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 ――見ててね、お母さん。  わたしは、ミリアお姉ちゃんから譲り受けた鷹の意匠の指輪――サンノワール家当主の証に祈りをささげて前を見据えた。  ベルター卿に付き従う兵士は、わたしが打ち上げた特大の火炎弾に驚いたようだ。  ベルター卿の命じるまま戦うか、それとも逃げるか迷うように互いの顔色を伺っている。  このまま剣を引いてくれればいいけど……。  わたしは溢れる魔力に応えて炎を吹き上げつづける杖を固く握り締めた。  決心はしたけど、人に魔法を振るうにはまだためらいがある。できることなら、争わないですませたい。  その淡い期待は、 「な、なにしてる! 撃て! 高い給料払ってるだろ! ぼーっとつったってるな!」  愚かなリーダーの一言で消えてしまった。  だめか……。  わたしは覚悟を決めて、一歩前に出た。ベルター卿がひっと情けない悲鳴をあげた。 「早く撃て! だいたい、サンノワールの魔女とはいえ、相手は魔法使いだぞ。遠くから弓矢で狙えば楽に殺せるだろ! それにそいつは魔法アカデミーを卒業すらしてない小娘なんだぞ! 殺したら……そうだ、給金を倍だす!」  その一言に戸惑っていた兵士がはっと顔をあげて、目の色をかえた。給金倍増に欲が出たらしくて、剣や弓をつがえてベルター卿を守るように一列に並ぶ。  お金に目が眩んで、人を殺すことに躊躇いをなくすなんて……。  人の命より、欲を優先する人たちに遠慮する必要なんてあるの? わたしの中の罪悪感がすこし和らいだ。  かまえられた弓矢の前に体をさらして、わたしは歩きだした。  怖い。わたしはそんなに強くない。  でも、怖くても、苦しくても、逃げずに前を向かないと。アデルの住民を説得してみせたレラや、安らかな寝顔を見せる友人に、わたしはそう教えられた。  立ち止まらないわたしにベルター卿は怯んだようで、兵士の壁の奥に引っ込んだ。 「な、なにしてるんだ! 早く撃て!」  その命令に兵士たちが弓を強く引いた。矢が放たれるようとする。そう、いま――!  わたしは兵士との間に魔力を解放した。横に振るった左腕にあわせるように炎の壁が直立した。そこに兵士たちが放つ無数の矢が飛来する。 「うそ……だろ……」  炎の壁の向こうで兵士が、驚愕の声をもらしたのがわかった。  わたしを目がけて殺到した矢は途中で炎の壁に阻まれた。矢羽が燃え尽きて勢いを失い、地面に落下していく。 「怯むな!」  今度はローブを着た男が前に出てきた。高そうな魔法杖を持っているところからするとラヴィーネ兵の隊長だろう。 「サンノワール家など前時代の家系だ! いまや魔法はラヴィーネのものだ!」 「くっ!」  ラヴィーネ兵から放たれた炎の魔法に、咄嗟に炎を出して迎え撃つ。  炎が空中で激突。  押し負けないように力を込めるけど……前に進まない。拮抗している。この人、強い!  前にも後ろにもいけない炎は、出口を探求めて横に溢れていく。雪が溶けて激しい水蒸気が辺りを包む。  わたしは全力に近いけど、ラヴィーネ兵の方にはまだ余力があるようだ。愉悦の滲んだ叫び声が聞こえてきた。 「見ろ、見ろ! サンノワールなどいまやこんなものだ! 前当主が刺客ごときに倒れたように、サンノワールの名なんてまやかしにすぎないのだ! 恐れることはない! ――おい、なにをしている。手伝わないか!」 「は、はい!」 「くううう!」  炎の圧力が増した。熱波が顔に届いてひりひり痛む。  隊長に呼応して炎と風の魔法を重ねたんだ! じりじりと押し負けている!  わたしは炎に魔力を込めて踏ん張りながら――ちょっとカチンときていた。  サンノワールが前時代?  前の当主が刺客にやられた?  ――なにも知らないくせに!  ミリアお姉ちゃんも、ラナお姉ちゃんも、――そしてマリアお母さんも、最高の魔法使いだ。  サンノワールの魔法は……ラヴィーネなんかに負けてない! 「サンノワールを、なめるなあああ!」  想いが魔力となり、炎が膨れ上がった。  そして――。 「はぁ、はぁ……」 「バカな……俺の炎が……食われただと……」  肩で息をするわたしの前で、ラヴィーネの男が驚愕に目を見開いていた。  わたしの炎は、ラヴィーネの炎を一切合切、焼き払っていた。余熱で雪が払われ、埋もれていた石畳がぶすぶすと焼き焦げている。 「け、剣士隊前に!」  金髪を振り乱しながら血走った目で下知するベルター卿に従って、弓兵の間から三名の兵士が抜刀して走り寄ってきた。  相手は欲深でも正規兵。日々訓練しているのだから、平時ならわたしではかなわない。  でも、魔法とサンノワールの名に動揺している剣筋は、アカデミーで対剣の訓練をしてくれた先生たちよりずっと鈍い。  わたしは二名が振り上げた剣に、創造した炎の刄を叩きつけた。  拮抗は一瞬で、烈火に負けた剣は根元から溶けて折れた。  予想外だったのだろう、二人は呆気にとられたように口を開けて足を止めた。 「悪いが、死ね!」  もう一人が横手から切り掛かってきた。  悪いと思うならやめてほしい!  顔を切るような軌跡の凶刃を、バックステップしてかわしながら、振り切った右腕にそっと手を触れて魔力を注いだ。 「ぐぎゃああ!」  右腕に炎が宿り、兵士が悲鳴をあげながら足元で転げ回った。炭化した腕ではもう剣を握ることはできないだろう。 「く、重装騎隊前に出ろ! 押し潰せ!」  フルプレートを着て見るからに重そうな重装備の兵士が前に並んだ。まるで鉄の壁だ。  でも、ためらうことなんてない! 「ふっとべ!」  圧縮した炎が重装騎隊の前に着弾する。  狙い通り大爆発を起こし、雪とともに鉄の壁をふっとばしてくれる! 衝撃はフルプレートでも防げなかったようで、雪に伏せた重装騎隊はうめき声をあげるだけで誰も起き上がってこない。 「な、なんとかしろ!」  兵士に指示を下しながら、燃える街の向こうに逃げようとするベルター卿の姿が見えた。  逃がさない! わたしはすこし強く力を練って杖を突き出した。  杖から打ち出された火炎弾はベルター卿の横を掠めるように通り過ぎると、そのむこうにあった街路樹にぶつかった。爆音とともに、幹の半ばに穴をあけた樹が弾けて倒れた。 「ひいぃ!」 「逃げるな!」  腰が抜けたように倒れこむベルター卿にわたしは叫ぶ。  ベルター卿が逃亡したこと、それからわたしの炎を前にして兵士たちはすっかり戦意を喪失したようで、ベルター卿の前から離れた。  わたしとベルター卿の間に隔てるものがなくなった。逃げ道を探すように辺りを見回すベルター卿に、わたしは杖を突き付けた。 「殺さないでくれ! 見逃してくれたらなんでもほしいものをやる! 金でも地位でもいい。な? 考え直してくれ。そうだ。わたしと一緒にノーウェンを変えるというのはどうだ? 死んだドリス家の娘にかわって上流貴族になるというのも悪くないだろ? なんならわたしの妾にでも……」  この期に及んでまだ自分の欲を満たそうとする貴族の男に嫌悪感を覚える。こんなつまらない男のせいでヒルダは……。 「近づかないで!」  手をとろうとするベルター卿に、わたしは拒絶の言葉を叩きつけた。わたしの怒りに反応して、魔力が烈火となって体から噴き出した。 「ひいぃ!」  悲鳴をあげるベルター卿を無視してわたしは宣言した。 「この場にいるすべての者に告げます! ――ノーウェンの兵士達! ベレトベアーの凶爪から住民を守りなさい。あなたたちはベルターの私兵ではなく、領兵でしょう。治安を維持する本分を全うしなさい! そしてラヴィーネの兵士達。ラヴィーネ軍としての罪をこの場ではひとまず問いません。あなた達の軍には、あなた達の事情があるのでしょう。あなた達の身柄は国同士で決めて頂きます。しかし! いまはひとりの兵士としてベレトベアーを退治しなさい! 人の共通の敵であるベレトベアーをいたずらに利用し、無力な住民を殺めたのはあなた達自身の罪です。ベレトベアーを排除することでその罪をすこしでも償いなさい! この判定にもし文句があるなら、すべてわたしに言いなさい! ――いいわね? わたしの名前はユウカ・サンノワール、サンノワールの魔女に連なる者よ! どんな文句でも受けて立つわ!」
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