執行の証

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「その人の名前は? 話はしましたか?」 「名前は確かエリカ。かなりの長身で目を引いたからね。話はしてない。咳はしていたけど。けど彼女、なかなか純真でね。チョーカーが取れた時にかなり慌てていて可笑しかったけど可愛かったな」 部屋を辞するとヒューゲルを呼びに使用人部屋に繋がる階段を降りた。勝手口から出ようとしたヒューゲルの首根っこを捕まえて馬車に飛び乗った。 「女装した男!?」 「そうだ。どうして彼が屋敷から出たと思う? 自分を誘った女としけこむ為だ。女の行く場所なら彼は何処へでも行っただろう。連れて行った場所はラントシュトラーセ。その部屋で。男だ! からエルジェーベトの名前が出れば関係は明らかだ。そしてヴィルヘルムは殺される……もちろんあれだけの大男だ。女に化けられる男一人では運べない。そこで使ったのが……ヒューゲル、お前が報告にもあげた盗まれたワゴンだ。今は焼き栗売りたちがたくさん引いて歩いている。目立ちはしない」 「あのワゴンも事件に関わっていたなんて……」 「殺人事件にはどんなことでも関わり合いになる。身分の上下も国籍も関係無い。ただ人間が関わっているということだけでな」 「……確かに踊り子が一人、今朝から姿を見せていないそうです。外見もロベルト様の話とも一致します。そのはエルジェーベトの……」 その途端、馬車がいきなり停止した。窓を開けると若い警官と目が合った。 「警部殿、大変です! ハンガリー人の少年がヴィルヘルム・ヴァイツァー様を殺したのは自分だと出頭してきました!」 「何!?」 ヘルツ警部は馬車を飛び降りて走った。着いたところは事件現場からずっと離れた、ドナウ河の近くの共同居住建物だった。入るとそこには女と見まごう程女性的な顔の、しかし喉仏のしっかりした少年が座っていた。顔色がかなり悪い。ヘルツ警部は病院に運ぶべきだと指示を出したが、それを制したのが当の青年だった。 「いい……僕はもう長くないから……」そう言って少年は咳き込んだ。 「君はエルジェーベトの弟だね?」とヘルツ警部は話しかけた。「名前は?」 「ラヨシュ。……エルジェーベトは僕の七つ上の姉だ。僕らは二人っきりで生きてきた。それをあのヴィルヘルム・ヴァイツァーが勝手に目をつけて、飽きた玩具のように捨てた……マフラーはエルジェーベトを埋葬した後にタンスから見つけた……あいつ、姉さんのマフラーを見せたら勝手にビビって床を滑らせてこのテーブルに頭をぶつけたんだ……僕は何もしていない……姉さんが自分であの男を裁いたんだ。奴の首にマフラーをかけたのは絞首縄のつもりだ……った……」 ラヨシュ少年が激しく咳き込んだ。病院に運ばせようと馬車を呼んだ時には既に息は無かった。ラヨシュ少年の死に顔は穏やかだった。せめて天国ではエルジェーベトに会えれば良いと思い、ヘルツ警部はマフラーをそっとラヨシュにかけてあげた。
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