駅構内殺人事件

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駅構内殺人事件

S県警特別任務課は今日も暇である。 S県K駅の女子トイレで女子高生が絞殺された。 S県警、特別任務課所属の羽柴秀典は興奮して、たった一人の上司、真田幸子に事件の概要を語り始めた。 「凶器はテグスのようなごくごく細い紐状のものだそうですよ。しかもトイレだから防犯カメラは中にはない。駅構内の複数の防犯カメラは無数の人で溢れ返っていて犯人の特定は不可能。それにしても駅構内のトイレなのにまもな目撃者もなく、第一発見者は清掃員のおばちゃんだそうですよ。どうして駅構内のトイレなのに利用者が少ないんですかね」 羽柴秀典は腕組みをしながら考え込んでいる。特別任務課とは、他の課で不祥事をしでかした者の流刑地。警察署内の追い出し部屋ともいえる特別任務課に仕事は与えられない。仕事がない苦痛に音を上げて自主退職してくれたら…県警上層部は期待している。 羽柴秀典はSNSで知り合い、付き合っていた女に飽きて、けんもほほろに振った。遊び慣れた女だから大丈夫だろうと思っていたら、なんと上司の娘で、上司の鶴の一声で特別任務課行きになった。 真田幸子は組織の枠をはみ出て、単独捜査で次々難事件の犯人を逮捕したが、協調性がないこと、ペア行動が原則の刑事として単独行動が目に余ることから特別任務課に転属。 真田幸子は警察署内だというのに、床にマイ畳を持ち込み、茶筅で抹茶をたてている。 しこも真田幸子は着物姿。まるで温泉の若女将に見えなくもない。実戦に出るより推理が私の仕事とばかりに、着物姿で出勤してくる。普通なら顔を洗って出直してこいと上司に叱り飛ばされる。 なぜ誰も注意しないのか? 真田幸子は着物姿でしゃなりしゃなりと出勤しても注意されないのか? 一説には実は本庁のお偉いさんの隠し子では?といわれている。 流刑地送りになったのは彼女の協調性のなさよりも、その並外れた推理力で本庁のお偉いさんの側近になってもおかしくない。彼女の父は本庁のキャリア組だとも。 隠し子が近くにいることをよく思わないお偉いさんが彼女を遠ざけた…。まことしやかに警察の中で噂が流れている。 羽柴に茶を勧めて自分も和菓子を食べて抹茶を美味しそうに飲む。 そして、懐紙で茶碗を拭うと、安楽椅子探偵ならぬ、マイ畳探偵を気どって話し始める。 「K駅には駅ビルとデパートが隣接している。女性は駅構内のトイレよりも、駅ビルやデパートのトイレを使う。商業施設のトイレの方が、綺麗でメイク直しのパウダースペースや授乳用の設備もある。簡単なこともわからないのね、羽柴君は」 羽柴は捜査に加われないもどかしさと、真田に小馬鹿にされた苛立ちが重なって彼女を挑発する。 「それじゃあ真田さんが犯人を当ててくださいよ」 真田はマイ畳を壁に立て掛けて、お茶の道具一式を片付けながら、 「捜査課はセオリー通りに、第一発見者の清掃員をまず調べる。第一発見者を疑えというのは素人でも知っている。しかし、疑われることが分かっていて自分の職場で犯行に及ぶはずがない。彼女が犯人の可能性があるとしたら、警察の裏をかこうとわざと第一発見者になった場合のみ。羽柴君、防犯カメラの映像を手にいれてきなさい」 真田は無茶な要求を羽柴に突きつける。羽柴は手を顔の前で振り、諦め顔。 「無理ですよ。僕たちのような流刑地に送られた者に、防犯カメラの映像なんて捜査課は渡しませんって」 真田はそんな羽柴を見て無言でデスクのパソコンを操作し始める。羽柴が覗き込むとそこには…。 大胆にも捜査課のデータに不正アクセスしている真田の姿があった。羽柴は声を潜めて、 「真田さん、不味いですって。バレたら懲戒免職モノですよ」 真田はちらりと羽柴を見ると、 「バレるようなヘマはしないわ。警察のシステムは外部からの不正アクセス対策は強化しているが、内部同士なら簡単。ここに転属させられる前に、逮捕したハッカーに興味を持って、最近ハッキングの勉強をしていたから。この万年ネトゲし放題、好きな勉強し放題、給料を貰いながら遊んで暮らせる特別任務課を追い出されるような真似はしない」 勉強始めたの最近かよと羽柴は一瞬不安になったが、この真田幸子という人物の天才的な頭脳には一目置いている。証拠も残さずにデータを抜くくらい朝飯前かもしれない。 真田のパソコンには、K駅構内の防犯カメラの映像が映る。駅を利用する客の人の群れが映っているだけで、犯人の手掛かりになりそうな映像はなさそうだ。 時刻は16時50分。学生の帰宅時刻で、仕事帰りの社会人はまだ少ない。羽柴は防犯カメラの映像を目を凝らして見たが何も不審な点はないと判断した。 これじゃあ捜査課は大変だ。羽柴は捜査課の署員に少し同情した。被害者の交遊関係、事件の目撃者が本当にいないのか、通り魔のセン、全てを追わなければならない。 ところが真田は防犯カメラの1つの映像を静止で拡大し始めた。そして、そこに映る人物を拡大してプリントアウトする。 「犯人はこの子。さりげなく捜査課の連中にこの子を探るように伝えてきて」 羽柴はプリントアウトされたA4コピー用紙に写っている、女子高生を見て真田に問いかける。 「なぜ彼女が犯人だと?証拠もないのに」 「マフラーよ。この子、マフラーはしているのに手袋をしてない。なぜだと思う?」 「真田さんはオバサンだから知らないでしょうけど、今の若い女の子は片時もスマホを離しません。スマホの操作をするのに手袋は邪魔だから、コートのポケットにでも手袋はしまってあると思いますけど?」 オバサンの一言に真田は一瞬眉を釣り上げてから、 「なかなかいい推理ね。彼女のコートのポケットをご覧なさい。手袋がはみ出してる。でも、手袋が不自然に真ん中からほつれてる」 羽柴は真田が指差した、女子高生のコートのポケットを見た。 「本当だ。でも、だらしない子なら、ほつれた手袋くらい持つんじゃないですか?」 真田は人差し指をチッチッチとでも言うように振って、 「この子は髪型はきっちり決めてるしメイクもしてる。靴下、制服、コート、全部シワがない。靴も磨かれている。相当お洒落で几帳面な子よ。そんな子がほつれた手袋を無造作にコートのポケットにしまう。不自然だわ」 羽柴はもう一度写真を見る。確かに不自然だ。でも、絞殺に使われた凶器はマフラーよりもっと細い強度がある糸のようなもの。強度のある糸…。羽柴は写真の女子高生がラケットをケースに入れて背負っているのに気がつき、ハッとした。 ラケットのガットを張り替えるときに使う糸のようなもの。初心者ならばナイロンガット、中級者や上級者はポリエステルガットを使う。強度はポリエステルガットの方が高い。スポーツ用品店などで手軽に手に入る。 そして、ガットを長いまま隠し持って、首を締めれば…。凶器になる。しかし、害者の首をギリギリと締め上げれば犯人の手にも跡が残る。特に手のひらは痣のようになる。 手袋をしていれば、現場に指紋も残らないし、手に跡も残らない。しかし、締め上げた糸の摩擦で手袋が擦りきれてほつれる。 羽柴は真田に向かって、 「凶器はテニスのガット、手袋のほつれは犯行時に凶器を絞めるときに擦りきれた」 真田はパソコンの画面をネットゲームに戻してから、 「よくできました。現場にはほつれた手袋の繊維が残っているはず。鑑識が調べてるでしょうし、あとは捜査員を上手く誘導してきて」 羽柴の肩をポンと叩く。 羽柴は、眉を八の字に下げて、 「無理ですって。捜査課は殺気立ってるし」 困り切った顔で真田を見つめる。 すると二人の間を割って入るように、県警捜査一課の蜂須賀警部が、 「さっきから立ってるのに、気づきもしない間抜け」 羽柴に言ってから真田のパソコンを覗く。蜂須賀警部は、 「いいご身分ですね、職務中にネトゲですか?さっさと辞表を書いたらどうですか、追い出し部屋に居座るなんて前代未聞ですよ」 そう言いながら、羽柴の手にある女子高生の写真をめざとく見つけて、ひったくる。 「K駅構内ですよね?この映像。まさかアクセス権限もないのに勝手に…」 怒り心頭の蜂須賀が急にトーンダウンして、写真の女子高生を食い入るように見つめる。 「ガイシャと同じ作者のマフラーかもしれない。これ、量産品じゃないんですよ。ハンドメイド作家がネットで売っていて、そのハンドメイド作家は、海外旅行中に飛行機事故で亡くなってしまったんです。お陰で特徴あるマフラーが誰の手に渡ったのか調べるのに時間がかかっていたんです。遺族の了承を得て、やっとハンドメイドサイトにも売買情報を出してもらったんですよ」 真田は女子高生の制服を指差して語る。 「ガイシャと同じ高校の生徒は犯行時、100人はK駅にいたでしょう。彼女もその一人です。でも、このポケットのほつれた手袋。そして何よりも、このマフラーの結び方を見てください。この長いマフラーは二つ折りにして肩にかけて、折った方の輪っかに先を通している。長過ぎて不恰好です。このくらいの長さのマフラーはネクタイ結びにするか、巻き付けて背中側にマフラーの先をなびかせる方がお洒落です。この子の隙のないお洒落な服装や髪型と、ほつれた手袋、雑に結ばれたマフラーはアンバランス。おそらく犯行後に、珍しく駅構内のトイレを使おうとした客がいた。慌てた犯人は個室の扉を閉めて死体と自分を隠した。しかし、一刻も早く誰にも見咎められずに犯行現場を出たくて、凶器のポリエステルガットをとっさにマフラーの間に折り畳んで隠した。見てください。ポリエステルガットがマフラーの間に挟まっているから、彼女のマフラーはエリザベスカラーのように弾力を持ってしまい、浮いています」 羽柴と蜂須賀は真田の見事な推理に驚嘆する。そして蜂須賀は女子高生の写真を奪い取ると、 「不正アクセスの件は見逃してやる。その代わり手柄は貰っていく。どっちみち同じ高校の生徒が加害者なら、手袋の繊維から辿り着けただろうけどな」 そう言うと蜂須賀は特別任務課の狭い部屋を出ていく。 羽柴は真田にクッキーとペットボトルのミルクティーを差し出す。 「お疲れ様でした。頭を使うと甘いものが欲しくなりませんか?僕は真田さんみたくお茶の心得はありませんから、これで勘弁してください」 真田はミルクティーとクッキーを味わってから、 「量産品もたまには美味しい。羽柴君も少しは気が利くようになりましたね。さて、ここからは推測で根拠はない。同じ高校か…。私は昔、親友と大学の指定校推薦を争って勝ってしまった。そこから彼女とは疎遠になって未だに親交はない。もしかするとガイシャと加害者の間にも似たようなトラブルがあったのかもしれない」 羽柴もミルクティーとクッキーのおやつを楽しみながら、 「今の子たちは昔に比べると大学の推薦枠が増えましたしね。でも、それくらいで殺しますか?高校生くらいだと初めて出来た彼氏に浮かれる年頃だから、男の取り合いじゃないですかねぇ」 捜査に加われない二人は犯人の動機をあれこれ憶測して、仕事がない暇な時間を潰す。 後日、加害者は未成年なので名前を伏せて逮捕された。 動機はなんと…。真田が言っていた指定校推薦枠で被害者に負けたことと、羽柴が言っていた彼氏を被害者に略奪されて、自分から何もかにも奪い取る被害者に憎しみが募った結果の犯行だった。 まぐれ当たりとはいえ、二人の当て推量はどんぴしゃだった。 真田はまたマイ畳を持ち出してお茶をたてて、一口飲むと呟く。 「若い頃は今見えている世界が全てだと思い込んでしまうけれど…。負けたら次勝てばいい。奪われたら奪い返せばいいの」 反対側に座る羽柴はお茶を飲み干すと、 「結構なお手前で。そうなんですよね。人生の運なんてプラマイゼロだと思いますよ、僕は。人を殺めて自分の人生を台無しにしなくても、あの子にはまだ色々な可能性があった。もったいない」 真田もお茶を飲み干して言う。 「更正してくれることを祈るばかりだわ。私たちは犯人を探し当てることは出来ても、その加害者の更正は刑務官や保護司に任せっぱなしだから。もう一度まっすぐ生きて欲しい…若いんだから」 羽柴はちょっとおどけて言う。 「そうですよ。真田さんみたいなオバサンが加害者だと更正も難しいですけど、若い子は素直ですから」 真田の目が鋭く光り、茶道用の柄杓を羽柴を目掛けてダーツのように投げる。避けそびれた羽柴に柄杓が直撃。残っていた熱湯が顔にかかかり、 「熱っ!パワハラですよ、真田さん」 ハンカチで顔を拭きながら羽柴は慌てる。真田はフンと鼻を鳴らすと、 「私がパワハラなら羽柴君はセクハラ。オバサン扱いするのは立派なセクハラです」 クスクス笑いながら言ってから、マイ畳と茶道具を片付け始める。 S県警、特別任務課は今日も変わらず暇である。
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