1と0の幽霊

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   ◆  実家には夕方頃に着き、その翌日に彼女の家を訪ねた。  彼女の両親に案内され、リビングの隅に置かれていた遺骨を参らせてもらう。 「娘が文通していたのを、最近届いた手紙で知ってね。連絡が遅くなってしまって申し訳ない」  彼女の父親が深々と頭を下げた。  直近で彼女に手紙を送ったのは、彼女が亡くなった後の日付になる。 「いえ、ご連絡いただけただけで十分嬉しいです。ありがとうございます」 「遠方から来ていただけて、娘も嬉しいだろう。ゆっくりしていっておくれ」 「……もし、差し支えなければ、娘さんのお部屋に伺ってもよろしいでしょうか?」  少し驚いた顔をしたが、すぐに柔和な笑みになって彼女の父親は言った。 「ああ、構わないよ」 「ありがとうございます」  私はお辞儀をして、リビングを出る。  廊下から見える中庭は、彼女といたときと変わらず美しく手入れがされている。  彼女の部屋も、以前に訪れたときのままだった。ただ、彼女だけがいない。彼女を囲んでいたものは全てあるというのに。  記憶の中の彼女が笑う。  記憶の中の私が写真を撮る。  そんな風景を部屋の景色に重ね合わせながら、私の心はギシギシと悲鳴を上げる。  特別は、永遠の「特別」になってしまった。  こうなる前に、手の届くうちに焦がれる心のまま触れるという選択肢もあったのだろうか? 彼女にとっても私が特別であるということを確かめるべく踏み込めば良かったのだろうか?  いや、と私はかぶりを振る。  彼女といたとき、焦がれる心に従った私は動かなかったのだ。彼女の美しさを、眼差しを、ただただ焼き付けることしかしなかった。それだけで十分だった。  胸の軋みは後悔ではない。悲しみだ。彼女がここに、そして未来に存在しないことに対する悲嘆だ。  深く深く、息を吐く。  ここに来ないことには、私の心の折り合いがつかないと分かっていた。心の折り合いをつけるために、ここに来た。ならば。 「……撮り納め、かな」  いつものようにスマホのカメラを起動すると、そこに彼女がいるかのような錯覚に襲われる。  私が初めて彼女を見たのも、この部屋に佇む姿だった。  彼女が立っていた場所へとカメラを向ける。  開いている窓を通って、からりとした夏の風が庭の薔薇の花弁を連れて吹き込んでくる。  これは彼女の香りだ。彼女の好きな薔薇の香りだ。  瞬きひとつの間に、スマホの画面が何かを映し出した。  白いスカート、亜麻色の髪、物憂げな佇まい。私が焦がれたその姿。  くるりとこちらに振り向いた彼女と、画面越しに目が合った。記憶の中と同じ、意志の強そうな眼差しに、私は息を呑んだ。  彼女の唇が動き、いつか聞いた言葉をなぞる。 『もし魂が電気的な存在ならば、』 「――人は電脳の海を泳ぐことができる」  引き継いだ私の言葉を聞き、彼女は楽しげに頷いて、ふわりと消える。  スマホの画面の右下にある最新の撮影履歴には、微笑む彼女が残されていた。軋んでいた心の隙間が、1と0の柔らかさで埋められたような気がした。
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