやりようもあったのに気が回らなかった。
竜治はため息を吐きながら職場を出た。
「そんなに変わらないな……」
檜扇町は一応県内でも随一に栄えた町だ。といっても所詮地方都市。十年の間に大きな建物が新たに立つどころかあちこちシャッターが閉まっているのが見える。駅前だというのに東京と比べると随分薄暗い道を竜治は歩いていた。
「こーんなとこで俺は王様を気取ってた訳だ」
竜治は少しあっけに取られながら、令央と二人の家に急ぐ。会社が用意してくれた社宅は職場と駅に近い便利な所にあった。
「おらっ! 暴れるんじゃねぇ」
そんな家路の途中の路地からドスの聞いた声が竜治の耳に飛び込んで来た。
「……」
竜治はそっと路地を覗きこんだ。見ると三人組がピンクのパーカーを着た華奢な女の子の肩を掴んで囲んでいる。深くかぶったパーカーから金髪がのぞいていた。
「げぇ……まいったな……」
竜治は眉をしかめた。ここが東京なら別だが、檜扇町でああいった連中とは関わりたくない。これからここで勤めて生活していく訳だし。だがきょろきょろと通りを見渡しても、人通りは無かった。
「んーあー、しかしトラブルは……」
あの女の子が何をしたのか知らないがほっといたらどんな目にあうのか大体想像がつく。竜治だって昔はワルだったのだから。
『ほら今なんかふつーの勤め人にしか見えないよ』
その時、竜治はふと義父の言葉を思い出した。そうだ、このままの姿だと職場に迷惑がかかるかもしれないけれど、これなら……。と、竜治はネクタイを外してジャケットを脱いだ。そしてシャツのボタンを開けて、髪を後ろに撫でつける。さらに黒縁の眼鏡を外した。この眼鏡は実は伊達だ。鋭い目つきを隠す為の。
「……うん」
竜治はビルの硝子に映った姿を見て頷いた。
「おい、さっさと立てぇ!!」
「がっ!」
その時、再びチンピラ達の声がして肉を打つ鈍い音がした。どうやら女の子が殴られたみたいだ。竜治は思わず路地にたむろする男共に向かって声を張り上げた。
「こらぁ! クソガキども、何やっとんじゃ!」
「な……なんだよオッサン」
「ああ……?」
竜治はオッサン呼ばわりしたチンピラを睨み付けた。その眼光の鋭さに、彼らはたじろいだ。
「あんたには関係ねぇだろ!」
「関係はねぇが、気に入らねぇな。こんな影で群れて一人をどつくなんてのはゲスのやるこった」
「なんだとぉ」
「ゲスが気に入らねぇんならカスでもゴミでも虫でも……」
「ふざけやがって!」
竜治の挑発に頭にきたチンピラの一人が竜治に殴りかかってきた。竜治はひらりとそれを躱すとがら空きのボディにパンチを叩きこんだ。
「ぐぇ……」
竜治のパンチを食らったチンピラは膝から崩れ落ちた。残った二人は思わず一歩下がった。
「どうした? ビビったか?」
「てめ……俺等が誰だと……」
「ああ!? んなもん知らねーよ。男なら守られてないで自分の看板しょって立てや。……いいぜ二人まとめてかかってこいよ」
竜治が手招きすると、自棄気味に二人は同時に襲ってきた。竜治はその振り上げられた大振りの拳をガッと掴み、そのまま隣の男にぶつける。
「ぶぁっ……」
よろけて倒れ込んだ二人の男の顔の側の段ボールを蹴り上げて竜治は静かに言った。
「そこのゲロ吐いてるやつを回収してさっさと失せろ」
「はっ……はいい!!」
歴然とした力の差を感じたチンピラ共は転がるようにしてその場から消えた。竜治はあまりの歯応えの無さに鼻をならした。そして蹲っているピンクのパーカーの女の子に話しかけた。
「……大丈夫か、お嬢ちゃん……ん?」
竜治は思わず顔を覗き混んだ。肩すぎまで伸ばした金髪、猫みたいなくりっとした目……その子はどことなく亡き妻しおりに似ていた。竜治はしばしその顔に見入ってしまい、慌てて目を逸らした。
「大丈夫です……あんがと」
そしてその子が口を開いた時、竜治は二度見する事になった。それはハスキーな男の声だったからだ。
「……お前、男か」
「あ、そうっす」
「そんなピンクの着てるからてっきり女かと……」
「あ、ピンク好きなんで」
「あ、あ……そう」
竜治は自分の勝手な思い込みに内心歯ぎしりした。男なら竜治が想像したような事態にはならなかっただろうし、そもそも絡まれていたというよりこいつが下手こいただけかもしれない。いい年してガキ同士の喧嘩に手を出してしまったのかと竜治は頭を抱えた。
「……なんで絡まれてたんだ」
「あー、バイト代取られそうになって。無いと今月やばいんでオレ」
「知り合いか?」
「ああ、まぁそうですダチっす」
竜治はへらへらと質問に答える目の前の華奢な男を宇宙人でも見るかのように見ていた。
「ダチは選べよ」
「そ……そっすね。あ! それにしても凄かったっすね! まるで『伝説の檜扇の竜』みたいだった」
「なんじゃそら」
「えー? 知らないすか、地元で知らんやつはいないっすよ。中学からこの辺締めてて、『花竜連合』を一代で築き上げた御堂っていうすげぇヤンキーです。」
「ほ、ほう……?」
竜治は冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。それ、俺だ。と。
「仲間がピンチになるとどんな時でも駆けつけて相手が誰でも鬼みたいな強さでボコボコにしたって」
「お、おう……」
そうだったろうか。とにかく身内に手を出されたらまぁ見境無くボコっていた気はする。
「そんな檜扇の竜を慕って一声で百人を超える兵隊が揃ったとか」
「そっかぁ……」
「でも……死んじゃったらしいす」
「へ?」
「最後は愛する自分の女を守って……かっこいいすよねぇ……」
「えええ……?」
目の前の金髪くんはうっとりとしながら呟いた。竜治は最後のそれはなんなんだ、とツッコミたくてしかたがないのをぐっと堪えた。
「あ、すんません。俺、蓮っていいます」
「あ、俺は田中……」
竜治は思わず口を押さえた。何地元のヤンキーくずれに名前を名乗ってるんだ、と。
「田中さん、ですね。良かったらお礼させてくださいよ。あんま金ねぇけど」
「いや……大した事はしてないし。時間がないんで!」
竜治は鞄とジャケットを引っつかむと路地から飛び出した。
「じゃー、また今度時間ある時でー!」
後ろから蓮の声が聞こえてくるのを無視して竜治は猛ダッシュした。走りながら髪を崩して眼鏡をかける。
「残念ながらまた今度はないっ」
そして時計を見て飛び上がった。もう七時過ぎである。
「うわわ、晩ご飯! まじでやばい!」
竜治は大急ぎで自宅へと戻った。
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