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「反乱軍にここが見つかった! すぐに逃げるぞ。殿下、お早く!!」  グレンが部屋の入り口で、緊迫感に満ちながら声をかけてきた。ライラが心得たように長剣を確認し、外套をおれの頭から被せる。 「ライラ。殿下を頼む」  承知した、とライラが返すと、グレンはおれたちから離れて行った。遠くから人々が騒ぐ声がする。あれが反乱軍の声、なのだろうか。ライラに手を引かれて、外套をもう片方の手で抑えながら走っていくと、フィオの貧弱な身体はすぐに苦しくなった。運動に慣れていないこの身体じゃ、走り続けることすらできない。 「裏庭に馬を繋いであります」 「う、うま?」  思わぬ逃走手段におれは驚きでへんな声が出た。元の世界じゃいくら逃げるといったって、馬は登場しない。 「グレンは?」 「あの者は、センチネルの力を持っています。多少は、敵を抑えられます」  なるほど、と納得しているうちにさくっとライラの腕力で馬に乗せられてしまった。おれの後ろにライラが騎乗し、馬の手綱を操る。どん、どん、と激しい音が聞こえてきた。扉を打ち破ろうとしているのだろうか。  馬が裏庭の戸をくぐり、外の世界に出ると、そこには表とは別の反乱軍らしい兵士たちが陣取っていた。 「アオ様。何とか、アオ様だけでも生き延びてください!」 「だめだ、ライラ!」  ライラはおれに馬の手綱を持たせると、馬から飛び降りて行った。こんな中を、一人で生き延びろっていうのか。そして、フィオじゃないおれを守ろうなんて、馬鹿なことをしようとしているのか。 「王軍の連中を捕らえろ!」  怒号。ライラの言葉が、脳裏によみがえる。多くの犠牲を求め……それから、ガイドを奪う。ガイドのおれは、殺されるかもしれない、ということか。  せめて、剣を振るえるくらいの腕の力があれば良いのに。どう考えても、なんの力も持っていないおれでは、この場では役に立たない。馬から降りても殺されて終わるだけだ。ライラもコドモドラゴンも、ガイドが殺されるようなことはない、みたいに言っていたけれど、それなら他の国のガイドだって、殺されるはずがなかった。  おれたちの逃走に気づいた、表側の反乱軍たちも、あっちだ、そっちだと大声を張り上げる。 (むしろ、おれが囮になればいいのか!)  どう考えても、ライラやグレンよりも王族のフィオ殿下の方が囮としての能力は高い。幽閉されていたというから知名度は低いだろうが、こんな目立つ髪で逃げていけば、誰だって追いかけるくらいするのではないか。  まあ、今更馬から降りることもできないのだが。さっき馬が登場して驚いたことを反省したいくらい、馬は素晴らしいスピードで走っていく。下手したら田舎道を走る車よりもスピードが出ていそうだ。それがヘルメットも、なんの安全策もない状態で乗っている。 「ひぃいいい!!!」  囮になるために、格好良く「おれはここにいるぞ!」と叫ぶかわりに、自分でも情けなく思うレベルの悲鳴が出た。余裕は一切ない。目の前に弓矢が降ってきて、馬が驚いて棒立ちになった。振り落とされる、と目を瞑った瞬間――内臓を持っていかれそうな勢いで胸のあたりを思いっきり圧迫された。どうやら落馬しかけたところを、誰かが救い出してくれたらしい。そのまま別な馬に乗せられ、さっきの馬とは違う方向へと走っていく。 「――我らの行く手を阻む敵を風塵へと、変えよ!」  男の声。グレンのものだ。その静かなグレンの声と共に、後ろから聞こえる喧騒は悲鳴に変わっていった。 ***  いくらフィオの身体が軽いと言っても、成人した男を二人も乗せていたら、馬だって疲れるだろう。身を隠せそうな森に近づいたところで、馬が走るのを止めた。無言で馬から降りたグレンは、手綱を引いて歩き始める。馬はしぶしぶと、それに従った。 「おれも歩く。降りるの、手伝ってもらえるか?」  グレンに声をかけるが、ちらりとこちらを一瞥しただけでまた前を向く。いきなりの無視に、さすがにおれもムッとなった。馬の背は高くて、歩いている途中で降りる勇気はさすがにない。森を縫うように歩いている途中で、また馬が歩みを止め、おれは降りることに成功した。 「……乗ってください」  ようやくグレンが口を開いたが、その声は思っていたよりもずっと、疲労に満ちていた。たくさんの敵を相手にしたら、そりゃ疲れるよな。さっきムッとしてしまった自分を反省しながら、グレンの傍に近づく。そういえば、さっきグレンはセンチネルの力を使ったんじゃないか、とおれは思い出した。ライラの話では、センチネルの力を使うと心や体に傷を負うらしい。一見、グレンの身体に傷は見当たらなかったが、ひどく疲れて見えるのは、そういうことなのではないか。    馬が動かないので、グレンもただ立っている。傷に触れる、というやり方が分からず、おれは強引な手に出てみることにした。ぼうっとして見えるグレンにさらに近づき、つま先立ちをしてその唇へと口づける。すんなりとおれを受け入れたと思ったグレンは、数瞬後に我に返ったようで、おれを自分から勢いよく剥がした。 「貴方は、何をしているのですか?!」  ああ、やっぱりそういう反応だよね、と頭をかく。しかし、他にそれっぽいやり方が分からなかったのだから仕方ない。おれの予想以上に、グレンは怒っていた。 「何をって。さっき、センチネルの力を使ったんだろう? 動けないくらいに。ごめん、ガイドの力ってどう使えばいいのか分からないからさ。やり方、教えてくれれば、ちゃんと正しい方法で使うから。おれなら、グレンの傷を治せるんだろ?」  腰に手をあてて開き直ってはみたが、青い瞳が怒りを帯びると、とても迫力がある。グレンは品の良い顔をしているけれど、相手は大柄だし、これで殴られたら簡単に意識を失えそうだ。グレンは怒りのままにおれを睨みつけてきた。それから手綱を地面へと垂らしてから、近くにあった木に背を押し当ててずるずると座り込んだ。 「おい、そんなに具合悪いのかよ。どうすりゃいいのか、早く言えってば」 「……一番早い方法は、身体を繋ぐことです」  グレンの声が、暗い。「なんだ、それか」とあっさりおれが服を脱ごうとしたところで、「やめろ!」とグレンが怒号を発した。 「やはり……貴様は、フィオ様ではない! 誰なんだ?! ……フィオ様の身体を乗っ取った妖魔か!? フィオ様の心を、我らの主を……返してくれ!」  木にもたれて座り込んだまま、そう叫んでグレンが項垂れる。グレンに怒鳴られてびびったおれだったが、グレンの悲痛な叫びに、胸が痛む。おれよりも年上だろう男が、声を殺して泣く姿に、動揺する。  しかも、コドモドラゴンの言うことを信じるのなら、既にフィオの心はこの世界にはない。消えてしまっているのだ。 「……ごめん」  ただ、それしか言えない。  グレンはもう何も返してくることはなかった。あまりにも静かで心配になり、思い切って顔を近づけると意識を失っていた――泣きながら。 (なんかもう、本当に重すぎて重すぎて……)  こんなキャラクターを背負って、おれはこの世界で生きていけるのだろうか。とにかく、早めにグレンたちから離れた方は良いだろうと、改めて思った。このままでは、センチネルの力を使おうが使うまいが、早晩グレンの精神が崩壊してしまう気がする。 「短い間だったけど、ありがとう」  何か渡せるものはないかな、と思った時に、片方の耳にピアスをしていることに気づいた。元の世界でもずっとしていたから、違和感がなかった。これはずっと、フィオが付けていたものだ。グレンに返すのが、良いだろう。外してからよく見ると、綺麗な翡翠色をした石が使われている。もしかしたら、フィオの目の色に合わせて作られたのかもしれない。 (さすがに、ここで無理やり身体を繋げたりなんてやったら、グレンのトラウマになりそうだし……)  どうせなら回復するところまで手伝いたかったが、先ほどのグレンの拒絶反応からすると無理そうだ。  ピアスをグレンの投げ出された手のひらに乗せる。それから、辛そうな表情をした男の、形の良い額に口づけてから、涙を拭ってやった。どうしてか、おれまでとても泣きたい気持ちになる。 「しっかり、生きろよ」  何か気の利いたことを言いたかったが、それくらいしか思いつかなかった。これからのグレンのことや、離れ離れになってしまったライラのことは心配だったが、早めに姿を消すなら今が一番の好機だ。おれは、森を抜けた先に町があると信じ、馬車道を歩いてみることにした。
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