落ち着きなさい

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落ち着きなさい

「お客さま! お客さまの中に お医者さまはいらっしゃいませんか!! いらっしゃるなら早く名乗り出てください! 大変なのです!!」 目的地の木星を目指す旅行会社が運営する 宇宙ロケットの中。 突然、血相を変えたスチュワーデスが客に向かって大きな声で叫び始めた。 「なんだなんだ……? 病人が出たのか?」 「それともけが人かな?」 「医者の人は早く名乗り出てあげなさいよ! 誰かいないの!?」 ロケット内がざわめきだした。 みな犯人探しをするような、そんな目で周りをじろりと見ている。 そんなロケット内の非常事態を目の当たりし、 私は内心どきりとしていた。 そう、私は医者なのだ。 久々の休暇を利用した旅行を計画したのは よかったのだが、まさかこんな事態に巻き込まれるとは…………。 せっかくの休暇なので仕事のことは 忘れていたかった為、名乗り出ずにいようとも私は一瞬思った。 だが、周りの目にとうとう耐えきれなくなり、ついに観念して私は名乗りを上げた。 「……スチュワーデスさん。 私が医者です」 周りの視線がみな、私の方に集中する。 スチュワーデスも、慌てて私の席まで駆け寄ってきた。 そして開口一番 「どうしてもっと早く 名乗り出てくださらなかったのですか!? とにかく、早く来てください……!」 と、そんな苛々したような口調で 私のことを責める。 ……なんだよ。 こっちは名乗り出てやるつもりは無かったんだ。 だが、医者という立場。 勇気を出して名乗り出てやったのに…………。 そんなスチュワーデスの言葉に 私は少し不快感を覚えた。 だからこそ私の頭の中でその時、とても意地悪な 思いつきが一つ浮かんだのだ。 ……こんな事をやっては医者失格だろうが、 この癪に触るスチュワーデスを 少し困らせてやらなければ私の気が済まない。 そしてその考えを実行するため、再び私はスチュワーデスの方へと向き直った。 「まぁまぁ、落ち着きなさい。 こんな非常事態の時ほど、 落ち着かなければならないのです……」 「あ、貴方は一体を何を言っているの!? 早くこっちにきてちょうだい! 突然、泡を拭いて倒れた病人が待ってるのよ!?」 案の定、スチュワーデスは顔を真っ赤にした。 口調も少し乱暴になり、まるでその目つきは私を 殺そうとするかのようだ。 しかし私は恐れていなかった。 むしろ喜びの限りだ。 ……いいぞ、いいぞ。もっと困ってしまえ。 「ですから、少し落ち着きましょうよ。 スチュワーデスである貴方がしっかりしなければ、客が怯えてしまうでしょう?」 私はそうニヤニヤしながら、スチュワーデスに向かって言い放ってやる。 他の客の目には、私がこの状況を楽しんでいるように見えただろう。 まさにその通りだ。 人を怒らせるのがこんなに楽しいなんて。 相手のスチュワーデスは体を ワナワナと震わせている。 「……ほら、周りをよくご覧なさい。 みんな貴方の慌てぶりを見て怯えているではありませんか。 貴方もスチュワーデスなら、ドーンと構えなさい」 「……ああ、もう!! 話が通じないわね!! とにかく早くこっちへ来なさい!! 病人が待っているのよ!! そんな事を答えている時間はないの!!」 しかしスチュワーデスはそんな私の言葉を無視し、 しきりに喚き立てている。 私はそんな彼女に呆れ、諭すかのように こう語りかけた。 「そんな言葉遣いはいけませんね。 私は客なのですよ?  一体何をそんなに焦っているのですか。 ……というか、私が駆けつけたところで簡単な 応急処置しかできませんよ。 何せ医療器具は全て置いてきてしまったのですから。 早くどこか近くの星に緊急着陸なさい。 その方が病人は確実に救えますよ」 すると、そんな私の言葉を聞いたスチュワーデスは 絶望したようにその場にしゃがみ込んだ。 目から涙を溢し、シクシクと泣き始める。 ……少しやりすぎたか。 そんな事を私が思っていると、彼女は最後にゆっくりと、しかし乗客全員に聞こえる声ではっきりと こんな事を独り言のように呟いた。 「そんな事が出来たらとっくにやってるわよ……。 しかしどうしようもないわ。 だって倒れてしまったのはこのロケット唯一の 機長なのだから……」 その時、ロケットの機体は大きく揺れ始めた。 再び騒ぎ始める客。 今度は私も例外ではない。 そして次に、大きな爆発音が青ざめる私達の耳へ飛び込んできた……。
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